クロウスレット・アベルシオン

@ituru3

第1話 欠点

 6月12日の午前6時、日が顔を出し始めて間もない頃。

 成人を迎えたばかりの青年であるこの俺、八幡裕介やはたゆうすけが大学の友人である中野叶実なかのかなみさんに誘われた飲みの席の帰り道。

 俺たちは顔を真っ赤にし、おぼつかない足取りで楽しく帰路の公園を歩んでいた。


「わーつっかれたなぁ……やっぱり酒に溺れるっていうのはこういうことを言うのかな……」

「まじそれな……俺は叶実さんが四人くらいに見える」

「あははっなにそれー、裕介は変わらず一人らよ? にんにん! 影分身の術でござーる!」

「そんな千鳥足の忍者がいるかよ」


 おっとっと、と転びそうになる叶実さんの肩を支え、俺は込み上げてくる胃の内容物を唾を飲んで必死に押し戻す。

 ……他人に醜態は晒せない。特に、学生生活の行き先を左右することとなる彼女には!

 俺はアルコールとは別に熱を帯びる頬を両手で二度叩き、意識を失わぬよう気合いを入れた。

 そんな思春期男子の様子など露知らず、叶実さんは公園の隅に集まっている黒い塊をふらふらと指差した。

 

「れれ~、朝から嫌なもの見ちゃったみたい」

「うん?」


 叶実さんの視線の先には、ゴミ捨て場を漁るカラス達の姿。

 全くもって、気分が悪い。

 手入れの行き届いていない羽や、ゴミ袋に穴を開けて生物を散らかすその様子は醜悪そのもの。他にも悪い言い伝えがある。カラスが屋根の上を三回回れば、その家で誰かが死ぬという。まさに不吉の象徴。叶実はそんなカラスが大の苦手らしい。

 ああ、かくいう俺もカラスが大っ嫌いだ。


「叶実ちゃんの、なんれも叶占かなうらなーい! どうやら今日は、最悪な一日になりそうれす」

「叶う予感ゼロじゃん。送るよ、今日は家でゆっくりしよう」

「まら飲めるもっ」

「……やめときなさい」


 俺はカラスを一瞥し、すぐに視線を逸らした。一刻も見ていたくない。背中に痛みが走るんだ。

 ……本当に、最悪だよ。


◇◇◇


 昨日は叶実さんの言う通り、最悪な一日になった。初めてのお酒は一言で現せば消毒液の味がしたし、叶実が美味しそうにどか飲みしている金麦? なんて一口で肝臓が拒否してきた。俺は「これなら大丈夫」と叶実さんに言われた軽い酒しか口にしなかったはずなのに、酷い頭痛と吐き気で一日を過ごした。それに、理性を無くした自分を親に見せたくなくて、部屋に籠りきっていた。

 

「おはた~! な、どうだったんだよ昨日は? 行くとこまで行ったのか? ん?」


 朝から飛び込んできたでかい顔の平田を素通りし、適当な席へと腰かける。ううむ、休めばよかったかも知れない。まだ気分が悪い。

 それでも平田はしつこく顔を近づけてくるため、俺は机に突っ伏したまま言葉を返した。

  

「いや、なんにも。ただ二人で居酒屋に行って、叶実さんを家に送って、後は家でぶっ倒れてた」

「はあ~? お前なんでそのまま帰っちゃうかなあ。好きなんだろ? てか向こうの誘いだろ? 行けるだろ! バカアホまぬけ、みそカツチキン」

「はいはい旨そう旨そう。二日酔い? で疲れてるから今日は放っておいてくれ」


 平田はため息プラス捨て台詞を置き土産に部屋を出ていく。こいつはまたサボりかよ。


「あっおはよー八幡ん! 昨日飲みに行ったんでしょー? 今度は中野さんじゃなくて、私たちとも行こーよ!」

「いいなそれ! 俺たちも交えて合コンしようぜ!」

「オマケはいらないんですけど」

「んだよそれ!」


 俺を見つけるなり、すぐに駆け寄ってくるギャル系の女の子たち。そして、俺にあやかるように群がる二流の男たち。それを遠目に見ている奥手な女の子や未だに友人のいない孤独な奴ら……。

 

 大学の様子からわかる通り、俺は割りと人気の高い大学生だ。要領がよく成績はいつもオールA、毎日男女問わずカラオケやレジャー三昧で、金持ちの家系でもある。自分で言うのもなんだが、性格・頭脳・外見の揃った俺を知らない生徒などまずいない。


 生まれつき最強無敵な俺だからこそ、努力をせずともなんでも与えられてきた。備えつきのカリスマ性ってやつ? だから仲間は自然と集まってきた。

 

 俺はこの最高ランクの地位を守り抜きたい。

 常々、そう思っている。


「まあまあ、そんなピリピリするなよ。いつか学部のみんなで、飲み会でもしようぜ」

「えー? いつかなんて曖昧なの、私は嫌だなあ」


 ふてくされたような、かわいい声。叶実さんだ。

 彼女も文武両道、才色兼備と美しい四字熟語のよく似合う女性。これまでは俺と彼女で生徒達の注目を二分していたが、俺たちが仲良くなってからは学部は俺たち二人を中心に回り始めた。

 

「見せつけてんじゃねーよー。ったく」

「そんなんじゃないってー。ね、いつかじゃなくて今週の金曜日にみんなで飲み会しよ? ねっ」


 叶実さんはその場を取り囲んでいたギャルや二流だけでなく、遠巻きにこっそり聞いていた生徒たちにもウインクして見せた。物事ははっきりさせ、裏表のない性格。

 俺に欠点があるとすれば、叶実さんを未だに彼女にできていないことだろう。

 俺は背中を少し強ばらせ、固唾を呑んだ。


◇◇◇


 木曜、午前11時頃。俺は何度も鳴り響く携帯のコール音で目を覚ました。


「……はいもしもし」

『おい裕介。何サボってんだよ。ちょっと顔と成績と性格がいいからって調子に乗ってないか?』

「平田か……。サボり魔に言われたくねーよ。あと褒めてくれてありがとう」

『るせー、皮肉だよ! ……んで、今日はどうしたんだ? らしくねーな』

「ああいや、明日みんなで飲み会するだろ? それまでにアルコールに慣れとこうと思ってさ。度数15%って書いてあるやつを一気飲みしたとこまでは覚えてるんだけど」


 何度も殴られたかのようにずきずきと痛む頭を抑え、俺はベッドから体を起こす。まだ視界が回っている。背中が焼けるように熱い。

 タンスの横にある姿見を見るが、慌てて俺は携帯に視線を落とした。


『…………おい、裕介』

「……ん? どうした?」

『…………てめえ! なんっだよ明日の飲み会って! 聞いてねえぞ俺も呼びやがれ!』

「あれ、そうだっけ? てか大声出すなよ、頭痛いんだから」

『わかった、すまん』


 今日はやけに素直だ。いつもならうるせー、なんて突っかかってきただろうに。


『でも明日の飲み会は……俺も行くから』


 平田は言葉通り、本当に寂しそうに語りかけてきた。


「俺はいいけど。お前は大丈夫なのかよ?」

『……ああ。仲間を作るためには、自分から努力をするのが必要だからな』

「ふーん。じゃあ明日来いよな」


 その気持ちはわからない。俺は空返事で答え、通話終了ボタンを押した。

 人気者は、努力家なんだな。

 

 平田は決して整った顔立ちとは言いがたいが、持ち前のトークセンスで俺の取り巻きの女の子たちから遊びに誘われることが多かった。

 そんなある時、飲み会の誘いがあり、平田は初参加ということもあり張り切って飲んだらしい。俺は未成年だったから不参加だったが、それはもう酷い酔っぱらい具合だったようで、その噂はあっという間に学部内に知れ渡った。

 今では以前のようなキレはなく、講義にも居づらくなっている。


 平田が人気者じゃなくなった理由は、自分の醜い部分を知られたからだ。

 でも、俺もこいつと同じだ。

 現人気者の俺にも、誰にも言えない秘密がある。


 それは――――。

 強ばった背中から伸びた漆黒の羽。体の一部のように肩甲骨の根本から生えており、切り離そうとしても痛いだけ。うまく動かせないから飛べずに、邪魔で、醜いだけ。


 叶実さんと俺が心底嫌う、カラスの翼。

 

 俺は深々と溜め息をつき、苦痛に顔を歪ませながら再び姿見を見つめる。


「……ふう。寄りによって、このタイミングかよ」


 俺は出来る限り翼を大きく動かした。散った羽を一つ拾いあげ、先日のことを思い出す。


『朝から嫌なものみちゃったみたい』

『最悪な一日になりそう』


 カラスの翼だなんて、嫌悪されるに決まっている……不吉の象徴だとされる黒い翼なんて……。

 一部のマニアにはウケるかも知れないが、鳥類であるから翼は映えるのであって、実際俺のように人間から生えていたら気持ち悪いだけだ。それに、トキなど日本の象徴ならまだしも、不吉の象徴だ。これがバレたら誰も近寄ってはこないだろう。


 原因は、高校生の時に参加した治験だと思う。

 あの時俺は、学校で親のすねかじりだと馬鹿にされ、悔しくて自分でもお金を稼ぎたいと思った。

 しかし、高校生を……ましてや高校一年生を受け入れてくれるアルバイトなんてそうそう見つからなかった。

 あれこれ探しているうちに見つかったのが、日給の高い治験だった、という訳だ。


 治験当日に、指定した場所までバスが迎えに来た。マジックテープで外は見ることができず、気がついたら山奥の大きな施設に着いていた。

 体育館のような広い部屋に案内され、ざっと100人くらいか? 俺たちは一人一人別の薬と水の入ったコップを渡され、そのまま飲んだ。


 帰った後は当然親にこっぴどく叱られたし、今思えば俺はなんて愚かな行為をしたんだ、とひどく後悔している。

 その年は何も起こらなかったが、次の年の春頃から翼が生え始めた。


 俺は人体実験されるかも知れないという恐怖と、何より人から避けられるのが怖くて引きこもりがちになった。

 しかしずっとそうしている訳にもいかず、結束バンドで胸と翼を巻くことで服を着ても盛り上がらないようにしたことで外に出られるようになってきた。

 消極的な高校生活だったが、苦しいのは春の終わりだけ、ずっと動かさないと筋肉痛になるなど翼についても理解が増え、大学生になってからは自信を取り戻した。

 そこからは順調だ。そうして築き上げてきたのが今の地位って訳だ。

 しかし……。


「この翼がみんなにバレたら、この生活も終わりだろうな」


 大学生活……いやこの街にもいられないだろう。もっと言えば、日本にいられるだろうか?

 折角これからが楽しいって時に、翼は俺を嘲笑うかのように膨張してきている。

 大丈夫、痛いのはこの時期だけ……明日の飲み会を乗り越えれば、後は支障がでない範囲で大学を休もう。

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