第3話 炎の糸
トイレからハルさんがスッキリした様子でこちらに戻って来る。
男だと知って少し変な感覚ではあるが、その体格や声の感じ、そして僕の普段着を着こなす辺りはたしかにそうだとも思えてきている。
「ただいまー! 雪理さん、どうしたんですか?」
「いや、何でもないです」
こちらの様子を見て心配してくれたようだ。
それもあって本人がどう思っているのかは分からないが、直接言うのは気が引けた。
「壊したりしなかったじゃろうな?」
「いやいや、魔王城とかで使ったことあるやつとほとんど同じでしたから、大丈夫です!」
こちらの世界のトイレを普通に使って戻って来たハルさんに少し驚いている間に、ハルさんが僕の隣に腰掛ける。
しかし、どういうわけか、かなり僕に身を寄せてきているような。
それは気のせいだと思いながらも、これからの事についての話題を切り出す。
「落ち着いたようですし、これからの話を……」
「そうじゃったな。妾達はこちらで活動するにあたり、あまり派手には動きたくないんじゃ。故に巻き込む形にはなってしまったが、お主に協力してもらうのがいいとは思うのじゃが……お主の伯母だったか」
「えっと、カオリさんです」
「ふむ、そのカオリにどう説明するかじゃな」
そこに僕に重心を押し付けながらハルさんが割り込む。
「正直に話せば雪理さんみたいに納得してくれるんじゃないかな!」
「それならいいんじゃが、雪理の様子を見るとそうもいかぬ気がしてな」
「僕は何というか、こういう展開に備えるって程じゃないですけど、どこか期待してたとこもあったのかな? だからすんなり受け入れられたけど、伯母さんの場合は分からないからなぁ」
どこかの幼馴染のせいでいわゆる中二病的なこう、そういうものに対して耐性があるというか、感化されてきたというか。
それはいいとして、伯母さんに対しての説得案……一体どうすればいいのだろうか。
「幻術でしたっけ? あれで伯母さんからのあなた達の認識をどうにかできる魔法とか無いんですか」
「そういった術は確かにある……が、効き方に個人差がある上に細かい調整を含んでいると継続的に使うのも、妾が今使っている姿変えの術よりも負担が大きくてのう」
「そうなんですね……じゃあ、ハルさんはどうなんです?」
「ボクはそういうの苦手で全然使えないんだー」
「こいつは、単純な属性魔法においては妾以上の才を持っておるんじゃが、搦め手などに関しては全然ダメでのう。そういった幻術の類も使えん」
持ってる知識で思い付いた案を投げてみたが無理な感じみたいだ。
それとは関係ないが、特に気にすることもない様子で元気に無理だと教えてくれたハルさんの笑顔が眩しい。
「うーん」
「ふむ……」
「どうしましょうかー」
僕も2人も考えを巡らせるが時間だけが過ぎていき、日が高くなり始めたその時だった。
何処かから突然、悲鳴のような声が聞こえた。
「今のは!?」
「何じゃ!?」
「ん~?」
声の方を向くと一瞬だが、目の前に見える住宅街。その路地の奥から赤く炎が吹き上がったように見えた。
「あの路地から炎が!」
「なっ、火事か! 戦闘か!?」
「ふぇ!?」
本来であれば逃げるのが正解なのだろうけど、もしこの2人のように異世界からやって来た存在で、それこそ無差別に破壊行動を取るような奴だったら、この世界の人にどうにかすることはできるのか……?
その予想が外れたとしてもこの2人がいればきっと大丈夫だろう。
「確認しに行きましょう! ついて来てくれますか!」
「はーい!」
「そうじゃな……お主の判断に従おうか」
即答したハルさん。少し遅れて、考えを巡らせた素振りを見せてからジャドクナさんが答えた。
「ありがとうございます! 行きましょう!」
炎が見えた路地に僕達は駆け込んだ。
進みながら周りを見回すが、人の姿は見えない。
「多分この辺のはず……」
「ふむ、誰もいないようじゃが……」
「雪理さんの気のせいだったのかな?」
だが、その時。
前方の道から轟音とともに先程見たような炎が……いや、爆発が起きたように見えた。
「また! あそこからです!」
道の方を指差す。
「あそこを曲がった所じゃな! ハル、念のため戦えるように構えておくのじゃぞ」
「はーい、ドクナ様!」
「その時はよろしくお願いします! 急ぎましょう!」
爆発が起きた道に入るとそこは行き止まりだった。
そして、その奥に1人の男が壁の方を向いて立っていた。
その男の傍らには黒い……人の形をしたものが転がっていた。
「まさか、あれは……人!?」
それは黒焦げになった人間のようだと気づくが、余りの衝撃からなのかそれを見ても不思議と吐きそうになるようなことはなかった。
そして、僕が声を上げたことで男がこちらに気づいたようで、こちらに振り向いた。
「ほう、少し派手にやりすぎたか。だが、追手ではない……か」
明らかに現代から浮いた服装の後ろ髪束ねた赤髪の男は、その鋭い視線をこちらに向ける。
「下がれ、雪理。こいつは危険じゃ……!」
「うん、ドクナ様の言う通りかも……」
状況からしてそれはある程度は察することができたが、2人は僕を庇うように前に出た。
戦ってもいないのにそのような判断をするということは、もしかして目の前のこの男も異世界から来たのか?
確かにその服装からして現代のものではないということは分かる。
そして、放っているその威圧感……僕もそれを感じているということは、2人はこれ以上のものを感じているとでもいうのか……。
「奥の男は帰還者でもない取るに足らん存在か……しかし、女2人……いや1人は男か。お前達から感じるこれは……そうか、彼の世界の者か」
僕の前に立つ2人を見て、何かを確信したかのように男は目の色を変えた。
「どういうわけかこの世界に戻されて以降、つまらん相手しかいなかったのでな。お前達から感じるこの感覚は、彼の世界でも上位にあたるものと見た」
そう言った直後。男は包帯のようなものを巻き付けた腕をジャドクナさん達に振りかざしたかと思うとその瞬間、腕から目の前の2人に向かって炎が噴き出す。
「ハル!」
「分かってますよ! えい!」
その攻撃に即座に2人も反応し、ハルさんが地面に手を当てると目の前から水が勢いよく吹き出し、2人を守る壁のように迫る炎を防ぐ。
「この程度は防いでみせるか。ククク……これは久しぶりに楽しめるかもしれん」
男は薄っすらと笑みを浮かべると、2人に向かってゆっくりと歩き始めた。
「幻術か何かで誤魔化しているようだが、解かねば本気は出せまい?」
「そこまで見抜いておるか……!」
その言葉の通りにジャドクナさんが素早く幻術を解き、2人が元の姿に戻る。
「ほう、その姿はラミアか何かか。そして、もう一方の男はダークエルフか。さて、これで枷は無いだろう……楽しませてもらおうか!」
男は包帯巻きの両腕に炎を纏わせ、片方の拳を地面に叩きつけると、そこから数本の炎の線が2人に向かって進み始める。
「また!? でも!」
ハルさんが再び水の壁を作ろうとするが地面を進む炎の線が浮き上がり、ハルさんの腕に巻き付く。
「熱っ! これは糸!?」
「ならば!」
ハルさんに絡みつく糸をジャドクナさんが、魔力か何かを纏わせたように見える手刀で即座に断ち切った。
「ドクナ様、ありがとうございます!」
「くっ、同じ手は通用せんようじゃな」
ハルさんを抱え、後方に退避したジャドクナさんがこちらを振り向く。
「雪理、お主は早くここから離れるのじゃ!」
「は、はい!」
恐怖を振り払って立ち上がり、後ろを向いたその時だった。
目の前に炎を纏った巨大な蜘蛛の巣のようなものが現れ……いや、既に張られていたものに炎を纏わせたのか!?
「なっ……!」
「誰かを呼び、余計な邪魔が入っても困るのでな。お前は、俺とこの者達との戦いを見ているといい」
男の言葉通りにせざるお得なくなってしまった。
この状況……僕に何ができる。ジャドクナさん達が勝つことを祈るしかないのか?
対峙する男と2人を後方で眺めながら、考えることしか僕にはできなかった。
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