第18話 こうして夜は更けていく——
「はぁ……疲れた……」
蓮華の部屋で、翠は一人呟いた。
「着替えはどうにかなったけど、お風呂を出た後も女装しないといけないのかぁ……」
今の翠の格好は、蓮華が持っていた大きめのシャツとズボンだ。
とはいえ、下着まで蓮華のものを借りたわけではない。
着替え問題に気が付いた際、まず問題になったのは自分の家に帰れないという事だった。
というのも、少しだけ翠が大きいとはいえ、翠と蓮華の背丈にそこまでの差がなかったからだ。
『着替えを取りに行くって言ったら、絶対お母さんは私のを借りればいいって言うと思う』
蓮華の弁だ。
そしてそれは、その通りになった。
困り果てた挙句、蓮華の機転によって社長に連絡。
さすがに社長の服を着ると怪しまれてしまうので、蓮華が持っていた大きめのシャツとズボンを借り、下着は社長の物を借りることになったのだ。
それでも、服を貸すことになった蓮華は顔を真っ赤にしていたが。
「あの時の社長怖かったなぁ……」
どうやら翠が泊まることになった旨は、社長には伝わっていなかったらしい。
蓮華がそれを伝えると大変驚いていたようだ。
そして、翠が電話を替わると——
『この前言ったこと、忘れてないよね?』
そう、だいぶ真に迫った声で言われてしまった。
羽目を外すなと言われても、翠にとって今日の出来事は巻き込まれ事故に近い物であったし、明日は配信もあるため夜更かしをするつもりなんて無いのだ。
「そもそも俺、ゲームとかやらないし」
いつもと変わったことといえば、日課にしている動画についての勉強ができないのと、ちまちまと売っている手芸品が作れないことくらいか。
むしろ、翌日の配信について打ち合わせができる分、効率よく仕事が出来ているはずなのだが——
「うん?」
翠が社長に言われてことについて頭を悩ませていると、控えめな音を立てて扉が開く。
その音の方向に翠が視線を向ければ、少し濡れた髪をした蓮華が部屋に入ってくるところだった。
「あ、おかえり」
「た、ただいま……」
自分の部屋であるはずなのに、恐る恐るという表現が似合う様子で部屋に入る蓮華。
黒い短めのパンツと灰色のパーカーという格好で、風呂上がりのせいなのか頬はわずかに赤みを帯び、うっすらと濡れた金の髪は輝いている。
「ごめんね、時間かかっちゃって」
「ううん、大丈夫」
「バレなかった?」
そう言って蓮華が見たのは、翠の下に敷かれていた布団だ。
小テーブルが退かされ、蓮華のベッドの下に敷かれたこの布団は、蓮華がお風呂に入っている間にイレイナが持ってきて敷いていったものである。
風呂に入ったことで化粧が落ち、蓮華の服を着ているだけの翠の事が心配だったのだろう。
しかし、翠は首を縦に振る。
「うん、バレなかった」
「そっか、良かったぁ……」
「…………」
複雑で何も言えない。
いくら蓮華の服を借りていたとはいえ、化粧もしていないのに男だとバレなかったのは正直翠にはキツイものがあった。
そして、それが伝わったのだろう。蓮華の表情が気まずそうなものへと変わる。
「あはは……明日の配信尾打ち合わせでもしようか?」
「うん……」
小テーブルの上にノートパソコンの準備する蓮華。
打ち合わせが始まれば、翠も落ち込んだ気持ちを復活させて話し合いを始めた。
気まずさを紛らわせるように、落ち着かなさを紛らわせるように。
こうして夜は更けていく——
* * *
(——わけないじゃん!!!!)
自分のベッドの上で、蓮華は心の中で絶叫した。
時計を見れば、時刻は深夜の二時。良い子は寝ている時間である。
(翠くんが隣にいて寝れるわけないじゃん! ドキドキが止まらなくて全然眠くならないよ!!!)
そっと体を動かしてベッドの下を覗き込む。
そこには、すぅすぅと静かな寝息を立てて眠る翠の姿があって。
(私はこんなに眠れないのに……というか、翠くんはなんで寝れるの!?)
……異性だと認識されていないのだろうか?
(それとも、ただの友達だと思われてる? 意識する価値も無いってこと……?)
これでも、自分の容姿には自信があるのだ。
スタイルだって気にしているし、そのおかげか友人である萌愛と桂花にはスキンシップが多くなるくらいには羨ましいと言われている。
今日だって恥ずかしいのを我慢して服を貸し、風呂上がりの姿を見せ、こうして二人一つの部屋で寝ているのだ。
それなのに、当の本人は打ち合わせが終わると「ふぁ……」と可愛らしい欠伸をして、寝てしまった。
(たしかに、眠そうだったから私から寝よっかって言ったよ? でも、こういう時って寝れなくなるものじゃないの?)
ここまでぐっすりと寝られると、悔しさを通り越して悲しくなってくる。
(まあでも、翠くんの寝顔、可愛いなぁ……)
悲しくはあっても、こうして可愛らしい寝顔を見ることが出来て嬉しいと思ってしまうのは恋心ゆえか。
自信は打ち砕かれてしまっても、あどけない表情を見せて寝ている想い人の素顔が見れたのならば悪くはない。
(普段は髪で目元を隠してるし、撮影の時はこうまじまじと見ることなんて無いから……ちょっと新鮮……)
こんな顔を見れているのが自分くらいなのだと考えると、優越感を感じてしまう。
幼馴染である恭平は見ているのかもしれないが、今の蓮華にはそんなこと頭の片隅にも浮かんでこなかった。
代わりに浮かんできたのは、ちょっとしたいたずら心で。
(今なら、もうちょっと近づいても気付かれないかな……?)
なるべく音を立てないようにして、ベッドから降りる。
そして、寝ている翠の横に手をついて、蓮華は彼の顔を眺めた。
(うわぁ……本当に睫毛長いよねぇ……肌もキレイだし……本当に男子かって疑いたくなるよね。翠くん、肌のケアとかしてなかったのに)
これは、翠にメイクを教えた蓮華だから知っていることだ。
とはいえ、普段からケアに抜かりがない蓮華としては複雑なところではあるのだが。
「…………」
上から下まで。
蓮華は翠の寝顔を堪能していく。
わずかに聞こえる息遣いが先程よりもはっきりと聞こえて顔を赤くし、それでも、どうしても離れることが出来なかった。
(ふぅ……そろそろ私も寝ないと……)
数分程そうしていただろうか。
十分に堪能し、蓮華は体を起こそうと腕に力を入れた——次の瞬間。
「ううん……」
「っ……!?」
静かに響いた翠の声音と布がこすれる音。
その音が聞こえた後、蓮華の手のひらは温かいものに包まれていた。
なんてことない、寝返りをうった翠が蓮華の手を握っただけ。
しかし、蓮華にとってそれは事件で。
(にぎっ!? 翠くんが私の手を——!?)
もうすでにパニックである。
自分から握ったことはあったが、それは撮影のためだったりと心の準備が出来た。
抱きしめられたことはあったが、あの時は心にゆとりがなかった。
しかし、今は違う。
心の準備は出来てないわけで……それでいて、彼の柔らかくも、女である自分とは違う確かな無骨さを感じてしまう。
(落ち着いて……お、おちついてぇ……)
そう、しっかりと握られたわけじゃない。
蓮華は心を落ち着かせるように努めて、ゆっくりと手を引き抜いた。
スッと立ち上がり、廊下へと続く扉を開く。
そして、パタンという扉がしまう音を聞き終えてから——
(ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)
今日は眠れそうになかった。
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