第17話 最大の問題




「お、お母さん!?」


「蓮華……汚いわよ」


「そうじゃなくて! いや、そうかもしれないけど、そうじゃなくて……!!!」


 一緒にお風呂。

 その言葉に明らかな動揺を見せる蓮華に対し、イレイナは娘の奇行に眉を寄せているだけだった。


「いったい何が言いたいの? 女の子同士なんだから別にいいじゃない。裸の付き合いというのも友達付き合いには大事な物よ?」


「そうかもしれないけど……いや、そうかもしれないわけでもなくて……」


「蓮華、あなたいったい何が言いたいの?」


 イレイナの目が苛立ったように細められる。

 当然といえば当然だ。彼女は水花——つまり翠の事を女の子だと思っているのだから。

 そんな彼女の眼差しを受けた蓮華といえば。


「な、何が言いたいのって言われると……なんというか……その……」


 もじもじと。

 テーブルの下で落ち着かなく指を弄っては、チラリと翠へ視線を動かして、そして逸らしてをくり返していた。


 当たり前だ。イレイナが知らないだけでこちらは異性あり、付き合ってもいない間柄なのだから。

 それに、たとえ付き合っていたとしても、異性と一緒のお風呂に入るのは翠には考えもつかないわけで。


「あの、えっと……さすがに一緒には入るのはちょっと……」


「スイ……」


 おずおずと翠が口を挟むと、蓮華の表情が明るくなった。

 どうやら援護射撃としては成功らしい。蓮華の顔に力が戻る。


「ほら! もうお母さんの考え方は古いんだって」


「そうなの? だって日本の人は背中を流し合って仲を深めるんでしょう?」


「お母さんは昔の映画とかを見すぎなの! 今どきそんなことする人なんていないから!」


「へぇ~?」


 キョトンと、よく分かっていないような表情を見せるイレイナ。


「とにかく! 私だって恥ずかしいし、スイも恥ずかしいって言ってるんだからこの話は無し! それでいいよね!?」


「あっ、うん……」


 少し荒い蓮華の問いかけに、翠は少し遅れて頷く。

 続いてイレイナを見ると、少し残念そうではあるが納得はしたようだ。これ以上は言えないと口を閉ざしていた。

 そのことに内心安心して翠がホッと気を吐き出すと、不意に隣の席が後ろへと動く。


「ごちそうさま。じゃあ私たちは部屋に戻るから……スイ、行こう?」


「あ、うん」


 翠は視線で訴えかける蓮華に促され、席を立つ。


「えっと、グラスはどうすればいいですか……?」


「ふふふ、片付けておくので大丈夫ですよ」


 微笑むイレイナ小さく頭を下げ、リビングを後にする蓮華の後に続く。

 その背後、不意に掛けられた「そうだ水花さん」という声に足を止めると、イレイナがふっと優し気な笑みを浮かべていて。


「……個人差があるものだから恥ずかしがる必要は無いですよ?」


「え?」


 ……何のことだろう?


 意味が分からず、翠は首をかしげてしまう。

 分かることといえば、彼女の視線は翠の顔ではなく、少し下に向いていることぐらいで——


「お母さん!」


 なにかに気が付いたらしい蓮華の大声がリビングに響き渡った。






「まったく、お母さんってば!」


 語気を荒げている蓮華と共に、彼女の部屋に入る。


「それで、さっきのはどういう意味だったの?」


「翠くんは知らなくていいことだよ?」


「あ、はい」


 なんとなく聞いただけだったのだが地雷だったらしい。全く笑っていない蓮華の笑顔に翠はこれ以上追求してはいけないと悟る。

 そのまま無言で向かい合わせに座って。


「…………」


「…………」


 ……完全に話題が無くなってしまった。


 蓮華の母からお風呂に入れと言われたのはいい。

 ひとまずは別々に入ることが出来るのだし、それ自体は問題がないといえる。


 だが、少し考えて欲しい。


 もしも、もしもの話だ。

 翠の方から「お風呂先にどうぞ」と言ってしまえばどうなるだろうか?


 明確な理由はない。

 しかし、翠はそれを言ってしまったら最後。蓮華に軽蔑されてしまうのではないかと考えてしまった。

 そんな気がしてしまったのだ。


 そして、一度その考えが頭によぎってしまった以上は、翠から言えるわけもないわけで。


「…………」


「…………」


 何度目かも分からない気まずい沈黙が漂っている。

 お互いがお互いの出方を疑い、何て声をかけるか悩んでいる状態。


 そんな中、勇気を出して声をかけようとしても。


「「あの……」」


 同じタイミングで声を発して、同じように口を閉ざしてしまう。


 恭平だったのならどうしたのだろうか?

 やはり、明るく笑いとばしてその場を和やかにしてくれるのだろうか?


 そんなことを考えてしまうが、いま恭平はいない。

 それにお仕置きだったとはいえ、突き放してしまった以上は助けを求めることも出来ないのだ。


 背中に汗をかいたようで冷たい。

 その居心地の悪さに翠が身じろぎをすると、蓮華が口を開いた。


「み、翠くん、お風呂入ってきたら?」


「あ、ああ、うん、分かった」


「あっ、そうだ、場所分からないよね? あ、案内するね」


「う、うん、お願い」


 ぎこちなく笑い合い、お互いに腰を上げる。

 そして二人で部屋を出る途中、翠は最大の問題に気が付いた。


「あっ、着替えがない」


「あっ……」


 完全に忘れていたと言わんばかりに漏れた蓮華の声が、彼女の部屋に虚しく木霊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る