第16話 夜になって
「…………」
「…………」
——夕方。日が沈んだ夜ともいえる時間。
母に許可を出されてしまい、どうにも逃げ道を無くした翠は、蓮華と共に向かい合って座っていた。
「…………」
「…………」
気まずい……。
いや、正確には何を話していいのかが分からないといった方が妥当だろう。
翠が友人の家に泊まったことなど恭平一人だけであったし、友人ではあれど異性の家に泊まる経験など一度も無い。
それどころか、異性の部屋にくるのも初めてなのだ。
蓮華のマンションでは撮影のため——つまりは仕事だった。
しかし、今は仕事ではなく友人として友人の家に泊まりに来たという状況なわけで。
(どうしよう……なにか話題は?)
正直、翠には今話せる話題などない。
基本的に翠の生活は蓮華と一緒の事が多いため、彼女が知らない話題が無いのだ。
(蓮華が知らない話といえば……いや、これはマズい気がする)
唯一思いついた話題はといえば、後輩に告白されたことぐらいである。
しかし、翠は直感的にそれは話してはいけないと察し、頭の中で振り払った。
そしてまた静かな時間が始まってしまう。
「…………」
「…………」
チラリと蓮華の様子をうかがう。
すると、ちょうど彼女も同じようにしたようで目が合ってしまった。
「…………」
「…………」
再びの沈黙。
最初は普通に話せていたのに、泊まることが決まってしまってからどうにも上手く会話が出来ない。
その理由がよく分からず、翠は内心首をかしげてしまう。
そんな時、蓮華の眼差しが再び翠へと向いて。
「あ、あの——」
——コンコン。
同時に響いたノックの音に、蓮華の唇が開きかけた状態で止まった。
『夕食の準備が出来たからリビングに来てください』
扉の向こうから聞こえたのは、蓮華の母であるイレイナの声。
用件を伝え、離れていく足音。
その音を聞きながら、翠は止まったまま顔を赤くしている蓮華へと視線を戻して。
「えっと、どうしたの?」
「なんでもな——つぅ!?」
慌てた様子で立ち上がろうとした蓮華が膝をテーブルの裏にぶつけた。
蓮華と共にリビングへ。
昼間に座ったソファとは違う——その奥。
四人掛けのテーブルには、すでに一人が席に着いていた。
「お待たせお母さん」
「お待たせしました」
「いいえ、気にしないで。どうぞ座ってください」
「失礼します」
にこやかに告げるイレイナに促され、翠は席に着く。
その隣、蓮華が座るのと同時に用意されていた料理を見て意外そうに口を開いた。
「あれ、珍しいね? お母さん和食好きだから和食だと思ったのに」
「水花さんが和食をよく作ると聞いていたので」
「えっと、ありがとうございます」
中央に花が飾られたテーブル。そこに用意された綺麗な意匠が施された白い皿からは同じく白い湯気が上がっている。
その白い煙の奥、白の皿に鎮座していたのは翠では滅多に味わうことが出来ない料理——ステーキだった。
ほどよく火の入った肉は明らかに高級であり、皿を飾るようにかけられたソースと丁寧に盛りつけられた野菜。
それらはまるで芸術のようであり、翠はそれを目の前にしてゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「で、でもマナーとかは……」
控えめに言っても貧乏な翠は、高級な店など入ったことも無い。
毎日の食事はスーパーのタイムセールで勝ち取ってきた食材で作った和食であり、テーブルマナーとは無縁だったのだ。
「水花さんはお客さんなんですから、気にしないで下さい」
「そ、そうですか……」
ニコリを微笑みかけられ、翠はホッと息をつく。
正直、ナイフとフォークで食べるくらいしか知らないためありがたい。
「そうそう、料理なんて美味しければいいんだから! スイは楽しめばいいんだよ」
「蓮華はもう少しマナーを気にしなさい。あくまでも水花さんがお客さんで、あなたはもてなしている側なんだから」
「はーい」
母に呆れた眼差しで見られ、蓮華が唇をわずかに尖らせる。
そんな落ち着いた雰囲気で食事は始まった。
「いただきます…………おいしい」
「そうですか? よかったです」
翠の口から漏れた言葉に、イレイナがホッとしたように笑みを浮かべる。
……おいしい。
正直、そうとしか感想が出ない程衝撃だった。
切り分けたステーキの中はまだ赤く、焼き加減としてはレアだろう。
肉質は柔らかく、歯で簡単に嚙み切れてしまう固さで、ソースもしっかりとした味付けながらもほどよく爽やかさがあり、いくらでも食べられてしまいそうだ。
(うーん、このソースの作り方教えてもらえないかな?)
固さという差はあるが、少しアレンジすれば安い肉でも美味しく食べられる料理が作れそうだ。
しかし、食べ始めてからというものの、蓮華もその母であるイレイナも翠が漏らした言葉に答えただけで、それ以外は一言も発さずに食事を続けている。
マナーに疎い翠ではあるが、食事中は気軽に話してはいけないだろうと考えて質問をするのは控え、その代わりに自身の舌でソースの味を分析していった。
(柑橘系の香りがするからオレンジとか使ってるのかな? でも、そういうのって産地でも味が変わったりするらしいし……あっ、でも少量ならそんなに関係ないかも。ほのかに香るくらいだし)
一口、二口と。
口に含むごとに考えを巡らせ、その味を楽しみながら勉強していく。
そうして全員が食べ終え、食器が片付けられて一息ついたころに事件は起こった。
「蓮華」
「ん?」
食後のコーヒーを口にしたイレイナの言葉に、蓮華がジュースを飲みながら反応する。
飲み物を口に含みながら返事をするのはマナー違反ではあるが、翠がいる手前見逃してくれたのだろう。イレイナはピクリと眉を動かすもそれを咎めなかった。
しかし、その代わりに——
「お風呂の準備も出来てるから水花さんと一緒に入ってきたら?」
「ぶっ!?」
蓮華の顔の前でジュースの水しぶきが上がった。
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