第13話 星野 イレイナ




 蓮華との口裏合わせがだいたい済んだ頃——


「——蓮華」


「あっ、お母さん終わったみたい」


 扉の奥から聞こえたその声に、蓮華がふっと顔を向けた。


「じゃあ翠くん、悪いけど……」


「うん」


 二人で顔を合わせて頷きあう。


 ここから先は、危険と隣り合わせの綱渡り。

 もしバレてしまえば、蓮華と一緒の活動はもうできなくなるだろう。


 またも同時に二人で大きく息を吐き出すと、またまた同時に立ち上がった。




 蓮華の部屋を後にして、リビングへ。

 前を進んでいた蓮華が扉を開け、後に続いてリビングへと入る。


 目の前に広がるのは、大きな家に似合ったリビング。

 掃除が行き届き、高級さがうかがえるソファには一人の女性がすでに座っていた。


「今日はわざわざお越しいただいてしまって申し訳ありません」


「あ、いえ、大丈夫です」


「蓮華、飲み物を淹れてきてくれる? 私の分はあるから二人の分を」


「はーい」


 蓮華が翠の元を離れ、キッチンへ歩いていく。


「どうぞ座ってください」


「あ、はい、失礼します」


 促されるままに翠はソファに腰を落とす。

 そうして顔を上げれば、蓮華とよく似つつも違う女性の顔があった。


「改めて、本日はよくお越しくださいました。蓮華の母のイレイナです」


「……どうも、スイ……高宮 水花すいかです」


 蓮華と相談して決めた名前を答えながら、翠は蓮華との違いに納得をする。

 名前から察する通り、外国人なのだろう。そして、蓮華は母の影響を受けながらも日本人の父に顔立ちが寄ったといったところか。


 鼻の高さやスラリとしたしなやかな体つき、一目見て外国人だと分かる顔立ちは蓮華には無いところだ。

 とはいっても、蓮華の顔立ちも非常に整っているところや、同じように光を反射している金の髪色は母親譲りかもしれないが。


「無理を言って来ていただいて申し訳ありません。もう少しで蓮華が飲み物を持ってくると思いますので」


 翠と遜色のない日本語を話すイレイナはチラリとキッチンへ目をやる。

 翠も同様に視線を追いかければ、ちょうど蓮華がグラスを二つ持ってきて。


「スイ、お待たせ」


 麦茶の入ったグラスを翠の前とその隣に置き、蓮華自身も翠の隣に腰を下ろす。

 すると、その様子を黙って見ていたイレイナが目を細めた。


「蓮華、棚のお菓子も持ってきて」


「えー……」


「そんなに遠くないでしょう。それに、お客様に飲み物しか出さないつもりなの?」


「……はーい」


 再び蓮華がキッチンへ。

 それを見送っていると、目の前の女性が深く頭を下げる。


「すいません。大したおもてなしもできないで……」


「い、いえ、き、気にしないで下さい」


「そうですか……そう言っていただけると助かります」


 翠の言葉に少し安心したのだろう。イレイナが少しだけ表情を和らげた。

 だが、その表情を再び渋いものに変えて。


「娘……蓮華があなたの家で食事を一緒にしていたようで、その節は本当に申し訳ありません。夫から貴方の家の事情も少しですが聞いています。負担をかけてしまったようで」


 もう一度頭を下げようとするイレイナ。

 翠はそんな彼女を慌てて止める。


「いえ、もとは母が言ったことですので気にしないで下さい! それに、一人分増えたところでそこまで負担じゃないですし、蓮華にはすごい助けてもらっているので、俺としても——」


「俺……?」


「あっ、すいません。小さい頃から男子と遊んできたんで、俺っていうようになっちゃったんです」


「そうだったんですか、ごめんなさい勘違いしてしまったみたいです」


 一瞬のうちに剣呑な雰囲気を纏ったイレイナに、翠はどうにかその場を乗り切った。

 そして心の中で大きな息を吐き出すと、続きを話していく。


「俺としても、蓮華の力になれるのってこれくらいしかないから……負担だなんて思ってないです。それよりも、一人暮らしを始めて大変な蓮華の助けになれてるのが嬉しいくらいで」


「…………」


「お待たせ! なに出すか悩んじゃって……って、どうしたの?」


 沈黙したイレイナと対照的に、蓮華が楽し気な雰囲気で戻ってくる。

 そして、混沌と化した空気を前に蓮華が首をかしげると。


「よかった……あなたのような人が蓮華のお友達でいてくれて」


 イレイナは安心したような、どこか救われたような笑みをこぼした。


「これからも蓮華と良いお友達でいて下さい」


「お母さん!? ちょっと恥ずかしいって!」


「あなたはこんなに良い友達を持ったことをちゃんと実感しなさい。まったく、我が儘ばっかりで振り回してないでしょうね?」


「それは……?」


 スッと逸らされる視線。

 その行為を見たイレイナの整った顔立ちに……特にこめかみにしわ皺がよる。


「はぁ……いつも言ってるでしょう。親しき者にも礼儀あり……いくら親しい友達でもいくらでも迷惑をかけていいわけじゃないって」


「それはいつも聞いてるってば! というかお母さん。スイの前でそんな話しないでよ!」


「話されたくないならちゃんとしなさい。水花さんは俺って自分の事を呼んでるし、男性っぽい格好をしているけど礼儀正しいし、普段から家事もこなしてるんでしょう? そんな彼女にこれ以上迷惑掛けられないわよ!」


「うぐっ……!」


 予想以上に効いたのか、蓮華が喉を詰まらせる。

 現状は蓮華が劣勢。しかし、突然始まった親子喧嘩に翠は割り込むことなんて出来ず、黙ってその場の空気になるしかない。


「そ、それは……そうかもしれないけど……というかお母さん! この後仕事じゃなかったの!? 早く行かないと——」


「この後の仕事はキャンセルしました」


「っ——!?」


 唯一の希望さえ潰えた蓮華が言葉を失う。

 同時に、翠にはこの家の勢力図が見えた気がした。


「そうだ!」


 イレイナが何か思いついたように両手を合わせる。


「明日は学校お休みでしょう? 今日は泊っていきなさい」


「いや、明日は配信が……」


「配信はいつもお昼の後でしょう? それなら朝帰れば大丈夫よね」


「…………」


 反論する手札を失い沈黙する蓮華。

 すると、イレイナの眼差しがスッと翠へと向いて。


「水花さんも泊っていってください。いつも娘が迷惑かけてきたお返しとして」


「は……?」


 翠の思考が停止した。

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