第11話 一難去って




「誰も……いないよな?」


 散々悩んだ後、結局手紙に書かれていた場所に行くことにした翠は体育館裏を覗き込む。

 あんな事をしてしまった以上、恭平は頼れない。そのため、本音を言えば行きたくはなかった。

 けれど、そのまま帰ってしまうのはどうも気持ち悪く、こうして様子を見ているのである。


「うん、いない」


 覗き込んだ先には誰もいなかった。


 もとから人が来るような場所ではないのだ。

 体育館裏に呼び出しなんて、ひと昔前の喧嘩か告白くらいなものだろう。


 悪戯されたと思うと苛立つ部分はあるが、こうして何事も無かったと思えば悪くない——そう、翠が胸を撫で下ろすと。


「来たわね……」


「ひゃ!?」


 背後から聞こえた声に翠は肩を跳ね上げる。

 慌てて背後に視線を動かすと、背後に女の子が立っていた。


「さっきぶりね」


「如月さん……?」


 声をかけてきたのは如月 玲奈——なにかと翠と縁のある少女だった。

 勝ち気な眼差しに、肩のあたりで跳ねている黒髪。まだ数回しか会ってはいないが、活発な印象を受ける彼女。

 しかし、今に限って言えばその眼差しがどこか不安げに揺れていて。


「えっと……ハンカチなら洗濯して返すから」


「え? あ、ああ、ちゃんと洗濯して返しなさい」


「う、うん」


「「…………」」


 会話が続かない。

 人見知りな翠には、会ってまだ数回の人と上手く話すのは難しいのだ。

 それに、初対面からキツイ言葉を言われたからか、翠には目の前の少女にどうも苦手意識がある。


「「…………」」


 お互いに相手の出方を伺う。

 口を開こうとすると相手も何か言おうとしていて口を閉じる——その繰り返し。


 上手く会話をすることが出来ず、もどかしさが胸に燻っていく。

 そんな中、如月は口元を結ぶとビシリと翠を指さして。


「……あ」


「あ?」


「あれよ……キチンと洗濯して……柔軟剤もよ? で、アイロンをかけて——」


「えっと……」


 強気な姿勢はどこへ行ったのか、少女の口から紡がれる声は微かで、小さくなっていく。


 ……いったいどうしたんだろう?


 初めて見る彼女の姿に、翠もどうしていいのか分からずおどおどとしてしまう。

「来たわね……」と言っていたことから、翠を呼び出したのが彼女なのは確定なのだが、どうもその目的が要領を得ない。

 翠の初対面での印象であれば、彼女ははっきりとした物言いをしそうなものなのに、だ。


「アイロンも適当じゃダメよ。ぴっちりとしわを無くすように——」


「あの……」


「なによ?」


「結局何が言いたいん、だ?」


 如月が話しているのは本来の用事ではない——というのは翠でも分かる。

 だから率直に尋ねたのだが、彼女は翠を差したままの指をピクリと揺らがせて固まってしまう。

 そして、ゆっくりとその手を降ろすと、自身の髪を荒立てた。


「ああもう! こんな話をしに来たんじゃないのよ!」


 大振りに頭を振る少女。

 すると、手によって乱れた髪がおかげで多少整う。しかし、彼女はそんなことまったく気にもせずに、再び翠を指さして。


「率直に言うわ! あんたに一目ぼれしたのよ! 私と付き合いなちゃい!」


「…………」


「……付き合いなさい!」


 言い切った如月の顔は真っ赤に染まっていた。






「つかれた……」


 しばらくして、翠はようやく解放された。

 いや、解放されたというのは少し違うかもしれない……如月が逃げるように去っていっただけなのだから。


 告白された。

 でも、翠は断った。


 彼女への苦手意識や中学の時のトラウマがあるという事もある。けれど、違う理由もある気がする。

 自分でもよく分からない心境に、このまま頷いてはいけないと直感したのだ。


「でも、あんなに食い下がるなんて……」


「なんで?」から始まって「どうして」「どうしたら」と、様々な質問を投げかけられた。

 だが、翠にもちゃんとした理由が分かっていないのだ。結局曖昧な言葉しか返すことが出来ず、彼女は「諦めないから」と捨て台詞を残して走り去ってしまった。


「どうしよう……」


 学校の後輩であり、『スイレン』の後輩にもなる彼女。

 この後も何度も顔を合わせることが確定しており、そのことを考えるとどうにも気が重い。


「うわぁ、もうこんな時間か」


 時刻はおおよそ一時間が経っていた。

 つまり、それだけの時間詰め寄られていたというわけだ。


 自身の疲れに納得し、翠は体育館裏を後にしようと歩き出す。


「帰りにスーパー寄って……帰ったら洗濯物取り込んで……あっ、洗剤とシャンプーが切れそうなんだった……はぁ……」


 どうにも足が重い。


 いや、分かってる。

 罪悪感と、今後の気まずさが気持ちを重くしているのだ。


 とはいえ、それが分かっていようと気持ちが晴れるわけもなく。


「ほんとどうしよ……?」


 中学の頃に戻ったような気分だった。

 当時はしょっちゅう告白されて、その度に断って、そして罪悪感を感じて恭平に相談していた。


 ここにきてまた、恭平を見捨てたことへの後悔が募る。

 

 そんな気落ちした気分のまま、翠は体育館裏を後にした——次の瞬間。


 ——ピロン!


 ポケットに入れていたスマホから音が鳴り響いた。


「メール? 誰からだろ?」


 翠は足を止めると、スマホを操作する。

 スマホの通知画面……そこには差出人である蓮華の名前と「ごめん」という文字が。


「何かあったのかな?」


 ……撮影関係でトラブルでもあったのだろうか?


 撮影自体は蓮華のマンションでおこなっているため、可能性があるとしたら撮影したデータ関係だろうか?

 そんなことを考えながら、翠はメールの全文を確認するべくスマホを操作していく。


 そして——


『ごめん……次の日曜日お母さんと会ってくれる? 女装して』


「は? え? …………え?」


 翠はメールの内容を理解するのに、さらに三十分を要した。

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