第9話 新入生歓迎会
新入生歓迎会当日。
翠は学校近くにある川のそばで、黙々とゴミを拾っていた。
学校の意図としては違う学年同士で協力し、仲良くなろうというものなのに、だ。
というのも、翠にとっては真っ当な理由がある。
それは——
「君の名前が使えなくなってから、本の売り上げが落ちちゃってさぁ——」
一人目……黒川 美鈴。
一年生の冬、無断で翠をモチーフとした漫画を描いて売っていた一つ上の先輩だ。
翠としては苦手な部類であり、意外と社交的らしい彼女の性格も人見知りな翠にはキツイものがあった。
「だからやっぱり君の名前を使わせてよ。ちゃんと使用料は一定割合払うからさ」
「……お断りします」
「そんなつれないこと言わないでさあ」
先程からずっとこの調子なのである。
ボサボサ頭の翠と、とある筋ではとても有名らしい先輩。そんな二人が並んで掃除をしているとあっては注目を集めないわけがない。
そのため、先程からチラチラとこちらの様子をうかがう視線を感じてしまって、翠はどうにも居心地の悪さを感じてしまう。
「いいかげん離れて掃除しませんか?」
「えー……いいじゃないか。別に見られているわけじゃないし」
「見られてるんですけど……」
どうも翠の呟きは届かなかったらしく、先輩は一向に離れようとしない。
そのことにため息を吐き出すと、翠の視界の端に心底軽蔑するような眼差しが映った。
「……キモッ」
翠を見るなりこれである。
二人目……
新入生歓迎会の開始に自己紹介で名前を知った彼女は、先日の登校時に「キモイ」と翠に言い放った張本人である。
先日ぶつかってしまった苛立ちと、身なりを整えていない翠が心底嫌いらしく、他の人には気さくな態度を見せているが翠にはこんな態度なのだ。
髪を整えていないのは理由があるにしろ、好まれることではないことくらいは分かっている。けれど、ここまであからさまに態度に出されると翠としても傷つくわけで。
「はぁ……」
「ため息は良くないよ? 幸せが逃げてしまう。だから私の漫画に——」
「…………」
……もう逃げたい。
そんな心境のまま、翠は心を平静に保つように努力する。
しかし、そう簡単に心を落ち着けることが出来るわけもなく、少しだけ荒い歩みで川のそばに落ちていた空き缶を拾いにいって。
「あっ……!?」
ズルリと。
生い茂っていた雑草に足を取られたことを知覚した時には、翠の体は川へ投げ出されていた。
——ザッパーン!
直後、水面に背中を強かに打ち付けて川に沈んだ。
水流の音と、翠が落ちたことに気が付いた班員の声が水中特有の籠った音となって翠の耳に届く。
川の水深は深くなく、幸いにしてパニックに陥らなかった翠はすぐに川底に膝をつくと、沈んでいた顔を川の外へと持ち上げた。
「ゴホッゴホッ……ゴホッ! っ——」
咳き込んで、背中を打ち付けたことによるヒリヒリとした痛みにわずかに顔を歪める。
その少し後、翠の頭上から先輩の声が届いた。
「……大丈夫かな?」
「ゴホッ……なんとか……」
どうにか返事をし、顔を上げる。
ポタポタと水滴が滴る前髪の向こうには、班員全員が翠を見下ろしていた。
「君——」
「……? どうしたんですか?」
「そんな顔をしてたんだね」
「へ?」
……顔?
先輩の言葉の意味が分からず、呆けた声を漏らしてしまう。
けれど、川に落ちたという事実と、やけに鮮明に広がっている視界が翠に現状を認識させてしまった。
「せっかく美形なんだから目元を隠さない方がいいのに」
「……………………とりあえず上がります」
先輩の言葉で認識が確信に変わる。
水に落ちてしまったことで、わざわざボサボサにしていた髪がキレイになってしまったようだ。
元々真っ直ぐな髪質の翠だ。ドライヤーを駆使したセットでは水に濡れてしまうとすぐに戻ってしまう。
それを証明するように、川岸に集まっている班員の大半が翠のことをじっと見つめていた。
やはり、翠の事を知らない先輩後輩や、同じクラスになったことがない人には見慣れない光景だったのだろう。
川岸に向かいながら濡れた髪の水気を払えば、数人の女子から黄色い悲鳴のようなものが漏れる。
また、男子のものだと思われる「おお……」という感嘆の声が上がると、翠の背筋に寒いものが走った。
「最悪だ……」
水を滴らせながら川の上へ。
全身が濡れた気持ち悪さと、隠していた顔を見せてしまった気分の悪さ。
気落ちする二つの原因に肩を落としながら、翠はとぼとぼと川から離れる。
そうして向かうのは、班長でもある黒川の元だ。
「あの、先輩……」
「……だいたい想像で書いてきたけど、想像以上……これは捗るわ……」
「…………」
「これだけ中性的なら女装……? いや、男の娘? いっそTSも……」
「えっと、着替えてきますね……」
「いやでも——」
ぼそぼそと自分の世界に籠りながら呟く先輩に身の危険を感じ、翠は控えめに声をかけてから足早に彼女の元から離れる。
次に事情を説明するために監督をしている先生を探す。
すると、少し離れているが騒ぎを聞きつけたのだろう。ジャージを着ている先生がこちらへ走ってきているのが確認できた。
「じゃあ、ちょっと離れます」
「ちょっと待ちなさい」
先生の元へ歩いていく途中、声をかけられ立ち止まる。
声のした方向へ視線を動かせば、如月がスッと手に持ったタオルを翠に差し出して。
「か、風邪ひくから拭いた方が……いい、わ」
「…………」
脳内が疑問符で埋まった。
先程まで辛辣だった彼女だ。なのに、今は翠のことを案じてくれている。
それがどうにも信じられなくて、どうしても受け取る手が動かなかった。
「ほら! 受け取って!」
半ば強引に渡されるタオル。
少し無理やりではあるが、助かることには変わりがない。翠は数回瞬きした後、どうにか笑みを作った。
「あ、ありがとう……」
「っ——!?」
凄い速度で顔が逸らされる。そして、次の瞬間には如月は無言で離れていってしまった。
その素早さに翠は唖然としてしまう。けれど、すぐに我に返って。
「タオル……洗って返さないと怒られるよなぁ……」
翠は一度タオルに視線を落としてから、先生の元へと歩いていった。
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