第7話 却下




 社長の元を後にした翠は衣装部屋へと向かった。


 エレベーターに乗って下の階へ降りると、長い廊下を歩いていく。

 いまだに翠も入った事の無い部屋や、撮影に使った部屋。様々な扉の前を通り抜けて、翠は目的の部屋の前にたどり着くと扉を数回叩いた。


「高宮ですけど、大丈夫ですか?」


 衣装部屋には試着用に仕切った区画があるが、使用者が少ないためか使わずに着替えてしまう人がいるらしい。

 翠は遭遇したことは無いが、以前、蓮華に注意されたのだ。


 少し待つと、聞き馴染みのある声が扉の奥から響いてくる。


「翠くん? 大丈夫だよー!」


「失礼します」


 一声かけ、中へ。


 中に入ると、最初に出迎えるのは大きな着ぐるみだ。

 初めてこの部屋に入った時には驚いたものだが、今では無機質な目に愛嬌すら感じるようになっていた。

 翠はその着ぐるみをサラリと撫で、衣装部屋の奥へ。


「蓮華、どこにいるんだ?」


「こっちだよ!」


 川の字のように伸びた道を進んでいく途中、声が聞こえてきたのは衣装が掛けられた棚の奥からだった。

 翠は来た道を引き返すと、声のした方向へと向かう。


「こっちこっち!」


「おまたせ」


「大丈夫、服を眺めてただけだから」


「それじゃあ?」


「うん、もう準備は終わったよ」


 蓮華の視線の先、衣装部屋の奥に置かれている大きめのバッグはパンパンに膨れ上がっていた。

 どうやら、全て彼女にやらせてしまったらしい。


「ごめん、全部やって貰っちゃって……」


「いいの、いいの! それよりも、お父さんの用事は何だったの?」


「えっと……」


 笑顔で聞いてくる蓮華に、翠は少し視線を逸らす。


 ……なんて答えよう?


 思い出されるのは、彼女の父が言った「蓮華とは後で話さないといけない」という言葉。

 それは、明らかに説教の類だろう。

 仕事があるだろうから今日の夜か、それとも明日か、親から説教をされることがほぼ確定している彼女にどう話せばいいのか迷ってしまう。


「ん?」


 中々答えない翠にわずかに首をかしげる蓮華。


 ……胸が——心が痛い。


 当たり前ではあるが、蓮華は翠がしてきた話を知らない。だからこそ、無邪気に翠の言葉を待っている彼女の姿が心をえぐってくる。

 とはいえ、時間が経てば全て彼女に知られてしまうことは確実だ。


「すぅ、はぁ……」


「……どうしたの?」


 心を落ち着けるための深呼吸。

 当然、蓮華の眼差しが疑惑に変わってしまうけれど、仕方がないと折り合いをつけて。


「ちょっと落ち着いて聞いてほしいんだけど……」


「ん? どうしたの改まって?」


「蓮華がうちでご飯食べてるの、社長に話しちゃった……」


「え? …………え?」


 蓮華の表情が固まった。






「——そう、だったんだ……」


 衣装部屋の隅に座って話すこと数分。

 全ての事情を聞いた蓮華は、困ったように息を吐き出した。


「えっと、ごめん。俺知らなくて……」


「ううん、いいの。翠くんは悪くないから」


 ニコリと微笑みかけてくる蓮華。

 しかし、その笑みには少しばかり力がない。


「お父さんは翠くんの事情とかも知ってるから大丈夫だと思う。小言は貰うかもしれないけど、ちゃんと線引きはしなさいって言われるくらいかな? でも、お母さんの方がなぁ……」


「お母さん?」


「うん……」


 翠は蓮華から彼女の母親についてあまり詳しく聞いたことは無い。

 しかし、マンションに一人暮らしをする決めた時に定期的に連絡をする約束をしたと聞いていたので、娘想いの人なのだろうと想像していた。


 だが、目の前の少女の表情を見ると、その考えが間違っていたのではないかと考えてしまう。

 つまり、それだけ蓮華が困った表情をしていて——


「翠くんが女の子だったらお父さんみたいに小言を貰うくらいで済んだと思うんだけどね」


「どういうこと?」


「お母さん、男嫌いなの。っていうか、私に近づく男の人に凄い厳しいっていうのかな……」


 スッと視線を天井に向けて。

 蓮華は何かを思い出すように続ける。


「別にお父さんとの仲が悪いわけじゃなくて……ただ、ちょっと色々あってね」


 控えめにはにかんで。

 蓮華は少しの間口を閉ざすと、その表情を笑みへと変えた。


「まあ、そんな感じでスイの正体がお母さんにバレるとヤバいの! お父さんがいるから大丈夫だとは思うけど、ちょっと心配ではあるかな?」


「…………」


 そう言って立ち上がる蓮華に、翠は何も言えなかった。


 すぐ笑顔に塗り替えられてしまったけれど、あの控えめな笑みはおそらく本物だ。

 なにがと聞かれても答えられない。ただ、何となくそう感じてしまって。


「じゃあ、そろそろ行こっか?」


「あ、うん……」


 ニコリと向けられた笑みに、翠は遅れて反応を返す。

 そして、そばに置かれたカバンを持ち上げた——その時だった。


「あっ——」


 蓮華の短い声。

 同時に、翠はカバンの持ち手を片方しか握っていなかったことを悟った。


 不運なことにカバンがキチンと閉められていなかったらしく、片側だけを持ち上げられたカバンは横を向き、開いた口を大きく開ける。

 そして出てきたのは、蓮華の準備していた衣装で。


「……蓮華?」


「…………」


 スッと目を逸らす蓮華。


「どうして、スカートとかが入ってるんだ?」


 半分ほどの重さになったカバンと、床に落としてしまった衣装の一番上に鎮座しているスカート。

 ひっくり返したことで一番上に出てきたということは、このスカートは真ん中に隠すように忍び込ませてあったという事実を示しているわけで。


「き、気分転換にどうかなぁ……って。ほら、視聴者さんも喜んでくれると思うし……」


 視線を彷徨わせながらも、蓮華は上目遣いに覗き込んでくる。

 翠はそんな彼女にニッコリと笑みを浮かべて。


「却下」


 蓮華の提案を叩き切った。

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