第4話 ベタな出会いは突然に




「そういえば——」


 朝。

 学校へ行くため、駅に向かう道の途中で。

 翠の隣を歩く蓮華は、思い出したように口を開いた。


「昨日お父さんに聞いたんだけど、今年の新入生に『スイレン』所属になる人がいるらしいよ」


「そうなの?」


 蓮華からの情報が少し信じられなくて、翠は少しだけ眉を上げる。


 なにせ、つい先日に入学式があったばかりなのだ。

 翠自体、高校生になってすぐにアルバイトを始めたわけではあるが、それでも進学してある程度生活落ち着いてからにしていた。

 高校生になってアルバイトが出来るようになり、クラスにそういった話題が上がるのはよくあることであるが、それにしても早い。


「ほら、昨日の配信で私が言ってた新しい試みってやつ。それで声をかけたらしいんだけど、本人が中学生だったみたいでね。今年で高校生になるから、それから契約することになったみたい」


「へぇ」


「で! 昨日お父さんに連絡した時にね、私たちの高校に入ってくるみたいだから色々と面倒を見てあげてって」


 どんな子なんだろうね?——と、期待に笑みをこぼす蓮華。

 しかし、翠は彼女のように期待ばかりしていられない。


『スイレン』が声をかけたということは、それはまさにスカウトされたということだろう。

 翠も声をかけられたわけではあるが、それは蓮華経由の極めて特殊な事例だ。

 スカウトされた人であれば、翠なんかよりも動画に詳しく、パソコン等も秀でているわけで。


「うーん、大丈夫かなぁ……?」


「ん、なんで?」


「だって、後輩って言ったって、動画に携わっていた時間は俺より長いわけだろ? 先輩風を吹かせるつもりはないけど、うまく付き合っていけるかな?」


 これが一番心配だった。

 まだ半年……半年しか経験の無い翠が、事務所も高校も先に入っていたとはいえ、先輩として振舞っていいのだろうか?


 翠だって勉強を続けているし、パソコンも素人同然ながらも少しずつ使えるようにはなってきている。

 とはいえ、まだまだ蓮華の助手を務めることは出来ないレベルで、彼女に任せきっている状態なのだ。


 眉を寄せる翠。

 そんな翠とは対照的に、蓮華が頬をほころばして。


「大丈夫だって! 翠くんはこのままでいるのが一番だと思うよ? それに——」


「うん?」


「なんでもない! じゃあ、そろそろ行くね!」


 誤魔化すように笑顔を振りまいて、蓮華が翠よりも一歩先に踏み出した。

 どうやら会話に夢中になっているうちに駅にたどり着いていたらしい。


「あ、うん、分かった」


 これも、いつもの光景だ。

 すでに勘違いを呼んでいる噂。それをさらに燃え上がらせないために、駅までは一緒に行くけれど、ここからは別行動にしているのだ。


「じゃあ、また後でね!」


 笑顔を残し、先に行く少女の後姿。

 それが見えなくなるまで見届けてから、翠は駅の中へ歩いていった。






 一人、道を歩く。

 大きな敷地を持つ家の庭に得られた桜が花びらを落とし、ピンク色の雨が風邪に乗って翠の元へ振ってくる。

 そんな綺麗で、幻想的な景色の前で、翠の気分はあまり晴れなかった。


「うーん……やっぱり心配だよなぁ……」


 思い返すのは、やっぱり先程の会話。

 後輩が出来ます……はいそうですか、と素直に頷くことなんて出来ないのだ。


「そもそも、先輩って言われても何をすればいいんだ……?」


 小学生、中学生、そして高校生と。あまり交友関係の広くない翠である。

 当然、先輩として後輩の面倒を見た経験などない。それどころか、後輩と交流する学校行事の時にはその人見知りをいかんとなく発揮してきた。

 ただでさえできる気がしないのに、それをあまり詳しくない分野で面倒を見るというのは少々胃に悪い。


「蓮華は大丈夫って言ってたけど……」


 ……このままでいるのが一番とはどういうことだろう?


 彼女の意図は分からない。

 動画の撮影の時にはとても頼りになるのに、こういう時、稀によく分からない言動をするのだ。

 気にはなる。

 けれど、気にし続けているわけにもいかないわけで。


「まあ、後で恭平に聞いてみるか」


 気分を切り替え、翠は学校への道を急ぐことにした。


 髪につく桜の花を払って、交差点を越えて。

 ある程度まっすぐ歩いた後、角を曲がればすぐにたどり着く。


 そんな、普段を変わらない道をただ進む——はずだった。


「いっ!?」

「きゃっ!?」


 最後の曲がり角、そこを曲がった直後だった。

 突然現れた人影に、翠はなすすべなくぶつかってしまう。

 とはいえ、相手の方が小柄だったようで、翠は少し後退あとずさる程度で済んだ。


「えっと……ごめん、大丈夫?」


 翠は尻もちをついていた少女の元へ数歩歩くと、手を降ろして問いかける。

 しかし、返ってきた言葉は翠には予想できないものだった。


いったいわね! なにすんのよ!」


「え……?」


 俯かれていた顔が跳ね上がり、見えたのは勝ち気で、そして苛立ったような鋭い黒の瞳。

 肩にかかるくらいの黒髪は毛先ではね、活発な印象を手助けさせている。


「うわっ……なにそのボッサボサの髪。キモッ!」


「キモ……?」


「それになにその手は? セクハラでもする気!?」


「ち、ちがっ!?」


 少女の暴言に狼狽える翠。

 その間に少女は一人で起き上がると、パンパンと埃を払って。


「もう、朝から最悪なんだけど……」


 少し崩れた前髪を直して、翠の隣をすれ違って。


「ほんと無い……忘れ物した上にキモ男とぶつかるとか……」


 悪態をつくその声は、徐々に離れていった。


「…………」


 そこから数秒の時を要して、翠はようやく手を降ろした。

 そして振り返れば、すでに少女の姿はなく——


「…………なんだったんだ?」


 深いため息を吐き出して。

 翠はとぼとぼと、目の前に見える学校への道を歩いていった。

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