その噂は薪となって ⑥




「……本当に行くのか?」


「当たり前だろ」


 心底嫌そうな顔をする恭平を視線だけで黙らせる。


 正直、翠はかなり頭にきていた。

 授業の間——休み時間中にチラチラと見ながら密談をするところから始まり、その密談の内容が翠に関わることであり、渋る内容が彼女にバレたくないから。

 もういっそ、目の前で彼女に電話をしてやろうと思ったほどだ。


 彼氏であるバカが漫画の題材になっていることを、あの鈴原さんは見逃さないだろう。

 そうすれば、翠の願いである漫画の廃止は達成できて、恭平へのお仕置きにもなるという一石二鳥にもなる。


 そういう意図があって彼をけしかけようと思ったのだが、当の本人は階段の途中で立ち止まり、これ以上は進もうとしない。

 翠は、そんな彼に対し必殺となりえるカードを再び切ることにした。


「おい、ちょっと待て! スマホなんか出してどこに電話する気だ?」


「そりゃあ、まあ……」


「よし、落ち着け……!」


「落ち着け?」


「落ち着いてください……」


 スマホをチラつかせる翠に対し恭平は必死だ。

 すでにタップ一つで鈴原さんに繋がるようになっているのが効いているのだろう。翠が操作一つ間違えるだけで最悪の結果が待っているのだから、仕方ないともいえる。


「ほら、お前は部長と知り合いなんだろ? だったら話を付けてくれ」


「だから、そうしたら美穂に連絡がいくんだって」


「そんなの知らないよ。お前が蒔いた種だろ」


「くそう……」


 恭平にとってはどちらに転がったとしても地獄。

 彼が肩を落としていると、不意に扉の開く音がした。おそらくは目的地である教室に誰かが入っていったのだろう。

 また一人、翠の痴態ともいえる漫画が誰かの手に渡る可能性が出てきたわけだ。

 翠はそれを阻止するべく、スマホの画面へ指を近づけていく。


「わかった! ……わかったから! 行くからその指を止めてくれ!」


 慌てる恭平に、翠は無言で視線を送る——もちろん教室へ。

 ぐ……と息を飲みこみ、悩む素振りを見せる恭平であったが、ようやく観念したのかとぼとぼとと階段を下り始めた。


 一階へ。


 階段を下りきって廊下に出る。すると、一つの教室の前に二人の生徒が立っていた。

 前と後ろ。二つの扉がある教室を守るように立ち塞がる生徒。その一人——クラスメイトでもある男子生徒がこちらを見るなり口を開く。


「おい、何で佐藤がいるんだよ? というか後ろにいるのは……高宮ぁ!?」


 翠までいるということに驚いたのか、語尾を荒げる男子生徒。

 その声に反応したもう一人の門番も驚いた様子を見せるのだから、翠が来たのが予想外だというのが分かる。


「なんで来たんだよ……? それに、高宮はすぐ帰すって言ってただろ?」


「そのつもりだったんだけどよ……偶然あいつが忘れ物をしたらしくて」


 恭平が翠を一瞥。


「それで戻ってきたらお前らを見かけたらしいんだよ。俺も嫌な予感がして戻ってみたら、バッタリ翠に会ったってわけだ」


「それは災難……で? 見られたか?」


 真剣な眼差しに変わった男子生徒に、恭平は無言で縦に首を振る。


「まじか……つまり、いま高宮がいるのは……?」


「直談判……お前らのボスに文句言うためだよ……」


「そうか……」


 意気消沈したように項垂れる男子生徒。

 彼はゆっくりと横に移動すると、翠の方を見た。


「部長は中にいるから……」


「え、ああ……」


 翠はあまりに落ち込んだ男子生徒に動揺しながらも、どうにか恭平を引き連れて扉の前へ。

 そして、そのまま扉を開けた




 *   *   *




「失礼しまーす!」


「失礼しまーす……」


 元気よく入っていく萌愛に続き、蓮華も教室に入る。


 問題の教室へは意外と簡単に入ることが出来た。

 というもの、門番のように立っていたのはあくまで多くの人が押し掛けてきた際、順番待ちをさせる対応のためらしく、ほぼフリーパスで入れたのだ。

 その際、「グループに入ってないよね?」と聞かれたものの、萌愛の「友達から聞いて」という言い訳が通ってしまった。


「「うわぁ……」」


 入って早々、二人して声を漏らす。

 萌愛はおそらく感嘆から、そして蓮華は驚きから。


 教室自体は何の変哲もないただの教室である。しかし、中は凄いことになっていた。

 大半の机は端に重ねられ広い空間が確保されており、中心に出来た空間には数個の机が繋げられている。

 その上にあるのは紙の束——おそらく手作りの本だ。


 だが、蓮華が一番驚いたのは前方の黒板である。

 黒板アートとでもいうのだろうか。黒板全体を使って書かれているのは一枚の絵。それはとてもうまく描かれていて、萌愛もこれを見て声を漏らしたのだろう。

 けれど、蓮華が驚いた理由は違う。それは——


「高宮くん?」


 黒板に描かれていたキャラクターが翠に似ていたからだ。

 少女漫画のようなタッチで描かれている彼は、学校の時のもじゃもじゃ頭ではなく、きれいに整えられている。

 本来真っ直ぐの髪質の彼の髪が僅かに波打っているのは漫画だからだろう。けれど、それを加味しても驚くほどに似ていた。


「へぇ……君が来たんだ?」


 不意に響いた声。

 声のした方向へ目を向ければ、繋げられた机の奥——ちょうど真ん中に座っている少女からのようだった。


「えっと……」


「黒川 美鈴、漫画部の部長をしてる」


 黒髪黒目……おおよそ平均的な風貌をした少女だ。

 制服のリボンの色から考えるに二年生だろう。彼女は蓮華を見つめながら口を開く。


「彼のは売れ筋だからね。在庫は少ないんだけど……まだ少しあるかな? どうする? 買っていく?」


「いや、ちょっと——」


「それともMKの方にする? それともMR? 決まってないなら少し見てみるといいよ。もちろん、全部読むのはダメだけど……」


 つらつらと言葉を紡いでいく少女に、蓮華は微かに苦笑した。


 ……話についていけない。


 彼……というのはおそらく翠のことだろう。それは黒板に描かれた姿や、話の内容からおおよそ予想がつく。

 だが、それ以外については意味が分からなかった。


「どんなのを描いてるんですかぁ?」


「うーん、君にはこんなのがいいんじゃないかな?」


 興味をひかれた萌愛が近づいていくと、美鈴と名乗った少女は一冊の本を手渡す。

 手作りというだけあって時間がなかったのか、表紙にはタイトルと思われる言葉だけが書かれていた。

 萌愛は、受け取った本をペラリとめくって。


「おお! きれい……!」


「ありがとう」


 すぐに出た称賛の声に、美鈴がニコリと笑みを返す。

 蓮華がそんな二人を見ていると、不意に美鈴が一冊の本を蓮華へ手渡した。


「君にはこれかな? ぜひ読んでみて」


「あ、はい」


 渡された本にはタイトル書いていなかった。

 内容を予測すらできないため、様子見として蓮華はひとまず真ん中くらいを開いてみる。

 すると——


「え……?」


 描かれていた内容におもわず声が漏れた。


 そのページに描かれていたのは男女が並んで歩いている風景だ。

 二人で並んで会話をしている何気ない風景。その会話の仲睦まじさが微笑ましいと蓮華も微笑むことが出来ただろう。

 それが、姿


「最近書く人が増えてきたMRものだよ。買ってく?」


 ニヤリと、意味ありげな笑みを浮かべる少女。


 MとR……つまりM蓮華Rということだろう。

 どうやら、最近友人たちに揶揄われていることは、もうすでに学校中とは言わなくともそれなりに広がっているらしい。


 正直、勝手に漫画となっていることは釈然としない。

 でも、自然で、それでいて微笑ましい二人の姿が羨ましくないとは言えないわけで。


「……買います」


 気付けば、財布からお金を出していた。


「まいど、また来てね」


 お釣りを渡しながら満面の笑顔を浮かべる美鈴。

 萌愛も読んでいた本を買ったらしく、本を抱えて嬉しそうにしている。


「じゃあ、今度こそカラオケに行こう!」


「うん、そうだね」


 萌愛の思い付きから始まったことではあったが、良い買い物が出来た。

 蓮華は彼女と共に教室を後にしようと出口へ向かう。


 その直後だった。


「失礼するぜ……」


 気落ちした、聞き覚えのある声。

 教室の外が騒がしかったのは分かっていた。本を読んでいる間も何かを話している声は聞こえていたからだ。

 だが、続いて教室に入ってきた人が問題だった。


「……佐藤くん?」


「星野か……ああー、くそ……」


 聞き覚えのある声の正体は翠の親友——恭平だった。

 彼は蓮華の姿に気付くとバツの悪い顔をして一人毒づく。


 その様子を不思議に思った蓮華であったが、彼が毒づいた意味をすぐ知ることとなった。


「……れ、星野?」


 恭平とはまた違う、聞き覚えのある声。

 いや、聞き覚えのあるどころじゃない。その声はほぼ毎日聞いていて、一緒に活動をしている男の子の声なのだから。


「た、高宮君……!?」


 うなだれる恭平の後ろ、少し険しい表情で教室に入ってきた翠。

 蓮華は彼を見た瞬間、スッと手に持っていた本を後ろへ隠した。

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