その噂は薪となって ④




「な、んだ……これ……?」


 少女漫画のようなタッチで描かれた二人の男。

 恭平と翠——そう呼び合っている二人はもつれ合うように倒れ、顔を近づけて見つめ合っている。


 理解が追いつかない。


 ある程度しっかりとした紙を束ね、本の形にしているそれは明らかに自作したものだろう。この薄さを考えても、書店で売られているようなものではないことは察することが出来る。


 ……自分は何を見てしまったんだろうか?


 疑問が疑問を呼び、パニックになりかけている頭のままページをめくる。


 無意識だった。

 理解できない状況に、脳が出来うる限りの情報を求めたのかもしれない。

 けれど、それが失敗だった——そう、翠はすぐに後悔することとなる。


「…………」


 目に飛び込んできた光景に絶句した。


 乱雑になっている髪の奥にある、やたらと綺麗な瞳が印象的な男——翠。

 対して、少し悪そう……不良のようにも見える男——恭平。


 どこをどう見ても翠と恭平本人をイメージしたであろうキャラクターが、口づけを交わしているシーンが描かれていた。

 ……二ページを丸々使った見開きで。


「……………おい」


「お、俺じゃねぇ! あいつらが勝手にやってることだ!」


 底冷えした声と共に睨みつければ、幼馴染は慌てて弁明をする。

 しかし、それは知っていたと白状しているもの同然で。


「つまり、お前は知っていたってことだよな……?」


「…………」


「目を逸らすな」


 本を閉じ、立ち上がると恭平の目の前へ。

 すると、観念したのか彼は肩を落として息を吐いた。


「そりゃあ知ってたけどよ……こんなの気分がいいわけねぇだろ」


「本当か?」


「本当だって。だって俺には彼女がいるんだぜ? こんなの描かれても困るだけだし、考えても見ろよ。なんで俺がお前とイチャイチャしなくちゃいけないんだって話だろ……」


「……それも、そうか」


 ひとまずは納得。


 たしかに恭平の言うとおりかもしれない。

 翠だって見ていて気分が悪いとまでは言わないが、気分の良いものでは決してないのだ。

 それに、彼の場合は違う心配もある。


「というかよ……これが美穂の目に留まってみろ……何されるか……」


 ガクガクと。

 あるかもしれない未来を想像し、恭平が肩を震わせる。

 その姿は完全に怯える者のそれで、翠としてもさすがに可哀想になってきた。


「ちなみにこれ、どのくらいの規模なんだ?」


 これが一番の問題だ。

 まず、ぶつかった女子は複数の本を持っていた。

 手作りということを考えても、かなりの手間がかかっているだろう。それならば、一人ではなく複数人で行っていることが予想される。


「さっきぶつかった女子も何冊か持ってたし、どれも紙の色が違ったから違う内容だろ? なんか情報は無いのか?」


 思い出すのは休み時間中のやり取り。

 クラスメイトとの密談の後、彼は明らかに動揺していた。つまり、その時にこの事を聞いたのだろう。

 だからこそ、何か情報を持っているのかと予想したのだが——


「……わからん」


「は?」


「だから、わからん」


 恭平は頭痛を堪えるように手を頭に置き、続ける。


「大まかな話は知ってるんだけどよ……細かい話は分からないんだ」


「でも——」


「考えても見ろ。お前が誰かをモチーフにした漫画を描いたとして、張本人に知らせるなんてことするか?」


「…………しない」


「だろ? だから俺にも分からないんだよ……」


 ため息を吐き出して恭平が項垂れる。

 本当に複雑な心境なのだろう。そのため息には確かな重みがあった。


「お前が分からないなら、もう諦めるしかないか……」


「まあ、そうなるな」


 つまり、これを止める手立てが無いということだ。

 知ってしまった以上は気になってしまう。けれど、深追いするのもまずい気もしてしまう。


「じゃあさ、これを作ってるのは誰なんだ? こんなの許可なく作ってるなら注意したっていいだろ?」


「…………」


「なんで何も言わないんだよ?」


 苦虫を潰したような顔をして、何も言わない恭平。

 翠が不満顔を向けてもその視線は崩さないばかりか、目も合わせようとしない。


 そんな彼に焦れてきたところで、翠はふと思い出す。

 教室へ向かう途中で見かけた集団。彼、彼女たちはどこへ向かっていたのだろうかと。

 いや、行き先はある程度分かっているのだ。あとはどの教室かを探すだけ——


「……わかった。俺も考えがある……たしか一階に——」


「やめろ」


「え?」


 階段へ向かおうとした矢先、手首を握られてしまう。

 その声色の真剣さに翠が振り返れば、彼の表情にも真剣さを帯びていて。


「やめてくれ」


「…………」


「マジで……本当に……やめてくれ……」


 もはや懇願ともいえる恭平の態度に、翠は言葉を失った。


 ……なぜ、こんなにも必死なのか?


 これでは、まるで弱みでも握られているようではないか。

 たしかに恭平は翠のように人見知りではないため、交友関係も広い。その気質からか中学生の時も、先輩から後輩まで様々な人に慕われていた。

 それどころか、近所のお姉さんやスーパーのおばさんまでと、翠には把握できない程なのである。


 つまり、翠には全く分からないわけで。


「なんでそんな必死なんだ?」


 質問を投げかける。

 翠にとっては純粋に理由を聞くための質問であったのだが、どうやら言いにくいらしい。彼は深く悩むそぶりを見せ、頭をかき乱してから口を開いた。


「…………これを描いている奴らのボスが」


 恭平が一呼吸置き、翠はゴクリと喉を鳴らす。

 彼の表情は真剣そのものだ。現に今も言葉を続けるか迷い、視線を彷徨わせている。

 そんな彼の雰囲気に、翠も緊張してしまって——


「美穂の友達なんだ……だから、俺が関わるとあの本が美穂の手に渡る……」


「お前ふざけんな!」


 要するに、我が身可愛さということだ。

 どうしようもない理由に、翠は無言で恭平の頭を引っ叩いた。

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