その噂は薪となって ③




 それは偶然だった。


「うん?」


 忘れ物をしてしまったため、教室へ戻る途中のこと。

 翠はなにやら怪しい集団を見つけてしまった。


「なんだ……あれ?」


 数人の生徒がキョロキョロと周囲を警戒しながら、廊下の奥へ歩いていく。

 初めは迷っているのかとも思ったが、一年生である翠の学年でも一年弱はこの校舎で学園生活を送っているのだ。

 それは無いと思い直し、翠は廊下の影に隠れると怪しい集団の行動を観察していく。


「どこかに、向かってる?」


 キョロキョロとしているため足取りは遅いものの、迷いが無い。


 ……どこに向かってるんだろう。


 好奇心が刺激され、翠は廊下から見えなくなった集団を追う。

 向かう最中、聞こえてくるのは階段を下る軽快な足音。

 翠は自身が上がってきた階段とは別の、もう一つの階段に辿り着くと、足音が聞こえなくなるのを待ってから階段を下っていく。


 ただ、ここで一つ問題がある。

 翠たち一年生の教室は二階にあり、必然的に彼、彼女らがいるのは一階だと分かるのだが、翠がそのまま降りてしまうと見つかってしまう可能性があるのだ。

 そのため、そろりそろりと足音を立てないように階段を下り、半分ほど降りた踊り場で翠は顔を覗かせる。


「——首尾は?」


「大丈夫——」


 姿は見えないものの聞こえる声。

 おそらく廊下にいて、周囲を監視しているのだろう。


 翠は降りることが出来ないと判断すると、二階に戻る。


「うーん、気になることは気になるんだけどな……」


 翠だって別に暇をしているわけではないのだ。

 買い物は昨日蓮華としているが、夕食の準備だってあるし、干しておいた洗濯物を回収して畳んだりもしなくちゃいけない。


「まあ、蓮華からは友達と遊ぶ予定があるってメール来たから、急ぎではないけど……」


 母は今日も仕事であるし、碧も塾がある。

 蓮華には『準備はしておくから、よかったら来て』と返信はしておいたが、もし来たとしてもすぐには帰ってこないのだ。

 そのため、暇ではないがそれほど急いでいるわけでもないというのが今の翠なのである。


「どうしようかなぁ……」


 ただの好奇心で追いかけてしまったけれど、それはそれで申し訳ない気がしてしまって。

 翠は廊下で「うーん」と悩んでしまう——そんな時だった。


「まあ、気になるのは本当だし、様子だけ見てみるかな?」


「なんのだ?」


「いや、下の階でさ……えっ?」


 聞き覚えのある声に、体を硬直させてしまう。

 あまりに自然に声をかけられたためつい答えてしまったが、なんでいるのだろうか?

 翠は振り返ると、声の主を睨みつけた。


「驚かせんなよ……恭平」


「わりぃわりぃ! なんか一人で悩んでるからさ」


 声の主——恭平は手で形だけの謝罪。その後、翠の目を真っ直ぐに見つめた。


「で? 俺、早く帰れって言ったよな?」


「う……いや、忘れ物しちゃってさ」


 視線が痛い……というか怖い。

 いつもの視線ではなく、どこか真に迫った眼差しに翠は言葉を詰まらせる。

 それに恭平の言ったことを守らなかったのは翠なのだ。だからあまり反論出来るはずもないわけで。


「というか、なんで恭平がいるんだよ? お前も帰ったはずだろ?」


「ああ、ちょっと嫌な予感がしてさ」


 せめてもの抵抗として問いかければ、恭平は気まずそうに頭をかく。


「まあでも、それが正解だったけどな。お前がいたし」


「いや、まあ……しょうがないだろ、忘れ物したんだから」


「そりゃあそうかもだけどよ……あまり深追いしないほうがいいものもあるんだぜ?」


「…………?」


「と、に、か、く! お前はもう帰れ」


 言っている意味が分からず首を傾げた翠に、恭平はしっしと払うように手を動かした。

 そんな彼の仕草に少しばかりムッと来た翠ではあったが、言い合いをしても仕方ないと思い直してため息を吐き出す。


「……じゃあ、俺は教室行ってから帰るよ」


「おう、間違えてもこっちにくんなよ」


「はいはい……」


 なんだが馬鹿らしくなってしまい、ぞんざいに返事を返すと教室へ向かって歩き出す。


 だからだろうか?

 翠はすでに興味を失っていたし、恭平はおそらく翠を近づけない様に必死だった。

 そのせいか、階段を上ってくる足音に気が付かなかったのだ。


「ふん、ふーん……」


 ようやく気が付いたのは、すぐ近くで鼻歌のような音が聞こえてきてからだった。

 その音に翠は足を止め、振り返る。

 同時に、恭平の視線が階段の方へ向いて。


「「あっ」」


 恭平と、何冊かの薄い本を抱えた——それはもう満面の笑みで階段を登りきった少女の目が合った。

 

 場が凍る。

 誰も言葉を発することが出来ず、重苦しい空気が漂う。


 そんな中、恭平以外の人影に気が付いたのだろう。少女の目が翠へと動いていって。


「み、みみみ……み!」


「み……?」


「みどりぃぃぃっ!?」


 少女の奇声に翠は肩を震わせた。

 直後、少女は素早い動作で駆け出していく——翠の方へ向かって。


「ごめんなさい!」


「ちょっと!?」


 おそらく翠の横を駆け抜けようとしたのだろう。

 しかし、パニックになっているのか、俯いて駆け出した少女は翠の元へ一直線に向かってきた。

 とっさに躱そうとするも、翠の運動神経はさほど良くないわけで。


「……っ!?」


 肩に何かがぶつかる感覚。

 その勢いに翠は尻もちをついてしまう。


「いっつー……」


「あわわわ……!」


 臀部の痛みに声を漏らしつつ、反射的に閉じてしまっていた目を開ける。

 すると、目の前では必死な形相で少女が落としてしまった本を拾い上げていた。


「だ、だいじょうぶ……か?」


 背後で恭平が声をかけるも、少女は意に返さず本を拾上げ続ける。

 そして、一通り拾い上げ切ると「失礼しましたぁ!」と叫んで走り去ってしまった。


「えっと……なんだったんだ?」


「ああ、えーと、気にすんな……」


 言いにくそうに頭をかく恭平。

 そんな彼に半眼を送ると、ふと翠の太ももの下に何かがあることに気が付いた。


「ん? なんだ?」


「……っ!? おい!」


 何気なく手に取り、開く。

 そこには、二人の男が書かれていて。


『もう逃がさねぇぞ……翠』


『ああ、もう逃げねぇよ……恭平』


 翠は無言で恭平を見る。

 廊下に立ち尽くす彼は、手で目元を隠して天を仰いでいた。

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