気まずい食卓③ 【蓮華編】






 それは、蓮華がまったく想像していなかった言葉だった。


 ——今度から晩御飯はうちで食べるようにしたら?


 晩御飯を食べる? どこで? 誰と?


「………………え?」


 たっぷりと時間を置いて。

 蓮華は困惑という表情を取り戻した。


「母さん?」


「だって蓮華ちゃん一人暮らしするんでしょ? そうすると結構大変よ?」


「それはそうかもしれないけど……っていうか、なんで母さん蓮華が一人暮らしするって知ってるの?」


「そりゃあ、翠がうちに連れてくるんですもの。ご両親と一緒ならそうはならないでしょ?」


「そういうことか……」


「蓮華ちゃんはお仕事もしてるでしょ? そうすると自分のご飯って簡単に済ませるようになりがちだし……その点、翠はそういうのはちゃんとしてるから」


「だって、どうする? 俺は別に構わないけど……」


「…………」


「蓮華……?」


「…………」


 理解が追いつかない。

 いったい、何の話をしているのだろうか?


(えっと、今どういう状況だっけ……?)


 今日はリフォーム作業を終えたマンションへ引っ越し業者が荷物を運ぶ日で。

 予定通り、荷物を運んでもらって。

 早い時間から始めたおかげと、荷物が少なかったおかげで意外と早い段階で運び終えて。

 でも、意外と荷解きに時間がかかって。


(なんで段ボールに書いておかなかったかなぁ……)


 なんて、意味の無いことを考えてしまう。


 その後は——


(ようやく荷解きが終わったらもう夕方になってて……)


 それで、どうしようかと悩みながら当てもなく家を出たら、ちょうど買い物に行こうとしていた翠に出くわしたのだ。

 蓮華の状況を聞いた彼は、「じゃあ、今日はうちで食べてったら?」と言ってくれて。


(翠くんの家にお邪魔して……)


 彼が調理をしている間、弟である碧の視線に晒されて。


(そうしたら、翠くんのお母さんが返ってきて……)


 覚えてくれてたのが嬉しくて。

 ご飯が美味しくて。

 それで——


「……っ!!!」


 ようやく思考が追いつき、蓮華は軽いパニックに陥った。


「それでどう? うちって男所帯だし、私としても女の子がいると嬉しいんだけど……?」


「え? あ? へ……?」


「大丈夫?」


「だいじょうびゅ!? つぅ……」


 慌てて答えようとして舌を噛み、悶絶。

 その勢いからか痛みが凄く、テーブルの下で足をバタつかせるもいっこうに痛みは和らがない。


「ふふふ、大丈夫だから落ち着いて」


「ひ、ひゃい……」


 涙で揺らぐ視界の先、苦笑いをしている翠の母。

 どうにか答えようと声を出すも、痛みで上手く舌が動かせなかった。


「大丈夫?」


「……(コクコク)」


「よかった。でも、舌を噛んだんじゃ熱いのは厳しいかな……」


 翠はテーブルに並べられている料理を眺めて思案顔に。

 彼の思いやりが嬉しくて、蓮華は思わず笑みをこぼしてしまう。


 そんな時だった。


「さっきから思ってたんだけど……」


 ふと、思い出したかのように翠の母が口を開いて。


「あなたたちって……名前で呼び合ってるのね?」


「——っ!?」


 ビクリと肩を震わせる。


(そういえば翠くん……私を呼ぶときに蓮華って呼んでた……)


 たしかに、普段は名前で呼び合おうとは話した。

 学校では変に誤解されるかもしれないから苗字呼びにしようとも。


 蓮華としては誤解されるのは嫌だということではなく、友人に揶揄われるのが面倒くさいという気持ちが強い。むしろ、誤解されるのは少し嬉しいまである。

 けれど、それは学校限定の話だ。


 どこの誰が、想い人のお母さんに誤解されるのを想定していようか。


(いや、まって……)


 ここで蓮華は思いつく。


(むしろ、これはチャンスなんじゃ……)


 外堀を埋めるという言葉がある。

 それは、今この現状にいえるのではないか?


 誤解されるのが恥ずかしいという気持ちは当然ある。

 だが、そのおかげでチャンス増えるのは確実といえるわけで。


「…………」


 蓮華はチラリと翠の顔色を伺う。

 すると、彼は少しの間母親の言葉の意図を探ろうと眉をひそめていたが、すぐに察しがついてようで口を開いた。


「ああ、それは仕事上一緒に動くことが多いから、せっかくなら名前で呼ぼうってことになったんだよ」


「そうなのぉ? それだけじゃないんじゃない?」


「……? それだけだよ」


 なに言ってるの? と言わんばかりの翠。


 しかし、なぜだろう?

 彼の言っていることは正しいのに、どうも胸にモヤモヤした感情が燻ってしまうのは。


 蓮華だって分かっているのだ。

 別に蓮華と翠は付き合っているわけではないし、名前で呼び合うことにしたのも、一緒に活動するうえでそちらの方がいいだろうと二人で話し合った結果であるのは。


 だけど……だけど、だ。

 

(そんなふう言わなくてもいいじゃん……)


 ……平然と言ってのけるのではなく、もう少し動揺してもいいのでは?


 蓮華は誤解されてびっくりしたのに、当の翠はなんてことないように言ってのけるのはフェアじゃない。

 そんな不満を込めて、蓮華は半眼となった眼差しを翠へ向けた。

 しかし、彼は蓮華の視線に気付きもしない。


「……………もう」


 ポツリと不満を漏らしながら、焼き魚に箸を伸ばす。

 そして、切り分けた身を一気に口に含むと——


「ん————!?」


 まだ熱さを残した身と偶然残っていた骨が、まだ鈍い痛みの残る蓮華の舌に染みた。

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