気まずい食卓② 【蓮華編】




「あ、あはは……こんばんは……」


 突然帰ってきた翠の母に、蓮華はどうにか笑顔を取り繕う。

 穏やかな表情をそのままに蓮華へ笑みを見せている翠の母。しかし、蓮華の心の中は彼女のように穏やかとはいかなかった。


(え? 大丈夫? バレてない!? バレてないよね……?)


 完全に予想外だった。

 たしかに彼女は翠の仕事について知っている。それは、彼に直接聞いたので間違いない。

 だが、それを今ここで言うとは思わないではないか。


 事実、蓮華の笑みは若干崩れてしまっているし、それを見る碧も疑惑が深まったように眉を寄せていた。


「えっとですね……私今日引っ越しまして、それで晩御飯の時間が無くなっちゃって——」


「それで俺が食べてったらって誘ったんだよ」


 どうにか絞り出した言葉に重ねるように、翠が両手にお皿を持ってテーブルへ。


 ……助かった。


 正直、蓮華だけでは心細かったのだ。

 碧から向けられる眼差しだけでいっぱいいっぱいであるのに、これにさらに人が増えてしまうのは厳しい。

 それは、翠の母であっても変わらない。


「そ、そうなんです! 困ってたらみど、高宮くんが誘ってくれて。それでお邪魔してます」


「そうだったの」


 ひとまずは納得してくれたのだろう。小さく頷いた彼女は、手に持っていた袋を椅子の上に置くと息を吐き出した。

 続いてキッチンへ向かうとコップに水を注いで一口。


 その間に蓮華はチラリと碧のことを確認する。

 すると、彼はいまだに眉を寄せ、何か考えるような素振りをしているものの、蓮華の正体に気が付いている様子ではなかった。

 蓮華自身、そう考えたいだけかもしれないが……現状、そう信じるしかない。


「困ったことがあったら言ってね? 私はともかく翠は力になると思うから」


「あはは……ありがとうございます」


「じゃあ、私は着替えてくるから。ゆっくりしていってね」


 飲み終えたカップを置いて。

 着ていたコートを脱ぎ、腕にかけた彼女はそのまま廊下へと続く扉へ。


「もうすぐできるから」


「分かったぁ、すぐに戻るわね」


 翠の一言に笑みで応え、扉が閉まる。


 しんと静かになる室内。

 リビングを出ていった母を見送っていた碧はすでに蓮華へと視線を戻しており、頼みの翠も夕食の準備に戻ってしまっていて。


(もう勘弁してっ!!!)


 蓮華は取り繕っていた笑顔を引きつらせた。






「「「いただきます」」」


「……いただきます」


 全員で声を合わせる中、蓮華だけが少しだけ遅れてしまう。

 しかし、それも仕方がないだろう。

 疑うような眼差しを向けられ続け、バレてしまっているのかも分からずにずっとハラハラしていたのだ。


 ひとまずは何も聞かれなかったので大丈夫だと考えているが、精神的にはすでに疲労困憊。

 そんな蓮華にとって、テーブルに並んでいるのは翠の手料理は針のむしろに座り続けていたご褒美だった。


「……美味しそう」


 お茶碗に盛りつけられた白米は白く輝いていて、隣にあるお味噌汁からは湯気と共に出汁の香りが蓮華に届く。

 おかずは焼き魚とおひたし。それと煮物だった。

 こんがりと焼き目が付いた焼き魚にはちょこんと大根おろしが添えられ、おひたしには鰹節とすりごまがかけられているあたり、翠の料理へのこだわりが感じられる。

 煮物は作っている様子が無かったから昨日の残りだろうか。良く味が染み込んでいそうで、これも蓮華の食欲を刺激した。


「有り合わせでごめんな。最初から分かってたらもうちょっとちゃんとしたものを作ったんだけど……」


「……っ!? 全然! 凄い美味しそうだよ!」


 申し訳なさそうな翠に蓮華は慌てて首を振る。

 誘ってもらえただけで助かっているのだ。それに、突然だったのにも関わらずこれだけのものを用意してもらえている……これ以上を求めるのは失礼だろう。


「翠のご飯は美味しいからねぇ……おかわりもあるからいっぱい食べてね」


「あはは、ありがとうございます」


「母さん、それは俺のセリフ」


「いいじゃないの、細かいことは気にしないで。ごめんね? 翠ってば細かいから」


 肩をすくめる母の横で翠が頭痛を堪えるようなため息。

 そんな親子のやり取りに、蓮華はようやく穏やかな笑みをこぼす。

 そして煮物を一口。


「……っ、美味しい!」


「口に合って良かった」


 蓮華が口元を抑えて目を丸くすれば、翠はホッとしたように、それでいて嬉しそうに表情を崩す。


「ほら、和食が得意って話した時に食べたいって言ってただろ? まあ、今日は昨日の残りになっちゃったけどさ」


「覚えてくれてたんだ……」


 頬をかきながら告げられた言葉が、蓮華の胸を何とも言えない温かさで満たした。


 翠がそれ言ったのは二人で活動を始めた当初——三か月ほども前である。

 蓮華も本心で食べてみたいとは思いながらも本気にしているわけではなかったし、あわよくば撮影で食べられたらいいなぁ……なんて考えている程度だったのだ。

 それを彼は覚えていてくれた。


(ヤバいかも……)


 自分で分かってしまうほどニヤニヤが止まらない。

 虫がいいかもしれないけれど、それだけで精神的な疲労感も吹き飛んでしまうようだ。


「……? どうしたの?」


「んーん、何でもないよ」


 不思議そうに首をかしげる翠に弾んだ声で応え、焼き魚を一口。

 ふっくらと焼き上げられた身に、ほどよく感じる塩気。

 なんてことないただの焼き魚が、焼いただけなのに翠が作ってくれたという事実だけでとても美味しく感じてしまう。


「そう?」


「うん!」


 パクパクと。

 蓮華は上機嫌に翠の手料理を口に運ぶ。


 焼き魚も美味しいし、おひたしも美味しいし、煮物も美味しいし、お味噌汁も。

 それどころか、白米まですごく美味しく感じてしまっている。


 蓮華の家は裕福だ。

 高級なレストランのコース料理も食べたこともある。

 だけど、今食べている料理はいままで食べた料理の中で一番だと断言することが出来るだろう。


 だからだろうか?


 満面の笑みで舌鼓を打っている最中、蓮華を見ている三人の表情に目がいかなかったのは。


「とても美味しそうに食べるのねぇ」


「はい! 凄い美味しいです!」


「それじゃあ——」


 それは反射的に、無意識に答えた言葉だった。

 けれど、その時点で我に返り、声の主である翠の母へ視線を向ける。

 すると、彼女はニコニコとした笑みのまま蓮華を見つめていて。


「今度から晩御飯はうちで食べるようにしたら?」


「はい?」


 思わぬ言葉に、蓮華から表情が抜け落ちた。

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