気まずい食卓① 【蓮華編】
時刻は夕食時。
引っ越し作業という大掛かりなイベントを終え、新居に荷物を運び終えた蓮華は翠の家にお邪魔していた。
そして、そのリビングで。
「……(じー)」
「……(スゥ)」
蓮華は、真っ直ぐ突き刺さる眼差しから逃げるように視線を逸らしていた。
眼下に広げられている夕食からは白い湯気が上がり、とても美味しそうな匂いが鼻に抜けていく。
そんな中で。
「…………(じぃぃぃぃぃ)」
「…………(ツー)」
視線が痛い。
たまらず顔を背けさせるも、後ろに感じる視線の勢いは変わらなくて、蓮華の額からツゥと一筋の汗が伝う。
「もうちょっと待っててくれ、もう少しで全部出来るから」
気まずい空気が満ちる中、たった今出来上がったおかずを持ってきたのはエプロンを着た翠だった。
黒のパーカーの上に緑色のエプロンを付けた姿はとても新鮮で、蓮華としてはもっとじっくりと見ていたい。
しかし、向かいに座る一人の少年の眼差しが、蓮華のその衝動を抑える一助となってしまっている。
(碧くん……だよね? なんでじっとこっち見てくるの?)
出会ったのは以前、翠が女装に慣れるために他校の文化祭へ行ったときだったか。
当時は撮影のためのメイクをしていて、髪も後ろで束ねたポニーテールだった。だが、今の蓮華はプライベート用のメイクで髪は下ろしている。
そのため、碧は蓮華がスイと一緒にいた少女だと気付かないはずなのだが。
「……(じー)」
(ものすっごい見てくるんだけどぉぉぉ!!!)
変わらず蓮華を凝視してくる碧の眼差しに、蓮華は堪らず心の中で絶叫した。
(え、なんで? バレてる? バレてるの!?)
蓮華の特技でもあるメイクは撮影とプライベートを分けるための切っ掛けでもあり、蓮華自身を守る最大の手段だ。
だからこそ、毎日、毎回のメイク時には最大限の注意を払っている。
いままで友人にすらバレていない変身を、会って二回目の……それも中学生に看破されてしまうのは蓮華のプライドとしても納得がいかないことだった。
(笑顔崩れてないよね……? 大丈夫だよね……?)
翠が夕食の準備をしている間、蓮華はただ待っていることしか出来ない。
そのためじっと椅子に座って時間が経つのを待っているのだが、疑っているような、それとも好奇心によるものなのか、何とも言えない視線がとてもつらいのだ。
(こんな時、料理できればなぁ……手伝ったりも出来たかもしれないのに)
以前、翠と共に料理の動画を撮った時からは料理の腕前は上がっている。
何度か彼に教えてもらったりもしているし、自分で作ってみたりもしていたからだ。
それでも、普段から料理をしている彼には敵わないのは当たり前で、ましてはお客さんとしてお邪魔している状態では難しいだろう。
(まあ、翠くんは「待ってて」って言いそうだけど……)
容易に想像できてしまう景色に、蓮華は心の中で苦笑してしまった。
(っと、そんなこと考えてる場合じゃないや。今は目の前のことに集中しないと)
内心で自分を叱責し、気を取り直して状況を確認。
蓮華を見つめている碧の視線を意図は分からない。けれど、その眼差しには疑問という色が多分に混ざっているように感じられた。
何か見覚えがあるような、でもその正体が分からないのが気持ち悪いといった感じだろうか。
本当にそうなのかは分からない。蓮華の楽観的な想像の可能性もあるからだ。
それでも、蓮華にはそれが一番の正解のように感じられた。
(一番まずいのはレンの姿を見られていて、スイと一緒に動画投稿をやってるって知られてることだよね……?)
蓮華が『Water lily』のレンであることがバレてしまった場合、翠——つまりスイがレンの知り合いだということが分かってしまう。
そしてこの状況だ。
あくまで彼としては、引っ越し作業で夕食の準備をする時間が無くなってしまった蓮華を助けるという考えが強いだろう。しかし、状況としては翠が蓮華を夕食に誘ったということになってしまうのだ。
……そこまでの仲だと思われてしまえば、翠とスイの関係性が露呈してしまう可能性もある。
(問題は、翠くんが碧くんにどこまで話してるか……だよね?)
新しい仕事を始めたのは知っているだろう。
だが、それが何の仕事かというのを話しているか——それが一番の問題だ。
(知らなければ友達とか……こ、ここ、恋人って思われてるのかな?)
たしかに、それならば家に誘うのも考えられる。
でも、そうではなかったら?
同じ仕事をしていると知られていて、そのうえで蓮華を家に呼んでいると思われていたら?
もしそうであるなら、翠がスイであると知られてしまう可能性少なからず存在するだろう。
(ああもう! なんで私がこんなに悩まないといけないのぉ!)
本来であれば、だ。
翠に誘ってもらって。
凄い嬉しくて。
彼の作ってくれた夕食を美味しく食べて。
帰る際には送ってくれるかもしれなくて。
そんな、嬉しい一日になるかもしれなかったのに……。
しかし現実は、先程頭によぎってしまった『恋人』という言葉に頬を染める暇すらないという状況なのである。
「…………」
どうも納得がいかなくて、蓮華は不満を込めた眼差しをいまだ調理中の翠へ向ける。
だが、蓮華に背を向けている彼はその視線に気がつくわけもなく、鼻歌交じりで調理を続けていた。
そんな時だった。
「ただいまぁ」
少し間延びした声。
それと同時に、リビングの扉がゆっくりと開け放たれる。
「ごめんねぇ、思ったよりも時間がかかっちゃって……もうご飯食べてる? ——あれ?」
リビングに入ってきたのは翠の母だった。
病院で顔を合わせたぶりの彼女は蓮華の姿を確認するや、その優しそうな顔を不思議そうに傾けさせて。
「蓮華ちゃん久しぶりねぇ……どうしたの? 翠とお仕事の話?」
今この状況で一番言ってほしくない言葉を告げたのだった。
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