親友とお出かけ ②
翠が犬たちと存分に戯れ、恭平の待つ席へ戻った後——
「堪能したみたいだな」
「ああ……」
あからさまに苦笑している恭平に対し、翠は「ふぅ」と満足げに大きく息を吐き出した。
かれこれ十分は戯れていただろうか?
そのせいかすでに服には大量の毛が付いていて、帰るときには頑張って毛を除去しないといけないだろう。
しかし、それがまったく嫌だと感じず、翠は逆に誇らしげに再び息を吐き出す。
「おおそうだ、コーヒー頼んどいたぞ」
「さんきゅ」
「いつ戻ってくんのか分かんねぇから少し冷めてるかもしれねぇけど……怒んなよ?」
「そんなんじゃ怒らないよ」
俺を何だと思ってるんだ——そう翠はぼやきながら目の前に置かれていたカップに手を伸ばす。
触れたカップは淹れたてとはいえなくとも十分に温かい。
恭平の配慮であるのか、それまた店側の配慮か……おそらく後者だろう。翠が犬たちと遊んでいたのは店員も見えていたのだろうから。
チラリと奥で立っている店員へ視線を送りながら、翠は手に取ったカップを口元へ運んだ。
「……そういえばさ」
「ん?」
コーヒー特有の苦みと寒さに染みる温かさを味わっている最中、唐突に口を開く恭平に翠はカップを口に付けたまま音だけを漏らす。
同時に、コーヒーを飲んでいる人に対して声をかけるとは何事かと抗議の視線を送るが、当の本人は全く気にするそぶりを見せていない。
それどころか、何か面白いことでも思いついたかのようにその口元は弧を描いていて。
「お前……俺の彼女と間違えられてたぞ?」
「ぶっ!?」
続いて告げられた言葉に、翠は口に含んでいたコーヒーを吹き出した。
「うおっ!? きたねぇな!?」
「ゴホッ……ゴホッゴホッ……!」
あまり量を口に含んでいなかったのが幸いしたのか、大きく吹き出してしまうのは免れたものの、その勢いでコーヒーが少量気管に入ってしまう。
何度か咳き込んだのち顔を上げれば、恭平が慌てて自身の服についてしまった飛沫を拭き取っていた。
「勘弁してくれよ……この服美穂がプレゼントしてくれたやつなんだぜ」
恭平の服装は黒を基調としたものだ。
そのおかげで付着してしまったコーヒーの飛沫は目立たないものの、汚してしまったというのは間違いない。
「わ、わるい……」
「まあ、白じゃなかったからまだいいけどよ」
翠が目を伏せて謝ると、恭平はしょうがないと肩をすくめる。
その雰囲気に翠が安堵の息を吐き出せば、彼は真面目な話をするかのように眼差しに真剣な色を見せた。
「真面目な話……お前さ、少しずつ服選びが女子っぽくなってきてねぇか?」
「へ?」
……このバカは突然なにを言い出すんだろう?
呆気に取られる翠。
そもそも翠自身仕事だからと割り切っているだけで、女装自体はしたいわけではないのだ。
なのに、目の前に座る男は女装に寄ってきていると言っている。
「そんなわけねぇだろ」
翠は恭平の言葉を否定しつつも自身の服装を見下ろした。
白いシャツの上に茶系のニットを重ね、パンツはデニムのスキニーパンツ、さらに足元はスニーカー。そして、現在座っている席にかけられているダウンジャケットが今日の翠のコーディネートだ。
「そんなに変かな?」
「別に変じゃねぇけどよ」
真面目な顔で聞き返せば、恭平は少し悩む素振りを見せて。
「女子っぽいってのは誤解があるかもな……うーん、なんていうかさ……最近のお前の服装って線が細いのが多いんだよ」
「線?」
「そう。全体的にほっそりとして見えるし、身長も高い方じゃないからな。だからそういうふうに見えるんじゃねぇかって話……なんか思い当たることないか?」
「思い当たること……あっ」
コーヒーを口に含む恭平に見つめられ、翠は腕を組んで考え出す。すると、すぐに答えは見つかった。
「なんかあったか?」
「俺……撮影の感覚で服選んでたかも……」
翠は撮影の際に着替えることが殆どだ。
それは女装をするからであり、それが翠の仕事で最初にする作業といっても過言ではない。
そして、撮影で何を着るかは翠に一任されているのだ。そのため、翠は少しずつ増えていき、いまや大量といっても過言ではない衣装の中から着るものを選んでいるのである。
「そういうことかぁ……冬着はボロボロになってたから買い替えたんだよなぁ……」
「ああ、そういう……」
頭を抱えた翠の前で恭平も納得したように頷いた。
つまり、撮影前の着替えの感覚で冬服を買ってしまっていたのである。
女装といっても、翠は完全にそうなるように服を選んでいるわけではない。あくまでも男が着ていてもおかしくない範囲で、それでいて女子も着ていそうな服装を選んでいるのである。
だからこそ、翠から見れば普通の格好をしているのに、他から見れば女の子っぽく見えてしまうという状況になってしまっているのだが。
「とは言ってもなぁ……いまさら買い替えるわけにもいかないし……」
ただでさえ安いものを最低限で買い替えているのだ。
これ以上の出費はしたくないと翠が悩み顔で椅子に寄りかかれば、それを見ていた恭平が微かに苦笑した。
「まあ、悩んでも仕方ねぇだろ。別に間違えらえたって害はないんだからよ……気にすんな!」
「いや、気にすんだろ……なんだよお前の彼女って、怖気が走るわ」
「ちょ!? それはいくら何でもひどくねぇか!?」
責めるような視線を向けてくる恭平。
翠はそんな彼が面白くて思わず笑みをこぼす。すると、それにつられて恭平も堪らずといったように笑い出し、二人で笑い合った。
そして、ひとしきり笑った後、翠は肩から力を抜いて椅子に寄りかかる。
「なんか、こういうのも久しぶりだな」
「まあな、お前が星野と一緒に活動し始めてからは減ったよな」
恭平はコーヒーを一口。
「まあでも、良い傾向なんじゃねぇの? なんつーか、その……お前の交友関係が広がるのはさ」
「そうかもな」
蓮華と共に活動するようになっておよそ三カ月。
その間で、翠の交友関係が少ないながらも広がったのは事実だ。
楽しいことだけではなかったし、間違えたこともあった。けれど、間違いなく翠の中では大切で、成長も出来た三カ月だったと断言できる。
そうやって翠が小さく頷くと、意外にも恭平は驚いたように少しだけ目を見開いていた。
「お前……」
「な、なんだよ……?」
らしくない悪友の雰囲気に、翠は疑うような眼差しを向ける。
すると、彼はすぐさまその雰囲気を霧散させ、ニヤリといやらしい笑みに変えて。
「そのせいで今、お前は俺の彼女に間違われてるんだけどな!」
「おい……」
どうやら疑ってかかったのは間違いではなかったらしい。
翠が半眼で睨みつけるが、恭平は何ともないように続ける。
「そう怒んなって! まあでもよ、クラスの奴らに見られない限り大丈夫だろ? 美穂と星野はお前の事情を分かってるんだしよ」
「……まあ、そうだけど」
「だから大丈夫だって! 今こうして二人で話してるところを見られないかぎ、り……」
窓の外へ視線を向けた途端、恭平は言葉を鈍らせた。
「恭平?」
「翠……先に謝っておくな」
窓の外へ向けていた顔を翠へ戻して。
恭平は気まずいような、それでいて過ちを認めるかのような何とも言えない表情を浮かべていた。
「もう見られてたわ……」
「はぁ!?」
慌てて翠は窓の外を確認する。
すると、そこには見覚えのある人影——クラスメイトの姿が。
彼らは翠と目が合うと慌てたように頭をかき出し、視線を逸らして、視線を戻すとヘコヘコ謝るようなそぶりを繰り返してから去っていった。
「…………」
言葉が出ない。
恭平と二人でいるところを見られた……それはいい。別に二人で出掛けたことがないわけでは無いからだ。
だが、逃げるように去っていった彼らを見るに、彼らが誤解をしている可能性は高い。
翠は親友の意見を聞くために視線だけを向ける。もちろん睨みつけるように細めるのも忘れない。
しかし、当の本人は諦めたように微かに微笑んでいて。
「まあ、明日ちゃんと説明するしかないわな」
「……勘弁してくれ」
落ち着いて話す恭平の前で、翠は力なく項垂れた。
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