第26話 仲直り




 翠は病室で本を読んでいた。


 熱もすでに落ち着き、夕方には退院することになった本日。

 元々荷物なんか無かったため退院するための準備もほとんどない翠は、持て余す時間を消費するために本という手段を選んだのだ。

 ちなみに、内容は『会話術』について——もちろん動画撮影のためだ。

 こんなところでも仕事のために時間を使っているという現状に、翠は自嘲を込めた笑みを浮かべながらページをめくっていく。


「でも、年明けまで休みになるとは思わなかったなぁ……」


 結局、紫音とのコラボは他の参加者のスケジュールが合わず、流れてしまった。

 とはいえ、年を明けてから翠と蓮華。そして紫音の三人でコラボをすることにはなっており、それが翠の復帰最初の仕事になることになっている。


「今頃、蓮華は必死に練習しているんだろうなぁ」


 あの日から、色々と変わった。

 

 例えば呼び方。

 気持ちを入れ替えて活動をしようということで、お互いに名前で呼ぼうということになったのだ。

 これは、一緒に活動をするのに距離が縮まった気がして翠としては気に入っている。

 とはいえ、学校で呼び方を変えてしまうと色々と噂が立ちそうなので、苗字呼びではあるのだが。


「ふぅ……もうそろそろ準備しておくかな」


 読書を続けてそれなりに時間が経ち、夕方。

 半分ほど読んだ本にしおりを挟み、翠は窓の外へ目を向ける。


 空はすでに赤みがかっており、読書をするには心もとない明るさに変わっていた。

 つまり、そろそろ迎えが来る時間帯なのだ。

 直後、示し合わせたようにコンコンとノックの音が響く。


「ん? 誰だろ?」


 翠が扉へ目を向ければ、スライド式のドアが開かれた。


「……兄さん」


「碧?」


 病室に入ってきたのは、碧だった。


「どうした?」


「…………」


 ベッドの上に座りながら問いかければ、碧は気まずそうに視線を彷徨わせ、右手に持ったダウンジャケットをぎゅっと握りしめた。

 そのまま数秒。


「……ごめん」


 何度も何度も悩むような仕草を見せ、開きかけた口を閉じ、視線を彷徨わせ続けた末に、碧は呟くように告げた。


「僕……兄さんの事なんも分かってなかった……どれだけ兄さんが頑張ってきたとか、どれだけ僕のために働いてきたとか……」


「……碧?」


 ……いきなりどうしたんだろう?


 碧の突然の告白に、翠は訳も分からず狼狽える。

 それと同時に頭によぎったのは、唯一翠の全てを知っている恭平のこと。

 彼が余計な事を言ったのだろうか?

 そう考えた翠が若干顔をしかめていると、碧は顔を俯けたまま続ける。


「恭平さんから聞いたんだ……兄さんがやってたこととか」


「そう、恭平が……」


「だから……ごめんなさい。兄さんにあんな態度取っちゃって、兄さんに迷惑かけて……」


 深く頭を下げる碧。

 対して翠は、どこか落ち着いた心境で彼を見ていた。


「そっか……」


 結局、当たり前なのだ。


 兄が弟を守るのは。

 長男が家族を守るのは。


 たしかに途中嫌な考えをしてしまった時はある。だが、翠は本気で碧を嫌ったことはなかった。

 もちろん嫌な思いはした。「なんで俺が」とも思った。でも、それで碧の事が嫌いになることなんてないのだ。


 だけど、ここで無条件に許すのは違うのだろう。

 それでは前と同じになってしまう。


 だから——


「なら、悪いと思った分家事を手伝ってくれ」


「へ?」


 頭を上げる碧。

 彼の表情には「そんなことでいいの?」と言わんばかりに疑問が張り付いていて、翠は思わず笑みをこぼした。


「もちろん勉強も頑張ること。碧には塾があるから大半は俺がやるけど、出来ることはやって欲しいな」


「いや、それはやるけど……そんなことでいいの?」


「そんなことって言うけど、家事って結構大変なんだぞ。こだわればキリがないし、意外と時間がかかるしで」


 碧の言い分は家事をしたことがない人間の考え方だ。

 とはいえ、翠だって本気でやって貰おうとは思っていない。少しでもいい、翠の時間を増やせればいいのだ。

 スッと、視線を窓の外へ。


「俺さ、やりたいことが出来たんだ……いままで何となくでやってきたけど、ちょっと頑張りたいって思うくらいにやりたいことが出来たんだ」


「…………」


「だから、無理のない範囲で手伝ってほしい……そうしてくれるならこれまでの事は水に流すよ」


 翠はフッと表情を和らげて碧を見る。

 すると、再び碧は驚いた表情を浮かべた。


 ……どうしたんだろう?


 少しだけ頬を赤らめながら、軽く頭を振る碧。

 そんな彼の様子に首をかしげたところで、扉からコンコンとノックの音が。


「お待たせぇ……受付で時間がかかっちゃった」


 少し大きめなバッグを握り締めて、母が病室に入ってくる。


「翠は……準備できてるわね。じゃあ、このバッグに荷物を入れて……」


「あっ、いいよ俺でやるから。母さんは休んでて」


「でも、翠は病み上がりでしょ?」


「僕が手伝うからいいよ」


「そーお?」


 仕方ないとでもいうように座る母を横目に、翠は碧と共に帰る準備を始める。

 荷物が少ないのもあってか数分で準備が終わり、後は受付に行くだけとなった。


「よし……じゃあ、あとは母さんが受付行ってくるから、翠たちは先に出てて」


「「わかった」」


 笑顔で告げる母に二人で返事を返す。

 そうして身支度を整え、翠が病室を出ようとする背後で。


「仲直り出来た?」


「うん」


 おそらく二人だけの会話。

 こっそりと小声でやり取りをする二人の声が聞こえてきて。


「あはは……」


 どこか感じていた重み。

 それが無くなった気がして、翠は笑みをこぼすと病室を後にした。

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