第25話 たぶんきっと、ここからが対等




「じゃあ、ごゆっくり」


「すいません」


 星野と入れ替わるように部屋から出ていこうとする母。

 そんな母に、星野は小さく頭を下げる。

 ゆっくりと開かれ、そして閉まる扉。

 そうして室内に翠と星野の二人になったところで、翠はゆっくりと体を起こした。


「えっと……学校は?」


 言ってしまった後に翠は間違いに気付いた。

 今日は平日ではあるけれど、学校自体は昨日の時点で冬季休暇に入っているのだ。

 そのことにすぐに気付かなかったのは、翠自身、思っていたよりも緊張しているのかもしれない。


「あ……ごめん。昨日で休みだったよな」


「うん」


 誤魔化すように笑えば、星野は小さく頷いた。


「「…………」」


 沈黙。

 翠のすぐ傍らに立ったままの星野の表情は固い。

 それは、何を話していいのか分からないといったようだった。

 そしてそれは、翠も同じで。


「えっと、座ったら?」


「う、うん」


 ぎこちなく腰を下ろす星野。

 そして、再びの沈黙。


 どうにも病室の空気が重たい。

 目を伏せ、唇を噛むように閉ざしている星野。

 その姿は起こっているようにも、泣きそうになっているようにも見えてしまって。


「ごめん……星野に迷惑掛けちゃったな。母さんに聞いたよ、星野が紫音さん達に連絡とってくれたんだろ?」


 翠は耐え切れず、若干の笑みを浮かべて話し始めた。


「ははは、世話ないよな……苦手分野を克服しようとしてさ、毎日練習してたら熱出して倒れるなんて……ほんと何やってるんだか」


「…………」


「恭平にも迷惑掛けちゃったし……そうだ、あいつ何か言ってなかった? この埋め合わせは必ずーとか、弱みを握ったとかさ」


 恭平なら言い出しそうだ。

 容易にできる想像に、翠はクスリと笑みをこぼす。

 しかし、星野の表情は晴れない。

 そのことに翠は少しだけ言葉を詰まらせるも、すぐに再開させる。


「紫音さん達にも謝らないと……これからはこんなことにならないように気を付けないとなぁ……そのためにはもっと頑張ら——」


「どうして!?」


「えっ?」


「高宮君はどうして私を責めないの!?」


 突然の大声に翠は目を瞬かせ、直後息を呑んだ。


 ここまで声を荒げる星野の姿が初めてだったから。

 そして、彼女の瞳から大粒の雫が溢れていたから。


「私は自分の事しか考えてなかった! 高宮君を誘った時も……コラボをお願いした時だって! なのに、なんで高宮君は私を責めないの!?」


 下を向き、ぽろぽろと雫を落としながら彼女は続ける。


「全部……全部私のせいじゃん……! 倒れたのも……頑張ってくれたのも……! 私のせいで高宮君は倒れたのに……なんで責めないの……?」


 ぎゅっと膝の上の拳を握り、星野は「ごめんなさい」と呟くように告げた。

 それこそ、縋るように何度も、何度も。


「ぁ……」


 ……どれだけ星野は自分の事を責めていたのだろう?


 スイという少女が生まれた切っ掛けが星野なのは間違いない。

 そして、自身が原因でその人が倒れてしまったら?


 怖かったはずだ。

 不安だったはずだ。


 自分が背負わせてしまったという重荷を、星野は感じてしまっていたのだろう。


 それと同時に。


 ……どれだけ自分はバカだったのだろう?


 目の前で泣く少女の姿に、翠は自身の過ちを自覚した。


 星野を手伝いたいという自分の気持ちを信じ続けたことも。

 彼女のためなんて理由を付けて……無理をしたのも。


 たぶん、最初から間違えていた。


「ごめん……」


「なんで高宮君が謝るの……?」


 星野が顔を俯かせたまま問う。


「俺さ……動画投稿の活動をする理由を全部星野のためって考えてた。星野が頑張ってるのを手伝いたい、応援したいってさ……でも、これが間違ってたんだと思う」


 いまだ涙を流しながらも、星野の顔が少し上がった。


「さっきさ、母さんに言われたんだ……翠は寄りかかるのが下手くそだって。それで思ったんだ……たぶん俺、言い方悪いかもしれないけど、星野の事を信頼しきれてなかったんだと思う」


 二人で活動していたのに、たった一人のために活動していたのがそう。

『Water lily』は二人のチャンネルだ。二人で始めたチャンネルだ。

 だからこそ、翠が欠けてしまっていては意味がない。


「俺……活動する理由を星野に。ぜんぜんそんなこと無かったのに」


 踏み出すのが怖かった。

 寄りかかるのが怖かった。


 最初は無理やりだったかもしれない。憧れだったのかもしれない。

 でも、途中から変わっていたのだ。


「俺さ、楽しかったんだ……もちろん女装は慣れないし、苦手だけどさ……星野と一緒に活動するのが楽しかったんだ」


 なのに、寄りかかるのではなく……押し付けていた。

 支えているつもりになっていた。


 それがただの独り善がりであることを見ないようにして。


「二人の活動だったはずなのに、俺は勝手に星野だけで活動させてた……だから、ごめん」


 翠は体を星野の方に向け、頭を下げる。

 数秒の間の沈黙。その間に星野からの返事は無かった。


 翠はゆっくりと頭を上げる。

 すると、彼女は涙を流しながらも翠を見つめていて。


「……私ね……怖かったの」


 くしゃりと、星野の顔が歪んだ。


「ここに来るのね……怖かったの……高宮君が辞めちゃうんじゃないかって……不安で仕方なかったの……」


「……辞めないよ」


「本当……?」


「うん」


「よがったぁ……」


 嬉しそうに。

 そして、とても安心したように星野は涙を流す。


 おそらく、彼女もそうだったのだ。

 全てを理解しているわけではないかもしれない。けれど、彼女自身なにかを感じていたからこそ、これほど不安になっていたのだろう。


 だから不安になって、怖くなって……謝った。


 無責任だと思うだろうか?

 いや——


「お互い様だね」


 お互いに押しつけていた。

 上っ面な関係を続けていた。


 だからこそ——


「…………」


 押しつけ合う関係はこれで終わり。

 お互いがお互いのために……時に支えて。そして支えてもらって。

 だから、この行動は翠の意思だ。


「えっ?」


「小さい頃にさ、母さんにしてもらって安心したから」


 ベッドから出て、泣き止まない星野を抱き寄せた。


 いつの頃だっただろうか。

 翠が泣き虫だった頃、母はよくこうして抱きしめてくれた。

 何も言わず、翠が泣き止むまで。


 彼女の頭を抱く手のひらに、少しだけ力を込める。


「俺は辞めないよ」


「……うん」


「だって、今はこれが俺のやりたいことだから」


「……うん」


「だからさ、今度は俺から言うよ……俺と一緒に動画に出て欲しい」


「うん……!」


「……よかった」


 不器用な笑みを浮かべ、翠は震える息を吐く。

 重なる二つの影は、彼女が泣き止むまで動きを止めていた。




 *   *   *




 ——コンコン


「……お父さん」


「いいよ、入ってきて」


 蓮華は一度唾液を飲みこんでから扉を開く。


「彼の様子はどうだったかい?」


「怒らないの?」


 穏やか表情で翠の様子を聞く父に対し、蓮華はおずおずと問いかけた。

 すると、彼はコーヒーを一口。


「別に蓮華が悪いわけじゃないだろう。翠くんもね……それに、若いうちは失敗するものだよ。それを毎回咎めていては成長できないからね」


 穏やかな表情で、父は手に持っていた本をテーブルに置いた。


「それで? 急にどうしたんだい? ……あっ、コーヒー淹れようか?」


「大丈夫」


 蓮華は父の向かいにあるソファに腰掛ける。


 腰を下ろして、数秒。

 何度か深呼吸を繰り返し、不思議そうに蓮華を見ている父と視線を重ねる。


「お願いがあるの……」


 翠と話した後、ずっと考えていた。

 最初は泣いてしまった恥ずかしさ、抱きしめられた恥ずかしさに嬉しさ——様々な感情で何も考えられなかったけれど、落ち着いてくれば色々と見えてきたのだ。


 ……このままではいけない。


 蓮華に翠の苦労は分からない。

 彼の実情を知ったからこそ、分かるなんて言ってはいけない。


 ——だから、この決断が正解なのかも分からない。


 それでも、蓮華は考え抜いた末にこの決断をした。

 これからも彼と一緒に活動を続けていくために。


「————」


 蓮華は父に思いの丈を全てぶつける。

 初めは驚いた表情をしていた父は、次第に口元を緩ませて頷いてくれた。


 ……ここから、ここからだ。


 今までとは違う。

 今後も彼と活動を続けていくために。


「ありがとう」


 想い新たに。

 蓮華は父にお礼と、感謝の笑みを浮かべた。

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