第24話 目が覚めて




「んん……」


 おぼろげな意識が微睡むように揺らぐ。

 まぶたの裏が薄い赤色に染まっていて、徐々にはっきりとしていく意識。

 その意識のままに瞳を開いていけば、視界はまっしろな天井を映した。


「起きた?」


「……母さん?」


 微かに霞んでいた意識が、母の声によって少し晴れる。

 声のした方向に視線を向ければ、彼女はすぐ傍らに座っていた。


「あれ? ここは……?」


「病院よ。憶えてない?」


「病院……?」


 告げられた言葉がすぐに理解できず、翠は視線を天井へ。


(そういえば……恭平たちと歩いていて……)


 思い浮かぶのは三人で通りを歩いていた景色。


 三人で歩いていて。

 星野がコンビニに入って。

 信号を渡るために走って。


(そこから……どうしたんだっけ?)


 いくら思い出そうとしても上手く思い出せない。

 なんだか苦しかったという記憶はある。しかし、翠にはそれ以上を思い出すことが出来なかった。


「そういえば、なんで俺病院に?」


 思考を中断し、視線を母の元へ。

 すると、彼女は眉をハの字にしながら口を開いた。


「翠、恭平君達の前で倒れたのよ……それで恭平君が病院に連れていったの、それが昨日の話。お母さん、翠が昨日のうちに目を覚まさなかったから心配したわ」


「昨日?」


 母の言っていることが上手く飲みこめずに聞き返せば、返ってきたのはコクンと無言の頷きだった。


 ……本当に一日経ってる?


 彼女の雰囲気から嘘を言っているようには思えない。

 そうすると、翠が倒れたということも本当のことなのだろう。


(でも、何か忘れているような……)


 頭に引っかかる違和感。

 昨日、自分はどこへ行こうと——


「そうだ撮影!」


 閃くよう思い出し、翠は勢いよく体を起こした。

 直後、襲い掛かる眩暈。


 揺れる意識に「うっ」と呻くと、母が少しだけ腰を上げる。


「まだ完全には熱が引いてないみたいだから大人しく寝てなさい。そのあたりは蓮華ちゃんがしてくれたみたいだから」


 促されるままに体を寝かす。

 そのまま部屋に備えられていた時計を見れば、時刻の針は十時を示していた。


「母さん……仕事は?」


「休んだわよ。さすがに息子が倒れたのに仕事には行けないでしょ?」


「ごめん……」


「なんで謝るの? こういう時しか甘やかせないんだから素直に甘えなさい」


 少し目を伏せると母のいつもどおりの声。

 その声に罪悪感が薄れるのを感じながら、翠はじっと天井を見つめる。


 どちらも声を発さず、カチカチと時計の針が進む音だけが耳を揺らして。


「投稿者……やめた方がいいのかな……?」


 ほとんどが無意識に。

 翠は天井を見上げたまま呟いていた。


「なんで?」


 不思議そうに問う母の声の方に、翠は視線を動かす。


「だってさ……いつも星野には迷惑をかけてばっかだし、今回だって迷惑掛けちゃったしさ……俺は星野ほど熱意をもって活動してるわけでもないから」


 元々はほぼ無理やりに始めた活動だ。

 最終的にやると決めたのは翠だけれど、動画投稿にそれほど熱意を持っていない人間がこのまま活動をするのは、熱意をもって活動している人に失礼かもしれない。


 答えを求めていたわけじゃない。

 ただ、どこかに吐き出したかった。


「ごめん、何でもない」


 言葉にしてしまえば、心は少しだけ落ち着きを取り戻す。

 そうして翠は母に向けて笑み浮かべ、再び視線を天井へ動かした。その時だった。


「翠は止めたいの?」


 その言葉に翠が顔を戻せば、母は真っ直ぐに翠の瞳を見つめていた。


「迷惑かけるとか、そういう理由じゃなくてね。翠自身は止めたいの?」


「……分からない」


 ……自分はどうしたいのだろう?


 これまで、自分から何かをしたいと思って活動したことは無かった。

 バイトを始めたのも、ただ家庭を助けるため。

 カフェを選んだもの、落ち着いた雰囲気であれば人見知りでも大丈夫かもしれないと思ったから。


 上手い答えを見つけられず、視線だけが病室をさまよう。


「じゃあ、なんで蓮華ちゃんと活動しようと思ったの?」


「……それは」


「何か理由があるんでしょ? なら、それが答えなのよ」


「でも……」


 確信をもって言ってのける母に対し、翠は上手く答えを口にすることが出来なかった。


 翠が星野と活動をしようと思ったのは、彼女の一生懸命さに憧れたからだ。

 でもそれは、あくまでも翠が勝手に思ったこと……自分勝手な理由でしかない。


 ……そんな理由でいいのだろうか?

 ……星野の迷惑にならないだろうか?


 思い浮かぶのは不安ばかり。


 口にするのが怖い。

 形にするのが怖い。


 理由なんて初めから決まっているのに、翠にはそれを形にする勇気が持てない。

 そんな翠を見てか、母はクスリと小さく笑う。


「翠は寄りかかるのが下手だから」


「……えっ?」


 思わぬ言葉に、翠の思考が止められた。


「人は一人じゃ生きられないの。よく言うでしょ? 『人』の字のお話。まあ、人によっては片方が寄りかかってるなんて言うけどね……でも、寄りかかるのにも勇気がいることなのよ?」


 呆気に取られる翠に構わず、母は続ける。


「だって、相手が支えてくれるって信用してなくちゃ寄りかかれないじゃない。そしてね、支えてくれる人も委ねてくれてるって分かれば嬉しいものよ? だから一生懸命支えようとするの」


 そう言うと、母は付け加えるように「まあ、全部お父さんの受け売りだけどね」と微苦笑。


「翠の抱えてる不安も、そういうことじゃないかしら。だから、いっぱい話しなさい。喧嘩するほど仲がいいって言うでしょ? 一回くらい喧嘩したってわけないんだから」


 今度はニコリと笑って。


「じゃあ、入ってきて」


「は?」


「……失礼します」


 母のこれまた突然の行動に、翠の目が点になる。

 同時に、とても聞き覚えのある声が扉の開く音と共に響いた。


「高宮君……」


 目を伏せ、気まずそうに室内に入ってきた星野。

 彼女は意を決したように眼差しに力を込め、翠の元に歩いてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る