第23話 知らない兄の姿





 碧は一人、自室で座り込んでいた。


「はぁ……」


 胸のモヤモヤが晴れない。

 あれだけ苛立っていた相手のはずなのに、その相手が倒れたという連絡が全然嬉しくない。

 むしろ、気分は沈んでいくばかりだった。


「…………」


 何もする気になれず、碧はボーっと壁を見つめる。

 そんな時だった。


 ——コンコン……。


「俺だ」


「恭平さん?」


 思わぬ来客に碧は首をかしげる。


「入っていいか?」


「……どうぞ」


 ……どうして恭平さんが?


 そんな疑問を持つが、断るわけにもいかない。

 了承すると、「悪いな」と一言だけ告げ、恭平が部屋に入ってきた。


「ちょっと話があってな」


「……それって、兄さんのことですか?」


「まあな」


 頷く恭平に、翠は少しだけ顔をしかめた。

 予想通りというか、案の定というか……彼の話は翠の事だったらしい。


「喧嘩の事でしたら、僕も悪いと思ってますよ」


 先んじて告げる。

 ある程度の事は察しがついているだろう恭平に余計なことを言われないためだ。

 いや、今はその話をして欲しくないというのが本心だった。


 だが、彼はキョトンとした顔を浮かべて。


「ん? 別にそんなことでお前を怒ろうなんて思っちゃいねぇよ」


「えっ?」


「なんだよその顔? 別に翠だって悪いんだろ? なら俺はお前を怒れねぇよ。ただ、知っておいて欲しいことがあってな」


 腰に片手を添えて笑う恭平。

 しかし、なぜだろう?

 碧にはいつもの彼とは違う雰囲気を感じてしまう。


「ちょっとついて来てくれ」


「今からですか?」

 

「そんな離れちゃいねぇよ」


「はあ……」


 釈然としないものの、部屋を出ていく恭平を追って外へ。


 ……いったいどこへ?


 時刻はすでに夕方。二人ともいない状態で出掛けるのは良いことではない。

 そう考える碧だったが、恭平の目的地は彼の言うとおりとても近かった。


「ここだ」


「えっ、そこは——」


 恭平の指し示す先、それは翠の部屋だった。


「さすがに不味いんじゃ——」


「大丈夫だって。ほら入るぞ」


 碧の制止も聞かず、恭平は部屋の中へ。


「ほら早く」


「…………」


 恭平に急かされ、碧も部屋の中へ。


 翠の部屋に入ったのはいつぶりだろうか?

 少なくとも、ここ数年、碧は彼の部屋に入っていなかった。

 ベッドと勉強机と小さな本棚。キレイに整頓され、物が少ない部屋だ。


「あいつのことだから、この辺りかな?」


「ちょ!?」


 感傷に浸る時間も与えてもらえず、恭平は一目散に部屋の押し入れの方へ歩いていく。

 そして、勢いよく引き戸を開け放った。


「あったあった。あいつのことだからキレイに仕舞ってると思ったんだよな」


「恭平さん、さすがにそれは不味いんじゃ……」


 さすがの兄も見られたくないものくらいあるだろう。

 まだ間に合う——碧は恭平を連れて帰ろうと彼の腕を掴もうとして。


「なにこれ……?」


 中にあったものに、思わず声を漏らした。


 小さなケースに収められた粒。

 赤や青、黄色と様々な色をしたそれは——


「ビーズアクセサリですか?」


「おう、知ってるのか?」


「まあ、多少は……」


 ただ、兄がそれをやっているということが碧には意外だった。

 ——無趣味だと思ってたから。


「んー、たぶんだけど……お前の想像とはちょっと違うかな。ほらここ……名前書いてあるだろ」


 恭平が指し示す場所へ視線を動かす。


「名前……?」


「おう」


 おそらく完成しているであろうビーズアクセサリ。

 そこには紙の切れ端が取り付けられ、名前が書いてあった。だが、そのどれもが碧には聞いたことがない名前だ。


 ……何なんだろう?


 意図がまったく分からず、碧は恭平へ答えを求めて視線をやる。

 その数秒後、見かねたように恭平が口を開いた。


「ところでさ、お前小遣いはいくらもらってる?」


「えっと、なんでそんなこと?」


「いいから」


「…………二万円ですけど……」


「ずいぶん貰ってるんだな」


「何ですか急に」


 責めるかのような言葉に碧は無意識に眉をひそめた。

 二万円といっても全額が自由に使えるわけじゃない。筆記用具などの消耗品はこの小遣いから出しているのだ。


「そもそも、なんで恭平さんがうちの事情に口を——」


「その金な……これから出てんだよ」


「は……?」


 思考が止まる。


 ……僕のお小遣いを?

 ……これから?


「驚いたみたいだな」


 碧の表情を見て、恭平は微苦笑。


「まあ、全額じゃないけどな。さすがにこれじゃあ二万円なんて稼げねぇよ」


「じゃあ、どういうことなんですか!?」


 分からないことだらけ——そんな状況に碧の語気が強まる。

 詰められた恭平は「落ち着けって話してやるから」と頭をかくと、視線だけをベッドに向けた。


「まあ、ちょっと座れ」


「…………」


 碧は促されるままに腰掛ける。

 それを見届けてから、恭平は勉強机に腰を預けた。


「なにから話すかな……」


「全部教えてください」


「分かってるって……お前が分かってるかどうかは分かんねぇけどな、裕子さんの仕事だけじゃ今のお前たちの暮らしって出来ねぇんだ」


「続けてください」


「簡単な話だ。その足んねぇ分を支えてるのが翠だって話だよ」


 恭平の視線は扉の方へ。


「このアパートの家賃までは知らねぇけどよ。部屋が三部屋もあればそれなりな金額にはなる。いくら裕子さんが必死に働いてたって余裕なんか無い。ましてや、二万円も小遣いなんてやる余裕はな」


 扉へ向けられていた視線が碧へ帰ってくる。


「このあたりからは想像だけどな。今はあつしさん……お前の親父さんな、の遺産がある……でもそれも限界がある。裕子さんはそれを使ってお前らを育てようとしてるんだろうよ」


「…………」


「だけど、それは裕子さん自身を考えていないやり方だ。だから翠はそれを支えようとしてる。そのうえでお前が将来いい生活が出来るようにって考えてんだよ」


「…………それと、あのビーズアクセサリがどう繋がってるんですか?」


 純粋な疑問だ。

 翠がほぼ毎日アルバイトしていて、そのうえで家事をしているのは碧だって知っている。

 それで支えているのであれば、これと何の関係があるのだ。


 睨みつける勢いで恭平を見つめる。

 すると、恭平の視線が苛立たげに細められた。


「お前の小遣いの内訳を教えてやるよ……裕子さんが捻出してるお前らの小遣いと、あれを売った金だよ」


「なん——」


「今は便利だよな……小学生でも頑張ればインターネットでああゆうのが売れんだから」


 押入れを見ながら、恭平は悲しそうに微笑んだ。


「新しい仕事始めて、いい方向に向くと思ってたんだけどなぁ……」


「…………」


 何も言えなかった。

 それは、恭平が今にも泣きそうになっているから。

 その姿が、あまりにも普段とかけ離れているから。


 ふと、彼の眼差しが碧へ向いて。


「そういえば、知ってるか?」


「えっ?」


「あいつってさ……泣かないんだよ……よく涙目にはなるんだけどさ……声出して泣かないんだよ……」


「ぁ——」


「心当たりあるみたいだな」


 碧の表情を見て恭平が微かに笑う。


 今思えば、碧には翠が本気で泣いているところを見た記憶がない。


 ホラー映画を一緒に見た時。

 小さい頃、絡まれた碧を助けてくれた時。


 涙目にはなっていたけれど、決して泣きはらす姿は見たことが無かった。


「あいつって昔は泣き虫だったんだよ……よくびぃびぃ泣いててさ……変わったのはあの頃かなぁ……周りばっか気にするようになってよ。頼まれたら断れなくなった」


 ……それは、いつから?


 翠が変わった切っ掛けを碧は知らない。

 でも、それを聞くことも出来なかった。


 不意に恭平が立ち上がったから。


「悪いけど……話は終わりだな」


「……っ!? なんで?」


 まだ全部聞けていない。

 碧は立ち上がり、眉を歪める。


「なんでなんですか!? まだ全部聞けてない! なんで兄さんは——」


「悪い……」


「っ……」


 振り返った恭平の表情に、碧は言葉を続けることが出来なくなった。


「これ以上は勘弁してくれ……」


 悲しそうに、悔しそうに……そして、怒っていた。

 その姿に気圧された碧は半歩後ろに下がり、そのままベッドに腰を落とす。


 パタンと音が鳴り、翠の部屋に碧だけが残された。


「……馬鹿野郎」


 扉の向こうから聞こえてきた恭平の声。

 その言葉は、誰に向けて言っているのだろう?


 何もかもが分からない。


 一人残された部屋で碧はうなだれる。

 いつの間にか、夕暮れは夜に変わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る