第19話 帰宅して




 一人での夕食を終えた翠が食べ終えた食器を洗っていると。


「ただいまぁ」


 背後でガチャリと音を立てて開く扉。

 その直後、間延びした声と共に母がリビングに入ってきた。


「ごめんね……最近家事を一人でやらせちゃって」


「大丈夫だって。母さんだって年末で忙しいでしょ」


「でも、翠だってアルバイト忙しいんじゃないの?」


 心配をそうに顔色を伺う母に、翠は少しだけ手を止めて振り向く。

 急いで帰ってきたのだろう。母の頬は少し赤みを帯びており、息遣いも若干荒い。


 パートとして朝から夕方まで働いている母。

 週に二度ほどは夜間の仕事もしているし、翠の本音としてはあまり無理をして欲しくないのが本音だ。

 だからこそ、翠は笑みを浮かべ首を横に振った。


「母さんが心配するほどじゃないよ。カフェの店長も分かってくれているし、投稿者の方も俺がやるって言ったことなんだからさ」


「そう?」


「そうそう。だから気にしないで」


 シンクへ視線を戻して、洗い物を再開。

 そのまま全て洗い終えると、濡れた手をタオルで拭く。


「ただ、学校が休み入ったらちょっと大きい仕事があるから、もしかすると晩御飯作れないかも」


「そうなの。じゃあ、その日はお母さんが用意するね」


「出来るだけ作るつもりだけど、そうなったらお願い」


 椅子に荷物を置いている母から視線を外し、冷蔵庫へ。


「コーヒー温めるね」


「ありがとぉ」


「晩御飯は? お風呂に入ってからにする?」


「うーん……じゃあ、貰おうかな」


「分かった」


 コーヒーをレンジにかけた後、テーブルに並べたままになっている夕食に手を伸ばす。

 まだ食べたばかりで温かくはあるけれど、コーヒーで一息ついた後で食べるには少しばかり冷めてしまっている。

 翠は母の分のだけレンジの近くに並べ、すぐに温められる状態にした。


「年末は忙しそう?」


「そーねぇ……年末はさすがに休もうと思ってるわ。翠に頼り切りも悪いしね」


「別にいいって言ってるのに」


 母の言葉に少し唇を尖らせて、翠は温まったコーヒーを取り出す。

 そして、入れ替わりで夕食をレンジに入れるとすぐに母の元へ。


「はい、コーヒー」


「ありがとう……あっつぅ!?」


「そう?」


 余程熱かったのか、母は受け取ったカップをすぐさまテーブルに置いた。

 そのまま手を冷ますようにヒラヒラと振る。


「よくこんなに熱いもの持てるわねぇ……」


「ん? まあ、慣れだよ」


「悲しいわぁ……こうやって息子の手の皮も、面の皮も熱くなっていくのね」


「それは関係なくない!?」


 思わずツッコミを入れると、母は「冗談よ」と言ってコーヒーをちびちびと飲みだした。

 

 翠の整った顔は母親譲りだ。そのせいか、母は年の割に若く見られる。

 時折舌を出しながら少しずつコーヒーを飲むその姿はまるで小動物のようで。


「ご飯、もう少し待ってね」


 翠はフッと息を吐き出して、夕食が温まるのを待つことにした。




 夕食が終われば、また翠の仕事だ。

 母が風呂に向かうのを見届けた後、食べ終えた食器を洗う。


 母がお湯を使っているので水での皿洗い。

 もしかしたら使っても大丈夫なのかもしれないが、これは気持ちの問題だ。

 そうして食器を洗い終えると、冷えてしまった手を温めるようにタオルで入念に拭いた。


 その後、ノートパソコンを持って自室へ。


 まだ碧が帰って来るまでに時間がある。

 そして、そういった時しか翠は練習が出来ないのだ。


「こんにちは! 『Water lily』のスイです!」


 開いたノートパソコンに向かって、翠は出来るだけ明るくなるように挨拶の練習を始める。


 碧がいない間は会話の練習。

 出来るだけ明るく、出来るだけ言葉に詰まらないように、話を振られた時の事を想像して返事を考える。

 そして、碧が返ってきた後はゲームの練習だ。


 恭平に教えてもらった攻略サイトを開き、各種ブロックの使い方や特徴を見ながら実際に使っていく。


「こういう時はクリエイティブが役に立つな」


 体力も空腹度も気にせず、好きなブロックは簡単に取り出すことが出来る。

 そうして翠が没頭していると、不意に背後にコンコンとノックの音が響いた。


「……翠?」


「どうしたの?」


 ……いつもはこの時間に部屋に来ることなんてないのに。


 ガチャリと音を立て、少しだけ顔を覗かせた母に翠は首をかしげた。

 すると、彼女は一度ノートパソコンに視線をやってから。


「お母さんもう寝るけど……あまり遅くまで頑張りすぎないようにね」


「……? 分かった」


「じゃあ、おやすみ」


「おやすみ」


 パタンと閉まる扉。

 その奥からは足音が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。


「なんだったんだろう?」


 珍しく部屋に訊ねてきたと思ったら、心配そうな顔で声をかけてきた母。

 そのことがどうにも気になってしまう。

 しかし、このまま気にしていても練習が進まないわけで。


「まあいいや……あと少し頑張ろう」


 翠は数回頭をかくと、パソコンに向き直る。

 結局、翠の部屋からは夜遅くまで光が漏れていた。

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