第18話 たった二人の打ち合わせ
「今日はよろしくね」
少し日が流れて、紫音との打ち合わせの日。
放課後に『スイレン』へ訪れた翠を、紫音は爽やかな笑みで出迎えた。
「はい、よろしくお願いします」
小さく手を振って迎える紫音に、翠は小さな会釈で返す。
ちなみに星野はいない。
それは今回翠だけが参加するからであり、翠の覚悟の表れでもあった。
星野は最後まで一緒に行くと言ってくれていたが、翠が断ったのだ。
——自分だけでやってみる、と。
『Water lily』というチャンネルは星野の存在で成り立っているといっても過言ではない。
企画から進行まで。さらには編集までも星野が関わっている。
もちろん編集をすべてやっているわけではなく、ちゃんと編集をしてくれる人はいる。しかし、星野も少なからずやっているのが現状だ。
(俺が呼ばれたんだし、俺がやらないと……)
翠は気を引き締めると、紫音が座っているソファの反対へ。
脇にカバンを置き、腰を降ろす。
すると、開口一番。
「肩ひじを張らない方がいい」
とても真剣な表情で。
そして、翠の心を案ずるように紫音が告げた。
「えっ?」
「すまなかったね。私は楽しんでくれたらと思って誘ったんだけど……これじゃあ逆効果だったかもしれないな」
「えっ? えっ……?」
「いや、もう遅いかな……」
悲しげに微笑む紫音。
しかし、その表情はすぐにいつものものに戻って。
「ごめんごめん。気にしないで……じゃあ、さっそく打ち合わせを始めようか」
「……はい」
ニコリとした笑みに、翠は釈然としないながらも頷く。
後半、小さくなった彼女の呟きは翠には聞き取ることが出来なかった。
……なんだったんだろう?
そんな疑問が翠の中に燻るものの、すでに普段の笑顔に戻った紫音に聞けるわけもなく。
「まずは、今回の参加者だけど——」
続く紫音の説明に、翠のその疑問は胸の奥に沈められた。
「——といった感じかな」
一通りの説明を終え、フゥと息をつく紫音の前で。
「……は、い」
翠は顔を少しだけ俯かせ、どうにか頷くことしか出来なかった。
世界の終わりとでも言わんばかりの表情で。
(無理無理無理無理無理……!)
参加するのは紫音と翠を除いて五人。
しかも、全員が翠よりも年上だ。
さらに言うなら、チャンネル登録者数も翠たちより上。経歴も上。
説明の途中に彼、彼女らのチャンネルを見せてもらった時には、翠は茫然として何も言えなかった。
なにもかもが上の人たちと一緒にゲームをしなくてはならない……そんな状況にすでに翠の内心は何度も首を横に振っている状況だ。
「……難しそうかい?」
翠の胸の内を察しているのか、紫音が優しい声色で問いかける。
無理だと言ってしまいたい。
出来ないと言ってしまいたい。
弱音が鎌首をもたげる。
紫音は優しい人たちと言ってくれたし、失敗しても大丈夫だとも言ってくれた。
それでも、弱音がどんどんと膨らんできてしまうのが翠だ。
安心なんて出来ないし、すでに不安が胃を押しつぶそうとしている。
でも——
「頑張ります……」
やると決めた以上は、途中で投げ出したりはしたくない。
それが翠の本心であり、覚悟でもあった。
「そうかい……でも、無理なら途中でもいいから言ってほしい」
「大丈夫です」
少し心配そうに眉を寄せる紫音に、翠は大丈夫だと笑みをもって返す。
これなら彼女も安心してくれる……そう考えて作った笑み。
しかし、対する彼女の答えはため息だった。
「話は変わるけど……スイ君、君の動画は全部見たよ。最初の慣れていない様子は可愛らしかったし、その後の動画も凄い楽しそうだった」
「……ありがとうございます?」
「人前が苦手とも聞いているし、それでも活動を続けてるんだから大したものだ」
「…………」
紫音の言葉の意図が分からず翠は首をかしげる。
ため息からの称賛。
それどころか、先程までこの後のコラボの話をしていたのだ。
正直、よく分からないというのが翠の本音だった。
「でもね、君はもう少し周りに目を向けた方がいい……君自身の為にもね」
「どういうことですか?」
「これ以上は自分で気付くべきだと思うよ? ……でも、一つだけヒント。動画投稿でも、仕事や趣味でも、楽しんだ人が勝ちだし、楽しんだ人だけが成功するものだよ」
そう言って、紫音は笑みを浮かべる。
「だから、今度のコラボは是非楽しんでほしい。君のチャンネルの為とかじゃなく、蓮華君の為とかじゃなくね」
笑みを止め、小さく息を吐き出した紫音。
彼女は何時になく真剣な眼差しで翠を見て。
「君が頑張っているのは分かってる。それだけは忘れないでほしいかな」
「…………」
出会ってからそこまで時間が経っていないとはいえ、翠から見た彼女のイメージからは考えられなかった言葉。
そして、どこまでも翠の事を考えて告げられた言葉に、翠は返事をすることが出来なかった。
……どういうことだろう?
意図が見えない。
それとも、星野を心配しているのか?
内容から考えれば前者だろう。
でも、違っていたら?
そんな小さな不安が、翠にこれ以上問うことを遮ってしまう。
何も話すことなく五秒。
それが、時間切れの合図だった。
「はい! 暗い話は終わり!」
沈黙を破るように、紫音がパンと手を叩く。
「そんなに重く受け止める必要は無いよ、ただの年長者からのちょっとしたアドバイスさ。やっぱりゲームは楽しんだもの勝ちってこと。それだけだよ」
「……はい」
ウインクをする紫音に、翠は仰々しく頷いた。
すると、彼女は「よろしい」と笑みを見せて。
「さて、これで打合せを終わりにしようか。実はこの後にも予定が入っていてね……マネージャー、怒らせると怖いんだよ……」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ……もう鬼のようでね。っと、言ってるそばから」
紫音のスマホから鳴る通知音。
その音に彼女は顔をしかめる。
「最後バタバタしてしまってすまないね。じゃあ、次のコラボ楽しみにしてるから」
「あ、はい。よろしくお願いします」
席を立つ紫音に頭を下げれば、彼女は「ははは、そんな仰々しくなくて大丈夫だよ」と言いながら扉の方へ。
扉が開き、閉まる。
そうして紫音の姿が見えなくなったところで、翠はハァと息を吐き出した。
「……何だったんだろう?」
上を見上げてポツリ。
考えれば考えるほど、彼女の言った言葉の意味が分からない。
……結局、何が言いたかったのか?
本気で言っていたのか?
それとも、冗談交じり?
疑っているわけではないけれど、先日のコラボの煽りを見てしまった以上は信じ切ることも出来ないわけで。
「……帰るか」
これ以上考えても仕方がない。
そう区切りをつけて、翠はカバンを持つと席を立った。
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