第8話 悶える夜




 パタンと音を立てる扉を背後にバックを放り投げ、一歩、また一歩と歩みを進める。

 いつもならこのままパソコンへ向かうはずなのに、今日に限ってはそんな気分になれなかった。


 目指すはふかふかのベッド。

 すぐにそこへはたどり着き、フッと力を抜けば、重力に反発していた体は前方へ。


 暗くなる視界。

 嗅ぎなれた自分の匂いにどこか安心を覚え、その分余裕ができた頭が勝手に今日の出来事を振り返れば、浮かんでくるのは後悔の数々。


「やばい……あれ絶対紫音さんに気付かれたぁ……」


 その後悔に悶えて、蓮華はうつぶせのまま足をパタパタと羽ばたかせた。




「なんであんな態度取っちゃったんだろ……」


 一番の後悔はこれだった。


 別に蓮華は紫音を嫌っているわけではない。むしろ、人となりは好きな方だ。

 小さい頃からお世話にもなっているし、遊んだりもしていた。そんな彼女を嫌うことなんてない。

 それなのに、なんであんな態度をとってしまったかといえば、ひとえに独占欲のようなものだったのだろう。


 昔から付き合いのある蓮華には、紫音が親しみやすい性格をしているのは分かっていたのだ。

 それにあの姿……あれでは翠は紫音のことを男だと思うだろうし、実際疑いもしなかった。

 これが二つ目の後悔。


「なんで教えなかったの私……お父さんもお父さんだし……」


 彼女の紹介の際に「彼」なんて言うからだ。

 そのせいで蓮華は彼女の性別を教えづらくなってしまった。

 その結果は見ての通り、翠は彼女の事を男だと思い、ほぼ初対面にも関わらず普通に会話が出来てしまうということに。


「高宮君も高宮君だよ! なんで紫音さんとは普通に喋れるの!」


 人見知りではなかったのか?

 彼の態度に次第に腹が立ってきて、蓮華はベッドに埋まっていた顔を持ち上げる。


「私の時なんて……」


 蓮華が高校で再会した時の第一声なんて、「こ、こんにちは……」だったのだ。

 明らかに中学が一緒だったことなんて気付いていないし、それどころか完全に初対面の人にする態度だった。

 たしかに中学の時とは雰囲気が変わっていたかもしれない。

 それでも、やっぱり気付いてほしかったというのが乙女心なわけで。


「ううう」


 再びベッドに顔をうずめさせ、言葉になっていない声を漏らす。

 こんなことをしていても意味がないのは分かっているけれど、今の心情的にはどうしようもない。


「でも、対策は考えないと……紫音さんだし……」


 蓮華は足をパタパタさせながら、どうにか考えを巡らせる。

 最初に考えなければいけないのは、紫音に蓮華の気持ちを気付かれた可能性が高いということだろう。


「あれで意外と敏感だからなぁ……絶対揶揄ってきそう」


 気配りが出来るというか、大人というべきなのか。あんなキザな言動とは裏腹に、人の心の機微には敏感なのだ。

 蓮華も小さい頃にはたくさん助けてもらったし、救われもした。

 とはいえ、同じだけ揶揄われもしたし、蓮華を今苦しめている原因となっているのだが……


「とにかく、これ以上二人が仲良くならないようにしないと!」


 気持ちを切り替えて体を半回転。

 天井を見上げた状態で、蓮華は握りこぶしを作った。


「……あれで紫音さんは可愛いものに目がないから」


 ぬいぐるみが好きとか、可愛いキャラクターが好きとは違う。完全に恋愛的な意味で、紫音は可愛い人に目がないのだ。

 普段の言動は動画投稿者という側面もあるが、女の子が赤面した可愛い姿を見たいという、紫音の趣味の混じったものなのである。

 とはいえ、紫音はそっちの趣味というか、女の子が好きというわけではない。

 蓮華的にはそれなら助かったのだが、そうではないのだ。


 紫音はどちらもいけるのだ。


 そんな彼女の前にもし、可愛らしい翠の姿をさらしてしまったら?


 結果は、火を見るよりも明らかだろう。

 そうなってしまったら、蓮華は立ち直れそうにない。


「でも、どうしたらいいんだろ?」


 頭に浮かぶのは少し先のコラボの事。


 コラボをしなくてはいけなくなったのはこの際仕方がない。

 しかし、翠とって初めてのコラボ。何事もなく終わるとは蓮華には思えない。


 もし、蓮華の懸念した通りのことになってしまったら?


 再び嫌な光景が頭によぎる。


「だめだめ! 弱気になっちゃ!」


 最悪の想像を、蓮華は頭を振って払いのける。

 しかし、嫌な想像はすぐに蓮華の中に舞い戻ってきて。


「でも、紫音さんに勝てること……」


 ああ見えて、紫音は意外と女子力が高い。

 それに、彼女の趣味のせいでああいった格好をしているけれど容姿はとても整っている。

 容姿については蓮華自身負けているとは思っていないし、ある一部分に関して言えば完全勝利しているのだが、蓮華には一つの懸念が。


「あれで料理上手いし……」


 そう、紫音は昔から料理が上手なのだ。

 これに関しては、蓮華は逆立ちしても勝てる気がしない。

 そして、翠の特技も料理なわけで。


「あー! もう考えない!」


 すぐさま頭を振って、浮かびそうになった想像を消し去った。


「違うこと考えないと!」


 このまま考えていたら、気が滅入ってしまいそうだ。

 蓮華はどうにか別の事を考えようして。


「ううー……」


 なんで、よりにもよって頭に浮かんだのが帰宅途中の光景なのか。

 蓮華は赤く染まった頬を隠すように、うつぶせになってベッドへ顔をうずめる。


(失敗したぁ……)


 メイクは落としていたものの、髪は整えられていた翠。

 普段動画で触れ合っているスイ。


 同一人物でありながら、蓮華はその時々で距離感を変えている。

 それは動画の撮影のためではあるが、今日に限って彼とスイが混同してしまっていたのだ。


 失敗に悶えて足をパタつかせ、それでいて蓮華の脳内には当時の光景が鮮明に映ってしまう。


(近かったなぁ……)


 蓮華も嫉妬したくなるような整った容姿。

 シミ一つない肌に、形の良い眉。黒い睫毛まつげは付け睫毛まつげかというくらい長かった。

 そして、スッとした鼻。さらにはその下の——


「……っ!!!!」


 脳内の映像が翠の口元を映した瞬間、蓮華は自分の頬が驚くくらい熱いことを自覚した。


 足をパタつかせる程度では発散できない。

 それどころか、水風呂に入ろうとも発散なんて出来るはずない。


「もう……明日どんな顔をしたらいいのぉ……」


 悶える夜は終わりそうになかった。

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