第7話 帰り道
「バレてたかぁ……?」
「…………うん……」
打ち合わせとは名ばかりの顔合わせを終え、二人駅へ向かう帰り道。
少しばかり引きつった星野の苦笑に、翠は重い、とても重い頷きをもって返した。
星野が部屋を出た後、紫音に告げられた暴露とも言える言葉。
彼——正確には彼女だった訳だが、明らかに男だと思っていた人が実は女の人であったという現実を、翠は未だに飲みこむことが出来ずにいる。
それに、翠の性別がバレていたことも……
お互い様といえばお互い様。
翠も性別を隠していたのだから、彼女も性別を隠していたとしても責めることは出来ないだろう。
でも——
「まさか女の人だったなんて……」
下を向いてポツリとこぼす。
言葉遣いや立ち振る舞いから完全に男性だと思っていた。
それだけに知らされた衝撃が大きい。いっそドッキリだったと言われた方が翠としては納得できるほどだ。
「学生の頃はああいった格好はしてなかったんだけどね。それでも女子からの人気は凄かったらしいけど」
思い返すように空を見上げる星野。
当時の事を思い出しているのだろう。遠くを見るその瞳にはどこか懐かしさを覚えているように感じさせた。
翠は何も言わず彼女の次の言葉を待つ。
時間にして数秒程経つと星野は顔の向きを翠へ戻し、思い出したかのように「そういえば」と続けた。
「高宮君は昨日駅で紫音さんに会ったんだよね? その時には何も気が付かなかったの?」
「昨日……」
翠は紫音と会った時の事を思い返す。
(服装は今日と似た感じだったし、髪型も今日と変わらないし)
見た目には疑問に思うところは無かった。
それなら、ぶつかった瞬間は?
(そういえば、ぶつかった時になんか柔らかかった気が……)
ぶつかった驚きと尻もちをついた瞬間の痛みで忘れてしまっていたが、翠はぶつかった時の感触を思い出した。
あの時、翠は考え事に集中するあまり顔を俯かせていた。
だからこそ前から歩いてきた紫音に気付かなかったわけだが、その時の状況を考えると、ぶつかったのは翠の顔である可能性が高い。
では、何処にぶつかったか?
当時、紫音が着ていたのは赤のジャケット。つまり、翠の感じた感触とは異なるものだ。
(じゃあ、どこに——)
ふと、今日顔を合わせた時の事を思い出す。
紫音と向かい合った時、翠の目線の高さはどのくらいだっただろうか?
紫音の身長。その正確な数値は翠には分からないが、翠よりも高いことは明らかだった。
それも、その差は頭一個分に近いだろう。翠自身背があまり高くないのはあるが、紫音は女性としては高身長だった。
紫音の顔下ほどの高さに翠の頭。
そして、翠は顔を俯かせていた。
「……っ!」
思いたった答えに、翠の頬が一気に赤みを帯びる。
たしかに気付く切っ掛けはあった。
しかし、その理由は星野どころか——
(誰にも言えない……!)
翠はこの事を一生胸の内に秘めておく——そう決意して意識を前方へ。
すると、目の前に翠の顔を覗き込む星野の姿が。
「どうしたの? 顔赤いよ?」
「んえっ!?」
反射的に
とはいえ、星野にはすでに顔が赤くなっていることに気付かれてしまっているし、翠の口から出た声にも疑問を持たれてしまっただろう。
そんな翠の疑念は正しかったようで、目の前の少女は少し不満げに眉を寄せた。
さらには、その唇を尖らせて。
「なにその反応……そんなに驚くことだった?」
「え、いや……」
ムッとした表情に睨まれて、翠は目を逸らして言葉を濁す。
ただ、翠のその行動は間違いだったようで、星野の表情はさらに不機嫌なものに変わってしまった。
「もしかして、何かあったの……?」
眼差しをジトっとしたものに変え、顔を近づけさせる星野。
徐々に近づいてくるその顔に、翠は上半身をそらして距離を取ろうとする。
しかし、彼女はそんな翠の行動も気に入らなかったようで。
「なんで逃げるの? なにか隠してない……?」
「か、隠してない……」
「じゃあなんで目を逸らすの?」
追いすがる星野の顔。
ついに翠は上半身を逸らすだけでは逃げきれなくなってしまった。
しかし彼女は止まらない。
不機嫌な眉や、長いまつげが鮮明に映るようになり、への字になった唇が少しづつ大きくなっていく。
緊張からか、心臓の音がやけにうるさい。
そして、彼我の差が十センチほどになった時、ついに翠は耐え切れなくなった。
「ちょ、ちょっと!」
「なに?」
「ち、近いって! ……顔が」
「へ?」
直後、星野の顔から表情が抜け落ちた。
時の止まったかのように体を硬直させた星野。
そんな彼女から翠が一歩下がって距離を取ると、少し遅れて彼女の顔がみるみる赤く染まっていき。
「~~————っ!!!!」
堪らずと言わんばかりに手で顔を覆い、その場で
「ほ、星野さん?」
「…………やっちゃったぁ……」
おずおずと翠が声をかけてみると、彼女からはか細い声が。
翠の声が届いているわけではなく、独り言が漏れているだけのようだが。
「えっと」
何と声をかけていいのか分からず、翠はその場で途方に暮れる。
なにより、翠だって恥ずかしかったのだ。
なにせ好意を持たれることは多かったが、それは翠の見た目だけを見てのものだったし、そんな輩と仲良くなんてするはずもない。
それに、元々が人見知りだ。そんな翠が誰かと交際経験などあるはずもなく、ましてや先程のように異性と顔を近づけた経験などないのだ。
それからどのくらい時間が経ったのだろうか?
一分だったかもしれないし、十分だったかもしれない。
時間がどのくらい経ったか分からない中で、星野がゆっくりと立ち上がって。
「ご、ごめんね……うっかりしてた」
「こ、こちらこそ……」
目を合わせることなく頬をかく星野に、翠もぎこちなく応じた。
彼女の頬はいまだ赤みを残しており、それは翠も同じ。
「「…………」」
お互いが相手の言葉を待ち、何の言葉も発さない。
翠は完全に何を言っていいのか分からなくなっていたし、星野も同じなのかもしれない。
とはいえ、ずっとこのままでいるわけにはいかないのだ。
そんな時。
プ————ッ!!!
すぐ近くで車のクラクションが響き渡り、同時に二人して肩を跳ね上げさせた。
そして、全く一緒のタイミングで音の方へ。
すでに車は走り過ぎたようで、クラクションを鳴らされた人が車が走り去ったであろう方向を見ていた。
「「…………」」
翠と星野は互いに顔を見合わせる。
そして——
「「ぷっ」」
同時に吹き出した。
「あはははっ!」
「ははははっ!」
些細な「同時」がやけに可笑しくて堪らず笑う。
そして少し経ち、お互いにひとしきり笑いきると、再び辺りは静けさが帰ってきた。
ただ、それは嫌な静けさではなくて。
「帰ろっか」
「そうだね」
微笑みかける星野に、同じく翠も微笑みを返す。
その顔には先程の赤みは無く、ただただ楽しさだけが映っていた。
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