第5話 赤阪 紫音
「彼はうちに所属している赤阪 紫音君だ。仲良くしてほしい」
思わぬ再開に呆けてしまっていた翠は、社長の言葉ではっと我に返った。
社長の隣でひらひらと手を振り、爽やかな笑みを見せている青年。
彼は一歩前に出ると、翠の向かいに座っている星野を一瞥。その後、右手を腰に添えて。
「赤阪 紫音です。気軽に紫音と呼んでくれると嬉しい」
「…………」
顔を少しだけ傾けさせてパチリとウインクを贈る紫音に、翠は返す言葉を見つけられなかった。
その理由は、突然モデルの写真撮影のような決めポーズを始めた紫音に驚いたから。それと——
(嘘だろ……?)
彼に普段の自分を見られているからだ。
男としての翠の姿と、女装した翠の姿。そのどちらも見たというのは、恭平たちを除けば碧の次で二人目ということになる。
もちろん星野に教わったメイク術で印象は変えているし、そもそも普段の翠は髪をボサボサにしているので素顔が見づらいというのもある。
碧という実績がある以上、翠としても安心したいところではあるが、逆に碧だけというのが不安でもあるわけで。
(気付いてないよな……?)
翠はできるだけ気付かれないように星野へ目配せ。
しかし、当の彼女は翠の視線に気づくことは無く、その表情にあからさまな嫌悪感を張り付けさせていた。
「星野?」
「えっ? な、何でもないよ」
「そんな感じじゃなかったけど……」
「何でもない、何でもないから」
困ったように「あはは……」と笑い、目を逸らす星野。
そんな彼女の仕草に翠は首をかしげるが、その疑問を口に出す前にブーツが床を叩く音で遮られた。
「蓮華君、そんな嫌そうな顔をするとは酷いじゃないか。私だって傷つくときは傷つくんだよ?」
「……紫音さんは相変わらずですね」
傷つくと言いながら、それをまるで気にしていないかのような紫音の物言いに、星野の表情は再び苦々しいものに変わる。
「ひどいなぁ……君が小学生だった頃はよく一緒にゲームをしたのに」
紫音は天井を見上げ、
その姿は今にも涙がこぼれてきそうなほどだ。
「私は悲しいよ……まさか小さい頃からの友達がこんなにも薄情になっていたなんて——あっ、社長はもう戻っていいですよ。ここからは私が説明するので」
「え? ああ、うん……じゃあ、私は戻るよ。頑張ってね」
呆気ないほどの用済み宣言に、社長は少し悲しそうに笑みを浮かべた後、背を向けた。
そこから扉へ向かう姿はどこか哀愁を感じさせるのだが、それは翠の気のせいだろうか?
それに、とぼとぼと歩く社長に手を振っている紫音の姿や、まるで興味のなさそうな星野の姿にも……
翠が何とも言えない表情で見届けると、パタンを大人しい音を立てて扉が閉められた。
その直後、待ちわびたと言わんばかりに星野が深いため息を吐き出す。
「……で? どうして紫音さんがコラボを誘ってくれたんですか? 紫音さんなら私たちとコラボする意味ないですよね」
腕を組み、探るように若干の上目遣い。
その視線を受け、紫音は再び腰に手を当てる。
「その前にまずは自己紹介をしようか」
星野の眼差しが少しだけ冷たくなった。
気を取り直して各々が席に着く。
翠と星野が並んで座り、その向かいに紫音が座っているといった形だ。
「じゃあ改めて、赤阪 紫音です。さっきも言ったけど、気軽に紫音と呼んでくれると嬉しい」
スラリとした長い脚を組み、柔和な笑みを浮かべる紫音。
その一つ一つ洗練されている所作は物語の貴族のように感じられる。
「蓮華君は前から知っている仲だから今更かもしれないけどね。でも、隣の君の名前は分からないから、まずは名前を聞かせてもらっていいかな?」
「あ、はい、スイって言います」
突然名前を問われ、反射的に答える。
反射的だったのにも関わらず本名を言わなかったのは良かったというべきだろう。
翠は言い終えた後にその事に気付き、内心安堵の息を吐いた。
それと同時にふと別の事にも気付く。
初対面の人には上手く話せない——それが翠だ。
翠としても直したいと思っている悪癖といえるものだが、中々直せないからこそ悪癖といえるわけで。
(昨日会ったからかな?)
それとも、彼の持つ雰囲気がそうさせているのか。
包容力というのだろうか?
自分がそんな失敗をしても彼なら笑って許してくれる——自分勝手な想像かもしれないが、翠の中にはそんな考えが生まれてしまっていた。
そしてそれは、親友である恭平を感じさせて。
(まあ、緊張しないならいっか)
翠は何の根拠もない結論を出し、心の中で頷く。
そうして考えを中断させると、目の前の青年は浮かべている笑みに困りの感情を含ませていた。
「えっと……それだけかい?」
「えっ?」
「いや、今の流れなら本名を言うのではないかと思ってね」
的を得た指摘に、翠は喉を鳴らす。
翠の名前は一見して男だと分かるものではない。
それでも、名前をいう情報を渡してしまったら正体がバレてしまうかもしれない。
気付かれなかったという実績が少ない以上、どうしても自信を持ってバレないと言い切ることが出来ないのだ。
ただ、このまま黙していても、それはそれで疑問を持たれてしまうわけで。
「……えっと」
上手く言葉に出来ず、視線を彷徨わせる。
すると、隣の少女と目が合い、翠の心情を察してか助け舟が。
「紫音さん。いちおう彼女は素性を公表しないという約束で活動をしてもらってるので」
「そうなのかい?」
「い、いちおう……」
「そう……そうとは知らず、すまないね」
背中に汗を感じながら翠が頷くと、いちおうは納得してくれたのだろう。紫音がソファに身を預ける。
(助かったぁ……)
とりあえず危機は去ったと見ていいだろう。
翠は極力表情に出さないように気をつけながら胸を撫で下ろした。
さらには心の中で星野へグッジョブと親指を立てる。
だがこの時、翠は危機など去っていないということに気付いていなかった。
「で?」
その声を聞いて、翠の背筋にゾクリと寒気が走った。
背中に流れた汗が体を冷やしたのか、それとも別の要因か。明らかに後者だと分かりつつも、翠にはその理由を聞く勇気は持てなかった。
その代わりという言い訳を心に秘めて、翠は黙ってこの場の空気となるように心がける。
「結局、紫音さんはなんでうちにコラボの打診を?」
瞳に剣呑なものを宿して紫音を見つめる星野。
その視線と先、一番彼女の威圧を受けているはずの彼は——
「そうだね、まずはそれから話そうか」
ニカリと。
星野の眼差しに物怖じすることなく、白い歯を覗かせて笑ってみせた。
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