第2話 不機嫌な一日




 その日の授業を終え、翠が帰りの準備をしていると。


「高宮君、いる?」


 教室の後ろ。

 既に開かれている扉から星野が顔を覗かせた。


 おそらくは動画関係の連絡だろう。

 しかし、今日は顔の覗かせたのは彼女だけではなく。


「あー、あれが噂の高宮君? 最近よく話しているよね」


「気になってたんだよねー……付き合ってるの?」


 星野の後ろから、さらに顔を覗かせたのが二人。


 ……友達だろうか?


 翠が横目で見た直後、二人は真ん中の星野に興味津々といった笑みを向けた。


「え、なに? もしかして、もしかしたりする?」


「えー、なんで紹介してくれないの?」


「だから違うって! 高宮君は私のお父さんの会社でバイトしてるの。そのせいで私が連絡係になってるだけ」


 クラス中が星野に、しいては翠に注目を集める中、彼女は声を荒げて否定。

 すると、クラスを騒がしくしていた二人がつまらなそうに頬を膨らませ。


「なんだ、つまんない」


「面白い話を聞けると思ったのに」


「面白い話なんてないから……ほら! 二人は先行ってて! 私も伝えたらすぐ行くから」


「「ほーい」」


 力の抜けるような返事の後、二人の顔が引っ込んだ。

 その後、星野が教室の中へ。


「はぁ、疲れた……騒がしくしてごめんね」


 ため息を吐き出しつつ、翠の元へ歩いてくる星野。

 彼女は目の前で立ち止まると。


「今日、事務所の方に来てくれって、なんか伝えたいことがあるみたい」


「……わかった」


 微笑みかける星野に、翠は一度手を止めた。

 そして、視線だけを彼女へ向け、返事をすると、自分でも驚くくらい冷たい声が出てしまった。


「あっ、ごめん——あれ?」


 急いで謝ろうと顔を上げれば、そこに星野の姿はなく恭平の姿が。

 困惑する翠を他所に、背後から少女の声が耳を叩く。


「……高宮君、何か機嫌悪くない?」


「ああ、碧と喧嘩したんだってよ」


「……挟んで話さないでくれ」


 ひそひそ話のように声のトーンを落として話すのなら、当人を挟んで話してしまっては意味がないだろうに。

 それともワザとやっているのか?

 からかっているのか判断のつきにくい二人の会話に、翠は思わずため息。


「それは悪かったけどよ、さっきのお前の返事も良くないだろ? 星野が割と本気でビビってたぞ」


「え?」


「あはは……」


 ……そんなに怖かったのだろうか?


 翠が星野を見ると、彼女は気まずそうに頬をかいて苦笑い。


「ちょっと驚いただけだから大丈夫だよ。それよりも二人を待たせちゃってるから、私は行くね……事務所には私も後でいくから。じゃあ、あとでね」


 肩に掛けられたカバンをかけ直し、星野は教室を後にした。

 その表情が僅かに強張っていたのは翠の気のせいか。

 翠がその疑問に思考を乗っ取られる前に、彼女の後姿を見送っていた恭平が口を開いた。


「あとで謝っとけよ。お前は顔が良い分、睨むと結構怖いんだぞ」


「睨んだつもりは無かったんだけど……」


「それでもだ。イライラしてるのは分かるけど、それを人に向けるのは違うだろ?」


「ごめん……」


「謝るのは俺じゃねぇって……」


 声の小さくなる翠に恭平はガシガシと頭をかく。


「人付き合いが苦手なのは分かるけどよ、少しは相手の事も考えろ。あれ、明らかに怯えてたぞ」


「…………」


 何も反論できない。

 何の理由があろうとも、苛立ちを人へ向けてはいけない——それは当たり前のことだ。


(やっちゃったな……)


 翠は先程のやりとりを思い返す。

 どうしてあんな態度をとってしまったのだろうか?

 弟と喧嘩したとしても、それは星野には関係のないことなのに。


 自己嫌悪に陥っていると、不意に肩を叩かれた。

 顔を上げると、そこには恭平が嬉しそうなのか、悲しそうなのか判断のつきにくい笑顔で。


「てことで、頑張れよ! 俺はこれから美穂と約束があるから……」


「…………」


 恭平が去っていき、翠一人が残される。

 周りを見れば、周囲のクラスメイトから視線を逸らされた。


「……俺も急ごう」


 気まずくなった翠は、途中だった支度を急いで再開。

 そして支度を終えると、足早に教室を後にした。






「はぁ……」


 学校を出て駅へ向かう途中、翠は何度目かも分からないため息を吐き出した。

 しかし、どれだけ吐き出しても気分が晴れず、吐き出された息がやけに重く感じてしまう。


 理由は簡単だ。

 先程の自己嫌悪から抜け出せないだけ。


 意図していなかったとはいえ、星野の顔が強張るという状況を生み出してしまった。

 そして、恭平からは明らかに怯えていたと聞かされて。


「はぁぁぁぁ…………」


 ため息が止まらない。


 初めてだったのだ。

 なにせ、幼馴染である恭平は翠に怯えるなんてことは無かった。

 さらには、恭平以外は付き合いが深くないため、あまり会話をすることが多く無かったのが大きい。


 そのため、人から怖がられるなんて経験はしたことが無かった。

 とはいえ、どれだけ言い訳を並べても、傷つけてしまったのは事実なわけで。


「謝らないとなぁ……」


 頭に彼女の表情が焼き付いて離れない。


 ……でも、どうやって謝ればいい?


 今度はそれに頭を悩ませてしまう。


 ……いやぁ、ごめんごめん! さっきは悪かったよ!


 軽すぎる……却下。


 ……本当に、すいませんでしたぁっ!!!(土下座)


 違う意味で怯えられる……却下。


 ぐるぐると頭を悩ませながら、翠は駅にたどり着く。

 そして、中に入ったところで。


「やっぱり普通がいち——ばぬ……!?」


 不意に感じる柔らかさ。

 それを脳が知覚した瞬間には、翠は尻もちをついていた。


「いたたた……」


「大丈夫かい?」


 どうやら考えすぎるあまり、人がいることに気が付かなかったらしい。

 頭上からかけられた声に、翠は臀部の痛みを堪えながら顔を上げる。


「わるいね。少し考えことをしていた」


 そこにいたのは、やたらと目立つ青年だった。

 暗い色のズボンに赤いジャケット。そして、黒のショートカットの中で映える赤のメッシュ。

 

「いえ、こちらも考え事をしていたので……すいません」


「謝らなくていいよ。痛い思いをさせてしまったのは私だからね」


 差し伸べられた手を取り、起き上がりながら謝罪を贈れば、彼は爽やかな笑みと共に首を横に振る。

 その口ぶりと仕草は、まるで物語の王子様のようだ。


「それでも、俺もよそ見をしていたので」


「ははは、そこまで言うならしょうがないな。でも、私もよそ見をしていたのでね……お互いに悪かったということで」


「……はい」


 ニコリと笑みを向けてくる青年。

 その整えられた仕草に気圧されながら、翠はどうにか頷いた。


「じゃあ、無事を確認できたから私は行くよ。この後に用事があるんだ」


「……っ! すいません」


「いや、謝ることは無いよ。お互い様だといっただろう?」


「…………」


 ……では、何と言えば?


 何を言えば分からなくなり固まる翠。

 赤い青年は、そんな翠を見て楽しそうに笑う。


「ははは! そんなに困った顔をしないで大丈夫。別に責めたわけじゃないからね」


 そう言って、彼は腕時計を確認。

 その仕草も様になっており、周りの視線を集めているが彼はお構いなしだ。


「おっと、本当に時間が無いな……それじゃあ失礼するよ。また会おう」


 もう一度ニコリと笑顔を見せ、青年が駅の奥へ歩いていく。

 コツコツとブーツが床を叩く音を聞きながら、翠はそんな彼の後姿を見送って。


「あっ、俺も急がないと」


 気が付けば、翠の乗る予定の電車の時刻も迫っていた。

 別に撮影という話は聞いていないので焦る必要は無いのだが、翠としては、礼儀としてなるべく早く着いておきたい。


「謝り方は……電車の中で考えよう」


 いつの間にかに自己嫌悪は和らいでいたが、星野に謝らないといけないのは変わらない。

 翠は気持ちを切り替えると、赤い青年が向かっていったホームと同じ方へ歩き出した。


 そして——


「間に合わなかった……」


 走り去っていく電車。

 徐々に速度を上げていく電車の中に、先程の青年の姿を見かけた。

 そんな彼も翠に気付き。


 ——ニコッ


 三回目の笑みを向けられた。

 ちょっとイラっとしたのは翠の秘密だ。

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