それは一つの試練
第1話 幼き誓い
——すすり泣く音が小さな部屋に響く。
薄暗い部屋に横たわる無機質なベット。
その上に寝かされている白い人。
その意味は分からない。
その理由は分からない。
初めて見た母の泣き崩れる姿。
その後ろ姿を、少年はただただ茫然と眺めていた。
……なんでないてるの?
……なんでうごかないの?
聞きたい。
でも少年は、幼いながらもそれは聞いてはいけないと感じていた。
感じてしまっていた。
聞いてしまえばさらに泣かせてしまう。
傷つけてしまう。
幼さの中に宿る気遣い。
目に映る光景が、姿が、その全てが、幼い少年が気遣うという異常を、異常を当然とする心を、意識を縛っていく。
……これはなに?
瞳の奥が熱い。
でも、その熱を冷ますための雫は流れ落ちない。
雫は瞳に
困惑する意識の中で、不意に感じる圧力。
それは自分の手を握る、さらに小さな手だった。
母の涙に釣られたのか、大粒の涙を流し、声を上げ、自分を見上げる幼子の姿に。
……僕が守らないと。
……僕だけが。
少年を縛る鎖が一つ増えた。
次の瞬間、崩れ落ちる母の姿に。
……僕が頑張らないと。
……僕だけが。
さらに縛る鎖が一つ増えた。
そして、横たわって身じろぎ一つしない白に。
僕だけが——
少年の心を縛る鎖に、鍵がかけられた瞬間だった。
* * *
ジリリリリリリ——ッ!!!!
「…………起きないと」
日が出て間もない時間帯。
眠気を切り裂くような音が騒ぎ出して、翠は重い体を起こした。
めくれる布団の隙間から流れ込む冷気。
その冷たさに体を震わせながらも、翠は躊躇なく外へ。
「もう十二月かぁ……」
欠伸を噛み殺して外へ目を向ければ、結露した窓は白く染められていた。
水滴が集まり、窓の表面を流れるさまに顔をしかめるも、毎年の事なので無視。
家賃の安いアパートであるからこそ、気にしていたらきりがないのだ。
「さむ……」
室内の寒さに身を震わせる。
気が付けば、布団で温められていた体はすでに冷たさを宿し始めていた。
「よし、やるかぁ……」
このままだと風邪をひいてしまう。
それに、もう少ししたら母と弟も起きてくるだろう。その前にリビングを温めておかなければ。
翠は腕をさすり、寒さに耐えながら自身の部屋を後にした。
リビングにたどり着いた翠が電気ストーブの電源を入れる。
ピッと音が鳴り、少し遅れて火が灯ったのを見届けることなく、キッチンへ。
冷蔵庫から昨日の夕食の残りを取り出し、三人分の弁当の準備を始める。
卵を割り、かき混ぜ、油を引いたフライパンが温まるまでの間に弁当箱へ炊いたご飯を投入。
その後、温まったフライパンに卵を少し流し入れ、クルクルと回していく。
そうしてできた卵焼きを均等に切り分け、これも冷めるまで放置。
「あとは——」
並べられた弁当箱の隙間を見て、残りのおかずを考える。
(うーん、少し野菜が少ないかな。色合いを考えると——)
冷蔵庫の中を思い返し、隙間を埋めた上で栄養バランスも良く、さらには色合いの良いものを考えていく。
たかが弁当を思うかもしれないが、家族の事を想うからこそ元気でいて欲しいし、昼食の時には楽しんでほしい。
自己満足かもしれないが、それが他ならぬ翠の本心だ。
「ミニトマトは切らしてるし——あっ!?」
思考に没頭する途中、不意に声を上げる。
「コーヒー淹れるの忘れてた」
母が景品で貰ってきたコーヒーメーカー。
その上部から煙が上がっていないことに気付き、慌てて翠はそこへ向かう。
その時だった。
「あっ!?」
慌てていたためか、棚から少しだけはみ出した本や手紙の束に、体を引っかけてしまった。
気が付いた時にはすでに遅く、バサバサと音を立て床に散乱してしまう。
「嘘だろぉ……!」
悪態をつきながら翠はしゃがみ込み、落ちてしまったそれらに手をかける。
その中身は、ほとんどは母が読みかけにしている本や割引の広告だ。
(どこかで片付けないとなぁ)
続けているバイトに加えて始めた動画撮影。
その忙しさに後回しにしてしまっていたが、気付けば他の場所にも乱雑となっている所がある。
そのことに苦笑しながら紙の束を一度戻し、残りへ手をのばした途中で。
「ん?」
翠は見覚えのない紙に気付いた。
いや、正確には見覚えがないわけではない。
読みかけの本や広告ではなかっただけだ。
「そういえばこの間、碧の塾でテストがあったんだっけ」
今の学力を試すテスト。
高校受験を控えている碧には今後の指標となる大事なテストだ。
いままでは、年上の翠ならアドバイスも出来るだろうと目を通していたが、ここ最近の忙しさに忘れてしまっていた。
「でも、いままでは碧の方から渡してきたんだけど……」
若干疑問を持ちながらも、翠はその手に持ったテストの結果も拾い上げ、立ち上がる。
そして、目を通し——
「えっ……?」
翠は思わず声を上げていた。
……見間違えかもしれない。
そう思い、ゴシゴシと目をこすってからもう一度よく目を通す。
でも、瞳に映る文字列は先程と変わっていなくて。
「…………」
無意識に。
手に握る紙はクシャリと音を立てていた。
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