スイの料理教室 ①
二フロアある『スイレン』の事務所——その一室。
清潔感のあるアイランドキッチンの向こう側、三脚の上に取り付けられたカメラに見つめられながら。
「皆さんこんにちは! 『Water lily』のレンだよ!」
「スイです」
翠と星野の二人は動画撮影を始めていた。
「今日はね。待ちに待ったスイに料理を作ってもらう回だよ! ただ、今回は刃物を使うので、生放送ではなくて動画にしました! みんなごめんね!」
さっそくと言わんばかりに星野は企画の説明に入ると、彼女はパンと音を鳴らしてカメラに手を合わせる。
そんな彼女を追従するように翠も軽く一礼。
翠が頭を上げたところで、星野が説明を続けていく。
「もうちょっとスイが生放送に慣れたら出来るかもしれないけど、今はまだ少し怖いからね! だからもう少し待っててね。スイも頑張るように!」
「いっ!?」
パンと星野に背中を叩かれ、その痛みに声を漏らす。
彼女の叩く勢いは予想以上に強く、ヒリヒリと背中が痛むが文句は言えない。
それは、今回動画撮影にした理由が翠の我が儘だったからだ。
「が、頑張ります」
痛みに若干顔を歪めながらも頷けば、叩いた本人は気付いていないようで満足そうに頷いた。
「じゃあ、説明を始めるね! ……とはいっても、ただ二人で料理を作るだけなんだけどね」
表情を苦笑に変えて星野は「あはは……」と頭をかく。
「なんで私も作るかっていうとね、ただスイに料理を作ってもらうだけじゃつまらないと思ったからだよ。あっ、私は作ってもらうだけでよかったんだよ? でも、みんなは面白くないでしょ? だから今回は、私がスイに料理を教えてもらおうと思ったの」
苦笑から一転、嬉しそうに笑みを浮かべる星野。
これを言われた時は翠も驚いた。
翠はただ料理をご馳走するだけだと思っていたのだ。
なのに突然メールがきたかと思えば、そこには「せっかくだから生放送にして、料理教えて!」と綴られていた。。
どうにか動画撮影に変えてもらったが、それでも動画にする以上は手を抜けない。
もちろんご馳走する以上、翠も手は抜くつもりはない。しかし、どちらが緊張するかといわれれば動画の方が緊張するのだ。
「そういえば、レンはどのくらい料理できるの?」
緊張で高鳴る心臓の音を無視して、翠は隣へ視線を向ける。
料理を教える……それは別にいい。
だが、教える側がどのくらい出来るのかは重要だ。
どのくらい出来るかで教えることも変わるし、一緒に料理をする以上は相手の力量は分かっておきたい。
割と軽い気持ちで問いかける翠に対し、問いかけられた星野はというと。
「え、私? 全然できない!」
清々しいほど自信満々な顔で言い切ってみせた。
これには翠も苦笑するしかない。
とはいえ、どの程度なのかは把握しないといけないわけで。
「……ちなみに、何なら作れるの?」
「え? んーとね……」
「そんなに悩むんだ……」
唇の下に指をあてて悶々と悩みだす星野に、翠は微苦笑。
ただ自分が作れる料理を答えればいいだけなのに、すぐに答えられない。
そんな彼女の様子に嫌な予感がよぎる。
だが、聞いた以上は待つしかない。
翠は表情を崩されないよう注意しながら、星野の答えを待つことにした。
そして、待つこと数秒。
「カ、カップラーメンくらいなら……」
彼女は気まずそうに目を逸らし、尻すぼみに声を小さくして答えた。
しかし、普段から家事をしている翠としては、カップラーメンを料理とは言いづらいわけで。
「それ、料理じゃない気が」
「だってしょうがないじゃん! やったことないんだから!」
恥ずかしそうに頬を染めて食って掛かる星野。
「いやでも、ちょっとカップラーメンは予想してなかったというか……他にはないの?」
「あったらカップラーメンなんて言ってないよ!」
「いや、目玉焼きとか、ただお肉を焼くだけでもいいし」
料理だって色々な種類があるのだ。
簡単なものであれば目玉焼きもあるし、ただ肉を焼くだけだっていい。
そう思って告げた翠だが、それを聞いた途端に星野は赤みがかった頬をさらに赤く染める。
「それもやったことないんだからしょうがないじゃん! 女の子がみんな料理できるわけじゃないんだよ!」
真っ赤になった顔で叫ぶ星野。
彼女は力なく座り込んで。
「もうやだぁ、超恥ずかしいんだけど……これ絶対コメントで色々言われるやつじゃん」
両手で顔を覆ってか細い声を漏らした。
そんな彼女の様子に、翠は何も言えず立ち尽くす。
(どうしよう……)
なかなか見ることのできない星野の姿。
いつも振り回されっぱなしの翠からしてみれば、今の彼女の姿はいつもの仕返しとなる良い機会ではある。
だが、罪悪感がものすごい。
普段恭平にはしていることではあるが、星野へとなると違和感がすごいのだ。
その気持ちの理由が分からない翠ではあるが、今は撮影中。このままでいるわけにもいかない。
チラリとカメラに目を向けた後、星野の方へ戻す。
……本当に生放送じゃなくて良かった。
今回が撮影であったことに感謝しながらも、翠は何と声をかければいいのか分からず右往左往。
そうこうしていると——
「ああもう!」
いきなり大きな声を上げて星野が立ち上がる。
まだ顔の赤みは抜けきってないが、その瞳は初めて見るほど吊り上げられていた。
彼女はその視線を翠の方へ向けるとキッと目を細め、まるで決めポーズかのように指差し——
「こうなったら、スイにはキチンと料理を教えてもらうからっ!!!」
翠に向かって宣戦布告した。
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