それはある日の悲劇 【剛編】




 はじめに——


 ヒロインである蓮華の父親——星野 剛視点のお話になります。

 ちょっと章タイトルとは外れてしまいますが、書きたくなってしまったのと、こちらの方が面白いと思ったのでこういう形にしました。

 あと、少し長めです。


 では、本編へどうぞ——




「ふっふっふーんっ♪」


 リビングに響き渡っている弾むような鼻歌。

 それは、止まることなく目の前を行ったり来たり。

 同時に、尾を引くように金の長髪が照明の光を反射して、キラキラと輝きを放っていた。


 そんな中——


「…………はぁ」


 剛の口からはため息が漏れていた。


 社長業を終え、帰宅した後のリラックスタイム。

 コーヒーを片手に愛読する小説の続きを読み進める。それが、剛の毎日の日課だ。

 邪魔とは言いたくないが、気が散ってしまうのは確かなわけで。


「蓮華……」


「んー、なーに?」


 ピタリと動きを止め、蓮華が振り向く。

 その表情は明るく、今にも笑みをこぼしてしまいそうだ。


「何かあったのかい?」


 たしか今日は高宮君と生放送をした日のはず。

 娘の顔色から失敗したということはないだろう。しかし、これほど嬉しそうにしているのも珍しい。


「え? 別にぃ」


「そんなことはないだろう」


 くるくると髪を指で弄ぶ蓮華に、剛はコーヒーを一口。

 甘い空気を苦みと共に喉の奥に流し、ガラス製のテーブルにカップを置けば、カチリという音が小さく響く。


「あからさまに顔がニヤついているよ? これじゃあ何かあったって言っているようなものだ」


 息を吐きだし、腕を組む。


「それに、もうすぐ帰ってくるだろうからね。このままだといらない心配されてしまうよ? だったら今吐き出してしまった方がいいんじゃないかな」


 思い浮かべるのは妻の顔。


 彼女は少々娘を可愛がりすぎている。

 そんな彼女が今の蓮華の姿を見てしまったら、発狂どころではすまないかもしれない。


 そのため、すぐ先の未来を予測してあらかじめ一手打っておくことにしたのだ。

 すると、娘は「あー……」と少し困ったような顔をして向かいの席に腰を下ろした。


「で? 何があったんだい? あらかた今日の高宮君との生放送のことだろう?」


「まあ、そうなんだけど……」


「そうもったいぶらないで話してごらん。ここまできたら気になってしまって読書も手につかない」


 なかなか話そうとしない蓮華。

 彼女は気恥ずかしそうに頬をかいていたが、やがて決心したかのように口を開く。


「お父さんも知ってるけど、今日高宮君と生放送をやってね——」


「うん」


 ここから地獄が始まった。


 一分後。


「——いや、ほんと可愛いの! なんで男の子なのにこんなに可愛いのってくらい!」


「……うん」


 五分後。


「でねでね! カメラに囲まれてるときの緊張してる高宮君の表情が——」


「………………うん」


 十分後。


「——視聴者の皆もね、スイが頑張ってるのを分かってくれたみたいで!」


「…………」


 剛はすでに頷くだけの機械になっていた。


 話を聞き始めて約十分。初めはゆっくりとした会話だったが、次第に話す速度が上がっていき、今ではまくし立てるような一方的なものに変わっていた。

 すでにコーヒーは飲み切り、胸の奥を詰まらせている甘さを押し流せない。

 とはいえ、ここまで嬉しそうに話す娘の姿に、剛としても席を立つのは心苦しい。


(どうしようか?)


 ……娘の機嫌を損なわず、この甘い胸の内を解消するすべはないものか?


 自分自身に問いかけ探ってみるものの、良い案が浮かばない。


「お父さん、聞いてる?」


「ん、ああ、すまない……聞いてるよ」


 娘の声でハッと我に返り、すぐに返事を返す。


 どうやら思考にふけすぎていたらしい。

気が付けば、蓮華は少しムッとした顔で睨みつけていた。


「お父さんが話せって言ったんでしょ」


「ごめんごめん、続きをきかせてくれるかな」


 頬を膨らませて不満顔の蓮華。

 そんな彼女に苦笑しながら謝れば、彼女は短くため息。


「……お父さんが心配していたようにはもうならないと思うよ」


 おそらく、黙っている剛の姿を見て心配していると思ったのだろう。

 先程までとはうって変わって、蓮華は至極真面目の表情で話し始めた。


「最近はスイも慣れてきてるしね。今回は初めての生放送だったからあれだったけど、きっと大丈夫だよ!」


 真面目な表情から一転、ニコリと笑みを見せる蓮華。


「だから心配しないで大丈夫! なんたって私がついてるしね!」


「……それが一番心配なんだ」


「ええ……」


 ガックシと肩を落とす蓮華。

そんな彼女に剛は呆れと微笑ましさを含ませて息を吐き出した。


 上手くいきだすと調子に乗るところも。

 コロコロと表情を変え、楽しそうにしているところも。


 ひと昔から考えれば、絶対に考えられなかったことだ。

 そんな娘の成長は嬉しくも、悲しい。

 

 ……高宮 翠。


 彼と一緒に活動を始めてから、その変化は特に顕著となった。


(蓮華はいい出会いをしたんだろう……)


 真面目で素直な男の子。

 少し真面目すぎるところもあるが、今の明るすぎる娘にはちょうどバランスの取れる良い人材だろう。


(とはいえ、認める気はないが……)


 あくまで仕事上の付き合い。

 それ以上でも、それ以下でもない。


(このまま一緒に仕事を続けてもらって、娘の成長の助けになってもらおう)


 そんな想いを胸に秘め、いまだに肩を落とす娘に笑みをこぼす。


「で? 結局なんでそんなに嬉しそうにしてたんだい?」


 十分間も聞かされていた話。

 その内容はまだ生放送の序盤でしかなく、そこから高宮君の話に逸れてしまったため、重要な本題を聞けていないのだ。


「今まで話してたのは今日の放送について……というか、まだ放送の始めの方しか話してなかっただろう?」


「そうだった!」


 ガバッと落ち込んでいた肩を跳ね上げさせ、蓮華はいつもの調子に戻る。

 彼女はその頬を若干赤く染め、本当に嬉しそうに。


「今日の放送でね! 今度スイにご飯作ってもらう約束したんだ! で、せっかくだから私もその時に料理を教えてもらおうと思って、さっきお願いしたらオッケーだって!」


 蓮華は両手を頬にあてて、体をくねらせ始める。


「いやぁ、何教えてもらえるのかなぁ……というか、ご飯作ってもらえるのが本当に嬉しいし、教えてもらえるって、何かあったらどうしよう……!」


「…………そうかい」


 ……前言撤回。


 どうやら注意しないといけなかったのは娘の方だったらしい。

 娘を守るのは父の役目だが、その娘が自分から敵の方に行ってしまうのはどういうことなのだろうか?


 剛は自分の世界に入ってしまっている娘の姿を見て、何とも言えない気分になってしまう。

 しかし、ここで落ちこんでいる時間はない。

 蓮華の話を聞き始めてそれなりに時間が経っている。そのため、このままだと本当に妻が帰ってきてしまうのだ。


「……と、とりあえずそろそろ自分の部屋に行きなさい。本当に帰ってきてしまうよ?」


「え? ……あ、うん」


 どうにか絞り出した剛の言葉に蓮華が我に返る。

そして、その視線を時計の方へ。


「あれ、もうこんな時間なの?」


「そうだよ、だからそろそろ部屋に戻りなさい。明日は学校だろう?」


「わかった。じゃあ、おやすみなさい」


蓮華は席を立つと、そのままリビングを後にした。

その後ろ姿を見送り、パタンと扉が閉まるのを見届けると、剛は深い、深いため息を吐いた。


「……コーヒーを入れよう」


 ……とりあえず、気分を変えたい。


 重い腰を上げキッチンへ。

 そこで、ゆっくりと落ちるコーヒーを見ながら思考を整えていく。


「明るいのは良いが、どうしようか……?」


「私も聞きたいですね。どうすればいいですか?」


「ひっ!?」


 不意に耳に届いた少しだけ違和感のある発音に、剛の心臓が大きく音を打つ。

 そして、バクバクと波打つ音を聞きながらゆっくりと振り向けば、娘の金髪とそっくりな髪色をした一人の女性が立っていた。


「イ、 イレイナ……いつからいたんだい?」


 星野 イレイナ


 蓮華の母であり、剛の妻である女性だ。

そして外国人でもある彼女は、その美しい顔つきを全く笑っていない笑みに変えていた。


「本当に帰ってきてしまうよ? からですね」


「ははは……」


 渇いた笑みがこぼれる。

 どうやら、結構不味いところを聞かれていたらしい。


「じゃあ、聞かせてもらいましょうか? なんで、私が帰ってきたしまったらまずいのかを」


 ガシッと掴まれる手。

 その力は強く、剛の拒否権がないことを訴えてきていた。


「リビングにいきましょう」


「せ、せめてコーヒーを……」


「ダメです」


 時間稼ぎは失敗らしい。


(今日は厄日だな)


 娘の甘ったるい話を聞き続け読書は進まなかった。

 そして、今から始まる妻の尋問。

 今日はもう読書どころではないだろう。

 愛する家族ではあるが、こういうことがあると疲れてしまう。


「はぁ……」


「なんでため息をつくのかも教えてもらいましょうか?」


 ニコリと怖い笑みを向けてくる妻。

そんな彼女に降参の意思表示をして、剛はリビングに引きずられていった。

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