第20話 向かう廊下で




 教室から逃げ出した後、廊下を歩く翠は隣にいる星野と顔を見合わせた。


「…………凄かったね……」


「あはは……そうだね」


 翠の考えが伝わったのか、隣にいる星野は苦笑い。

 鈴原さんが武術を習っていたということは翠も知っているけれど、人間に出来る動きには見えなかった。


「でも、あんな感じでも仲はいいんだろうね。少し羨ましいかも」


「そう?」


 翠が考えている間に前を向き、廊下の先を見ながら告げる星野。

 彼女の表情は少し羨ましそうで、翠は首をかしげた。


 ……あのやり取りを見て、どこが羨ましいのだろうか?


 翠には、恭平が鈴原さんを怖がっているように見えるし、逆に鈴原さんは恭平が好きすぎて、少しばかり怖さを感じてしまうのだ。

 そんな翠の顔を見て、星野は「ふふっ」と小さく笑う。


「だって、嫌だったら別かれればいいんだよ? それでも一緒にいるんだから本心では好きってことだよ……それってなんか良くない?」


「うーん……」


 やっぱり良く分からない。

 唸る翠に対し、星野はニコニコとした笑みを翠に向けながら歩いている。

 そうやって少しの間歩き続けていると、考えるあまり翠の歩く速度が落ちていたのか星野が目の前で立ち止まった。


「どうしたの?」


「…………」


 星野の行動に疑問を覚え、問いかける翠。

 しかし、彼女は何も発さない。


 やがて、彼女は視線を下げていき、少しすると上へ戻して。


「ごめんね……」


「えっ?」


 翠と目が合った瞬間、星野が告げた言葉に翠は思わず声を漏らした。


 ……突然、どうしたんだろう?


 さっきまでニコニコとしていたはずだ。

 それなのに今の彼女は申し訳なさそう眉が歪められている。


 呆気に取られる翠に対し、星野は言葉を続けていく。


「ほんとはね……こんなことになるなんて思ってなかったんだよ。高宮君が慣れるって目的はもちろんあったし、私もいろいろ乗っちゃったけどさ……ほんとは今日はただ楽しもうと思ってたんだ」


 星野はその瞳を不安げに揺らし、逃げるように視線を逸らした。


「なのに、ミスコンの事もそうだし、お化け屋敷の時もそうだけど……いっぱい迷惑掛けちゃったし……だから……」


 瞳だけでなく表情さえも不安そうに歪ませて、再び翠と目を合わせた星野。

 そんな彼女の姿を前に、翠は言葉を紡ぐことができない。


 ……知らなかった。


 彼女はいつも明るくて、元気で、恭平と共に翠をからかうことはあるけれど、動画に対しては真摯だった。

 そんな彼女の明るさに、いま影がさしている。


(なんだろうな……)


 いつの間にか、胸に良く分からないモヤモヤとしたものが溜まっていた。

 そして、それを自覚してしまうとどうも気持ち悪さを感じてしまう。


 原因は分からない。

 理由も分からない。


 なのに、そのモヤモヤとしたものを払うにはどうしたらいいのかが、翠にはなんとなく分かってしまって。


「……そんな謝らなくていいんだよ」


「えっ……?」


 先程とは逆。

 呆気に取られているように星野は目を見開き、声を漏らした。


 翠はそんな彼女に姿に頬をほころばせ、言葉の続きを紡いでいく。


「だってほし——レンは純粋に俺の事を考えてくれてたんだろ? だったら謝る必要はないよ。悪いのは悪乗りした恭平だし……あいつも鈴原さんに今お仕置きされてるだろうし」


 教室を出る際に垣間見た鈴原さんの笑みを思い出す。

 その笑みは慈しむように恭平を見据えていて、その雰囲気に翠は鳥肌が立ったのだ。


「あれを見たらわかるだろうけど、恭平もちゃんと報いを受けてるしさ……レンだって今、こうやって謝ろうとしてくれてるし、確かに大変だったけどさ、その気持ちだけで俺は嬉しいよ——レン?」


「…………」


 何やら異変を感じ、翠が声をかけるも星野は無反応。

 不思議に思いながらも翠が彼女の顔色を伺うと、頬には赤みが差し、その瞳は何やら揺らいでいるように見えて。


「レン? もしかして体調悪い?」


「えっ? う、ううん、大丈夫!」


 翠が顔を近づけると、星野は慌てた様子で後退った。


「本当に大丈夫か? 顔赤いけど……」


「だ、大丈夫だから気にしないで」


「そうならいいけど……」


 かたくなに大丈夫と告げる星野に少し疑問を持ちながらも納得。

 しかし、翠としては明らかに先程とは様子の違う彼女が心配だ。

 翠が心配げに見つめると、彼女は引きつったような笑みを浮かべた。


「そ、それよりもっ! ス、スイは私に謝ることがあるんじゃない?」


「えっ?」


 再び逆転。


 ……謝ること?


 何かあっただろうか?

 翠は思い当たる節を探していって。


「あっ!」


「ほ、ほら、お化け屋敷で」


 翠が思い当たるのと、星野が答えを告げるのは同時だった。


「あ、え、えっと……」


 お化け屋敷の時の事を思い出し、翠は冷や汗を流して視線を彷徨わせる。

 だが、やってしまったことは謝らないといけない。


 翠は少しムッとしたように睨みつけている星野と目を合わせ、覚悟を決めて口を開く。


「……本当にすいませんでした」


 素直に頭を下げる翠。

 色々とハプニングがあったとはいえ、やったことがやったことだ。

 それを忘れてしまうのは星野に対して失礼だし、翠としても申し訳なさでいっぱいになる。

 そうやって頭を下げ続けること数秒。


「…………じゃあ、責任取ってくれる?」


「えっ? 責任?」


 星野から聞こえてきた言葉に、翠は頭を上げて聞き返した。


 ……責任を取る?


 この後、色々と奢れということだろうか?

 それとも、動画撮影で返せということだろうか?


 言葉の意味が分からず、翠は疑問符を浮かべながら星野を見返す。

 しかし、彼女はその答えを答えてくれず。


「——なんてね」


 いたずらが成功したように、にこやかに笑みを見せた。


「別に怒ってないよ。私だってスイを置いていっちゃったしね」


 笑いながら翠との距離を縮める星野。

 そんな彼女の笑みに何やら嫌な予感がして、翠は一歩後ろに歩を進める。

 だが、それよりも早く彼女の手が翠の手を掴んで。


「ほら早く行こう! 折角来たんだもん。楽しまないと」


 弾む声と共に手を引かれた。

 その力は強くはないけれど、翠はされるがままに手を引かれる。


「…………」


 今は翠に見えているのは星野の後姿。

 でも、彼女が振り返る際にそれは見えた。


 星野の表情は先程とは違い、いつも通りの——


「ははは……」


 ……良かった。


 翠は自然と笑みをこぼすと、手を引かれるまま歩き出した。

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