第17話 それは想像を超えて




 ……え? どうするのこれ……?


 全てを察した蓮華。

 その頭の中によぎった最初の言葉はこれだった。


 目の前に立っている翠の弟——碧。

 彼の女性のタイプは兄みたいな人らしい。


 そして少し前には、そんな弟を兄本人が陥落させている。


 ……こんなのどうしたらいいのか?


 そんなの蓮華自身が聞いてみたい。

 とはいえ、最後の頼みである恭平は先程鈴原さんに連れていかれたばかり、そして、翠はステージの上だ。

 つまり、翠の正体。あるいは、この目の前にいる恋敵(仮)の想いの行方は蓮華の双肩にかかっているわけで。


(まずは高宮君の番が回って来る前に離れさせないと)


 手っ取り早いのは、碧をこの場から離れさせること。

 しかし、このステージを見に来た彼らをどう離れさせればいいのかが分からない。


 蓮華は彼らには笑顔を保ちつつ策を巡らせる。

 だが、神様はそんな蓮華の味方はしてくれないらしく。


『——では! 次は外部からの出場のスイさん!』


 ステージから響いていたのはスイの名前。

 どうやら碧たちと話している間に順番が回ってきてしまったらしい。

 蓮華は内心舌打ちをしたい気持ちを押し殺して視線をステージへ。

 すると、司会の男の子が翠に向かって近づいていくところが見えた。


『ではアピールをお願いします!』


「……え、えっとぉ……」


 口元に向けられたマイクを前に、翠は声を裏返させて落ち着きなく視線を彷徨わせている。


 本音を言ってしまえば、蓮華としても翠のアピールを見てみたい。

 しかし、今の状況がそれを許してはくれない。

 状況は予断を許さない状態で、蓮華の緊張感も予断を許さない状況だ。


 ただ救いなのは、いまの翠の様子を見るかぎりまだ少し時間がありそうなことだろうか。

 蓮華は横目でステージを確認しつつ、いま絶賛受けている二人分の視線に愛想笑いを返し、内心胸を撫で下ろした。


『えっと……難しそうですかね? では! こんなこともあろうかと協力者の方からスイさんの歌声をお借りしております!』


(うえぇぇぇっ!?)


 ——はずだった。


 信じられない言葉にステージを二度見する蓮華。

 しかし、蓮華の視線に気づくはずもなく、司会者はポケットから一枚の紙を取り出すと。


『……協力者によると、スイさんはかなりのあがり症らしく、協力者の説得により参加はしてくれたものの、人前でのアピールは難しいかもしれないとのことです』


 そう言って一呼吸置き、めを作る司会者。

 彼は紙を投げ捨てると、大きく息を吸って。


『ですが皆さん! それを予期していた協力者は、あらかじめ私たちに彼女の歌声を録音しておいてくれました! はい拍手!』


(佐藤くんっ!?)


 パチパチと拍手が鳴り響く中、蓮華は自身の耳を疑った。


 いや、それとも恭平の頭の中か?


 何事も無ければ蓮華もこの状態を楽しめただろう。

 だって翠の歌声なのだ。生声でないのが残念ではあるが、一緒にカラオケも行ったことがない蓮華にとっては貴重な歌声である。


 しかし、今は状況が悪い。

 本当に悪い。


 苦いものを感じながら蓮華はチラリと横目で碧を見た。

 すると、すでに彼は翠の歌声への興味が凄いらしく、まっすぐにステージを見つめている。


(あっ、ダメだこれ……)


 ……もう止められない。


 そう察した蓮華は天を仰ぐ。

 よくもここまで頑張ったと自分を褒めてもいいだろう。


 ……ここまできてしまったら翠の歌声を楽しむだけ。


(……ごめんね)


 諦めの境地とはこのことか。

 最後にステージ上で固まっている翠を見た後、諦めの気持ちを表情にうつして蓮華は目を閉じた。


 直後——

 

『では! お聞きください!』


 司会者の言葉の直後、シンと静まり返った会場に音楽が流れ出す。


 ————……


 ゆっくりと始まったピアノを主体とした前奏。


 蓮華も聞き覚えのある曲だ。

 二年ほど前だったか。何かのドラマの主題歌になっていたのを覚えている。

 ただ、これを歌っていたのは女性歌手だ。翠の声が男子と比べて高めとはいえ、この曲を歌えるのか?

 そんな蓮華の心配をよそに翠の歌声が曲の中に混ざっていく。


「——————」


 ゆっくりとしたメロディに合わせて蓮華の鼓膜を響かせ、揺らす歌声。

 

「…………」


 言葉が出ない。

 静かに、しかし確実に心を震わせる歌声は蓮華の口から言葉を奪ってしまっていた。


 ……心地いい。


 そう思ったのは蓮華だけではないらしく。


「「…………」」


 隣を見れば、碧とその友達も驚いたような、聞き入っているような不思議な顔を浮かべている。

 しかし——


「…………これ、兄さんが好きな歌だ……」


 ポツリと。

 碧の口元から零れた言葉が蓮華を現実に戻させた。


(……うん?)


 ……今、なんて言ったのだろうか?


 一度ステージに戻した視線を碧の方に返す。

 すると、彼はサビに向かってうつろいでいく歌声に目を閉じていた。


(……んんん?)


 蓮華はパチパチと瞬きを繰り返す。


(もしかして……バレてない?)


 もし、自分の兄が女装してステージの上に立っていたら普通なら正気ではいられないだろう。

 蓮華自身、自分がそうなったら正気でいられると思えない。それはおそらく、自分以外の人間でもそうだ。

 しかし、現に目の前では碧が歌に聞き入っている。

 自分の正気を疑ってしまうが、つまりはそういうことのわけで。


「……こんなことある?」


 思わず呟く蓮華。

 だが、聞く人によっては不穏ともいえるその呟きは誰にも届くことはなく、クライマックスに突入した歌声にかき消された。


「——————ッ!!」


 一瞬の無音から響き渡る歌声。

 その歌声は蓮華から動きを奪うには十分だった。


 声量が大きいわけじゃない。でも、その歌声は蓮華の心を響かせる。


(ああ、もうっ!)


 ハラハラしたり、ウルウルときたり、蓮華の心の中はぐちゃぐちゃだ。


 それでも、不思議と翠を恨むことが出来ないのはどういうことなのだろうか?


 その問いに答えることが出来るのは自分だけ。

 そして、その答えはもう持っている。


「ふふ……」


 蓮華は笑みをこぼすと、もう一度視線を碧に移した。

 彼は先程と同じように目を閉じながら歌声を聞き入っている。


(もう、大丈夫かな?)


 彼を見る限り疑っている様子はないし、この歌声もあと少しで終わり。

 少し安心した蓮華は、残りの歌声を聞き逃さない様に目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る