第14話 なんで……?
(やばい! やばい! やばい……!)
翠の頭の中に警告音が鳴り響く。
お化け屋敷から連れ出してくれたのが弟だったなんて想定しているはずがない。
(まさか女装している時に鉢合わせるなんて……)
見た目は服装や化粧で誤魔化せる。
しかし、声や仕草は変えることが難しいのだ。
気軽に告げた一言がバレるきっかけなるかもしれないし、不意に出た癖がヒントになってしまうかもしれない。
そんな緊張感からか、胃が締め付けられるように痛みだし、翠は無意識に表情を曇らせた。
すると、碧はそんな翠の様子に気が付いたようで、一歩近づくと翠に顔を近づけさせる。
「……? どうしましたか?」
「……なんでもないです」
「そうですか。なら良かったです」
顔を逸らし、気付かれない程度に声のトーンを上げて答えると、碧は疑う様子もなくフッと小さく笑った。
どうやらお化け屋敷の中では怖がって声が高くなっていたのが幸いしたらしい。
そのことに安堵しながらも、弟を騙していることに罪悪感をおぼえてしまう。
しかし、まず一番に考えないといけないことは碧に正体がバレないこと。
今はどうにかバレないでいられているが、時間が経てば経つほどほどバレる危険性は上がっていくだろう。
それに——
(バレてそういう趣味だと思われたら立ち直れない……!)
バレないためには碧から離れてしまうのが一番良いだろう。
とはいえ、お礼を言って「それじゃあ、さよなら」と去ってしまうのもまずい気がするし、なにより翠が助けてくれた弟にそんなことをしたくない。
だから、どうするか考えている訳だが……
(まったく良い考えが浮かんでこない……!)
もう絶望的にどうすればよいか思いつかなかった。
(どうする? どうする? どうするっ!?)
焦りばかりが募っていく。
(というか星野は!? 何でいないんだよっ!?)
視線だけを動かして星野を探してみるものの、彼女の姿がまったく見つけられない。
それが、翠の焦りをさらに加速させていく。
「誰か待っているんですか?」
「……っ!?」
碧の鋭い問いに翠の心臓の鼓動が一段階早くなる。
視線だけを返すと、彼はその整った顔を困ったように笑わせた。
「実は僕も何ですよね。一緒に来た友達がいるんですけど、罰ゲームで入れたくせに出口にいないんですよ」
「……あはは、そうですか……」
周囲を見渡しながらため息をつく碧に翠はどうにか渇いた笑いで答えた。
すると、彼は友人を探すのを諦めたのか、翠の方へ向き直る。
「すいません、友達が来るまでの少しの間だけ話し相手になってくれませんか? もちろん、待っている人が来るまでで構いませんから」
「えっと……」
悪意も無い、下心も無い、ただ友人が見つからないからという誘い。
翠はそんな誘いの答えを見つけられずに視線を彷徨わせる。
(嫌ですとは言いづらいし、かといってこのまま話すのも……)
……ただお互いの友人が見つかるまで時間をつぶしませんか?
そんな誘いを碧はおそらく善意から言っているのだろう。
しかし翠にとって、それは首を絞められるのと同じことなのだ。
どう答えるか悩む。
しかし、碧はそれを嫌がっていると勘違いしたのか小さく苦笑いして。
「すいません、いきなり言われても困りますよね。なんか雰囲気が兄に似ている気がしてほっとけなくて……」
「ひゅ……っ!?」
頭をかく碧。
そんな碧の言葉に翠の喉から息が漏れた。
(やばい! やばい! やばい!)
ドクンドクンと心臓の音が異常なほど高鳴る。
まさか、雰囲気が似ていると言われるなんて思いもしなかった。
(いや、落ち着け……! まだバレてない……)
まだ似ていると言われただけで、碧は翠の正体に気が付いたわけじゃない。
気持ちを落ち着かせるために翠が息を吐き出した。次の瞬間——
プルルルルル……!
「ひっ……!?」
突然鳴り出したスマホ翠は小さく悲鳴を上げた。
翠は自身の顔が赤くなっていることを自覚しながら碧へ目を向ける。
すると、彼は「どうぞ」と微笑と共に頷いた。
それに返すように翠も頷いてスマホを取り出せば、画面には『恭平』の文字が。
(やばいっ!!!)
今日一番の警告音が鳴り響く。
碧は恭平と会ったことがあるのだ。
そんな碧がいま恭平と鉢合わせたら翠の正体がバレる可能性が高くなってしまう。
(いや? これはチャンスなのでは?)
しかし、こうも考えられる。
(待ってる人からの連絡が来たって言ってこの別れられる?)
突然訪れた希望に密かに目を輝かせる翠。
翠はそのまま碧に背を向けると、スマホを耳に当てた。
「……もしもし?」
『おっ、やっと出やがったな? 今どこいるよ?』
声でバレない様に小声で電話に出れば、恭平の気の抜けたような声が耳を叩く。
どうやらひどい目にはあっていないらしい。
とはいえ何があったかは聞きたくないため、翠は話を続けるべく声をなるべく広げないように口元に手を当てた。
「よかった……今、お化け屋敷の出口らへんにいるんだ。お前はどこにいる?」
『ん? ずいぶん小声じゃねぇかよ? 何かあったか?』
「とりあえず話は後でするから場所を教えてくれ……!」
のんきな様子の恭平に焦りをおぼえながら、翠は必死に彼の場所を聞き出そうする。
しかし、状況を分かっていない恭平は「は?」と要領を得ない返事ばかり。
「頼む……! 今ほんとに焦ってんだ。説明は後でするから」
「お、おう……」
一生懸命に懇願する翠。
その様子に電話口の恭平は困惑していたようだが、やがて事情が分からないなりに察してくれたようで。
『お化け屋敷だろ? ならすぐ近くだな。出口から出てきて真っ直ぐ行くとステージが見えるだろ? 今そこにいる』
翠はスマホを耳に当てながら視線を碧の方向へ。
彼の向こう側。そこには多少距離が離れているせいか見づらいものの恭平の言った通りステージが見えた。
「ありがとう! すぐ行く!」
「おい——!」
恭平の言葉を聞く前に電話を切るとスマホをポケットへ。
「すいません……」
碧には申し訳ないが、これでこの場から逃げることが出来る。
心の中で安堵しながら翠はステージへ向けていた視線を碧へ戻す。
すると、碧は先程翠の視線を追うように背後へ目を向けた。
「待ってる人はあっちですか?」
顔の向きを翠に戻しながら告げられた問い。
その問いに翠はコクリと首を縦に振ると。
「あっ、僕の事は気にしないで大丈夫ですよ。たぶん友達もすぐ来ると思うんで」
碧は焦ったように笑みを作り出した。
翠にとっては声で正体がバレないようにするためのものだったが、どうやら碧にはそれが気まずさから出たものだと思ったらしい。
「ふふっ……」
翠はそんな碧の優しさに笑みをこぼす。
碧とはほとんど家でくらいしか顔を合わせないが、普段からこういった姿勢でいるなら私生活は大丈夫だろう。
「ん?」
翠が場違いなことに安心していると、不意に違和感に気付いた。
碧は茫然と翠の顔を見たまま、何の言葉も発しないまま固まっているのだ。
そのことに気が付いた翠は碧の顔色を伺うように顔を近づかせる。
すると——
「っ!?」
バッと。
碧は焦った様子で後退った。
その顔は少し赤みを帯びていて、視線は右往左往と落ち着きがない。
「……?」
そんな碧の様子に首をかしげる翠。
……いきなりどうしたんだろう?
そんな翠の疑問を碧は答えることもなく、彼は若干荒くなっていた呼吸を落ち着かせるように「ふぅ……」と息を吐き出して。
「じ、じゃあ、僕は行きますね。それじゃあっ!」
いきなり翠の隣を駆け抜けていった。
「……へっ?」
いきなりの奇行に言葉を失う翠。
すぐに我に返り慌てて碧の背中を視線で追うが、すでに彼の背中は小さくなっていて。
「…………なんで?」
翠は頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出す。
しかし、その問いに答えてくれる人はすでに人の波の中で見えなくなっていた。
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