第12話 暗い中だからこそのアクシデント




 暗い建物の中で——


「うう……」


 翠は及び腰になりながら視線をあちらこちらへ彷徨わせていた。

 黒いカーテンで挟まれた通路はただでさえ薄暗い室内をさらに暗く感じさせており、すぐ先は見えるものの、少し離れたところは見づらい状態となっている。


 一歩進めば辺りを見渡し、もう一歩進めば息を吐き出すというのを繰り返す。

 そんな調子で進んでいく翠の後ろでは、星野が歩幅を合わせるように靴の音を鳴らしていていた。


 その途中で。


「大じょ——」


「……っ!?」


 ビクリと。

 不意に掛けられた声に翠の肩が跳ね上がる。

 勢いよく振り返り、責めるように見つめれば気まずそうに星野が苦笑い。


「ごめんね……大丈夫? って聞こうとしたんだけど……」


 両手にカメラを持つ彼女はそこまで怖がっていないようで、声は震えておらず表情に暗いものはない。

 こんな状況でもカメラを持っている彼女に疑問を感じるものの、今はそれどころではないと翠は息を吐き出した。


「だ、大丈夫……」


 震える声の後に深呼吸。


 まだ暗くて静かなだけ……


 そう自分に言い聞かせながら吸って吐いてを繰り返す。


(あくまでここは文化祭……怖いことはない……大丈夫……大丈夫……)


 高鳴っていた鼓動が落ち着いてきた翠は、苦笑いを浮かべている星野へぎこちなく笑いかける。

 そして、彼女の反応を見る前に視線を進行方向へ。


(まだ何も出てきてない……これからも出てこない……大丈夫……大丈夫……)


 翠はゴクリと喉を鳴らした。

 そして、止めていた足を一歩前へ。


(怖くない……怖くない……)


 自身を鼓舞してさらに一歩。

 一歩を踏み出すたびに吐き出される息。

 それを何回か繰り返したところで。


 カァー! カァー!


「ぴえっ!?」


 突然鳴り響いたカラスの鳴き声に、今度は翠の体全体が小さく跳ねた。


 浮き上がる体に、すぐ後ろの星野から聞こえる「ぷっ……」と吹き出すような音。

 しかし、翠には反応する余裕などない。


 おそるおそる左右を確認。

 しかし、見えるのは黒いカーテンだけで、何かが出てきたというわけではなかった。


 大きく息を吐き出す。

 おそらく音声を流しただけだろうが、人が怖がっているところを驚かせるなんて何事か……

 翠は心の中で憤り、目を細めると前方を睨みつけた。


 すでにカラスの鳴き声は止んでおり、何の音も聞こえない。

 唯一見えるのは薄暗い道のりだけ。

 翠は再びゴクリと喉を鳴らす。


 そして、数秒。


 ……このまま立ち止まっていても怖いだけ。


 そう覚悟を決めて翠は先へ急ぐことにした。

 しかし、ここで一気に走り抜ける度胸は翠にはない。

 そのため慎重に進んでいくものの、あっけないほどに何も起こらなかった。


(よしよし……この調子……)


 何も起こらないことに安心した顔の翠。

 順調に進んでいることにほっと息を吐き出すと、そのまま曲がり角へ。

 

 しかし、お化け屋敷と言う物は油断した時が一番危ないわけで。


 パリ―ンッ!!! ガシャーン!!!


 曲がり角に差し掛かった瞬間、ガラスの割れる音が大音量で鳴り響いた。


「ひゃあっ!!!!」


 突然の大きな音に悲鳴を上げた翠は逃げ出そうと振り返る。

 しかし、翠に逃げだそうとした方向にはよりにもよって星野がいた。


「へっ?」


 いきなり飛び込んできた翠に呆けた声を漏らす星野。

 彼女に気付いた翠はとっさに躱そうと身をよじる。

 だが時すでに遅く、翠は星野の胸元に頭から突っ込んだ。


「きゃあ!?」


 暗い室内に可愛らしい悲鳴が上がる。

 そして、翠が星野に覆いかぶさるようにして二人は床に倒れこんだ。


「ごめん! 大丈夫?」


「う、うん……大丈夫」


 翠が無事を確認すると、すぐに星野から返事が返ってくる。

 幸い頭をぶつけたり、どこかを痛めたりはしていないらしい。

 翠は胸を撫で下ろすと、急いで体を起こす。

 すると、ある異変に気付いた。


(あれ? 首回りがスース―する……)


 今日、翠は茶色のウィッグを付けており、それは背中まで伸びた長髪だ。

 そのため、首回りに開放感があるのはおかしい。


 右手を首元へ。

 すると、本来は髪に触れるはずの手は空を切った。


「あれ?」


 目を瞬かせる翠。

 しかし、困惑したのも一瞬で、すぐに我に返った翠は無くなってしまったウィッグを探し始める。

 

 初めは右へ。

 次は左へ。


 室内が薄暗いせいで見づらいが、どうやら付近には落ちていない。


(そうすると……)


 翠は最後にまだ見ていない下へ視線を落とす。

 すると、ちょうど目の前に円状に広がったウィッグが落ちていた。


「よかったぁ」


 これも翠の仕事道具であり、事務所のお金で買ってもらった大事なものだ。

 翠は小さく笑みを浮かべてウィッグへ手を伸ばす。

 そして、その手がウィッグを触れた。次の瞬間——

 

「ひゃあ!?」


 再び可愛らしい悲鳴が上がった。

 その声に翠の動きが止まる。

 ただ、翠が止まったのは悲鳴のせいだけではなかった。


 右手に感じる感触。

 ウィッグを掴んだはずなのに、その奥に違う感触を感じたのだ。

 それは、固くも感じるし、柔らかくも感じて。


 そう、まるで少し硬いもので柔らかいものを包んでいるような——


「……っ!?」


 ハッとした翠は目を凝らす。。

 すると、翠の伸ばした右手の上方。そこには薄暗いせいで見づらいが、顔を真っ赤にした星野の顔があった。


「ご、ごめんっ!!!」


 翠は飛び跳ねるように後退あとずさり。

 すると、星野はゆっくりと体を起こす。


「…………」


 何も言わずに顔を俯かせ、固まったままの星野。


 数秒、それとも数分か。

 気まずい沈黙が続く。


 そんな中、星野はスッと立ち上がり、俯かせたままの顔を少しだけ翠の方へ動かして。


「……ごめん! 先行くね!」


「えっ?」


 翠が答える暇のなく先へ駆け出して行ってしまった。

 何も言えずに星野の後姿を見送る翠。


 悪いことをしたという罪悪感と、突然星野が走り去ってしまったという驚き。

 そんな心情からしばらくの間茫然をしていた翠だったが、それだけ時間が経てば自ずと気持ちも落ち着いてくる。

 すると、狭まっていた視野も広がってきて。


「…………俺、今一人じゃん……」


 今、自分が置かれた状況を言葉にして呟いた。


 まだ入り口から一直線に歩いてきただけで、翠のいる場所はまだお化け屋敷の入り口のはず。

 それだけでこんな状態になってしまっているのだ。


 ……一人で出口まで行けるのだろうか?


 そう自身に問いかけて。


「無理だってぇ……」


 すぐにその答えが暗い室内に木霊した。


 次第に呼吸が浅くなり、心臓の音が体の中から耳を叩く。

 後ろを見るが誰もいない。

 前を見ても誰もいない。


「……どうしよう」


 薄暗い中に室内に一人、途方にくれた翠は震える声で呟いた。

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