第10話 恭平の彼女




 肩口まで伸びる黒髪をウェーブ巻きにし、落ち着いた雰囲気の少女——鈴原 美穂。

 恭平の恋人である彼女はその黒の前髪の隙間から仄暗い視線をまっすぐ恭平へ向けていた。


「恭ちゃん……説明してくれるかな?」


 冷や汗をかいている恭平に一歩近づく。

 そして、その視線をさらに暗いものに変える。


「それとも出来ないのかな?」


「ひっ……」


 鈴原さんの眼力に怖気づいた恭平は一歩だけ後退あとずさり。

 その様子に恭平の背後にいる翠はチャンスを見出す。


(今だ!)


 隙を突いて星野の方へ。

 目論見は成功し、星野の元へたどり着いた。


 ……助かった。


 無事に逃げられた翠はほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、ここで違和感が。

 隣にいる星野が声をかけてこないのだ。

 気になった翠が隣へ目を向けると。


「でか……」


 星野は恭平に迫っている鈴原さんのある一点に釘付けになっていた。

 それを目で追った翠は「ああ……」と本日二度目の納得。


 星野の視線の先、それは鈴原が着ている服だ。

 おそらく文化祭で生徒が着ている服なのだろう。彼女は真ん中にデフォルメされたキャラクターが書かれた水色のシャツを着ている。

 別にシャツ自体はおかしくも何ともないし、気になるところもない。

 

 おかしいのはシャツに書かれたキャラクターだ。

 ちょうど胸の所に書かれているキャラクター。それが内からの膨らみに大きく歪められているのだ。


「まじかぁ……」


 不意に聞こえた声の主に目を向ければ、星野が視線を真下にやってポツリ。

 そんな彼女に翠は顔を引きつらせるしか出来ない。


(勘弁してくれ……!)


 いくら女装していたとしても翠は男なのだ。

 さすがに女子の繊細な話に顔など突っ込めない。


 そうやって翠が顔を引きつらせているうちに星野の顔を上がり、ゆっくりと翠へ向いていく。

 その仕草に何事かと首をかしげると、彼女は至極真面目な顔で。


「もしかして……たかみ……スイも大きい方がいいの?」


「へっ?」


「だって、スイ凄い見てたし……」


「いや、違うって!」


 慌てて首を横に振る。


「ほ……レンが見てた方向を見ただけだから! 他意はないって!」


「そっか……」


 必死の否定が功を制したのか、星野は少しだけ視線を落とすと納得したように頷いた。

 

(助かった……)


 ひとまず答えづらい問題は避けられた。

 翠はほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、そう思ったのは束の間。


「スイさん……」


「ひあっ!?」


 突然かけられた声に翠の鼓動が跳ね上がった。

 ドキドキと跳ねる心臓を押さえつけて声の主へ。


「一応聞いていたのでスイさんと呼びましたけど、大丈夫ですか?」


「う、うん……ど、どうしたの……?」


「いえ、恭ちゃんからはあまり詳しい話が聞けなかったので……スイさんから聞けたらと」


「何これ!? 全然力入んないんだけどっ!?」


 いつの間にか翠の目の前に来ていた鈴原さん。

 彼女の手は恭平の右手首を握っており、原理は分からないが恭平はそのせいで身動きが取れなくなっているようだ。


 無意識に後退あとずさり。

 しかし、翠から見える彼女の大きさが変わらない。


(なんでっ!?)


 鈴原さんとの距離が全く変わらない。

 そんな意味の分からない現象に翠は心の中で叫ぶ。


 ……何か凄いことをした。


 したはずなのだが、当の本人である鈴原さんはなんてことも無いように自然体で佇んでいる。


(なんて答えればいいんだ? 考えろ……)


 ……逃げられない。


 そう直感した翠は必死に頭を働かせる。

 そして——


「あれは……全部恭平の悪ふざけで、俺は嫌だったんだ……」


 恭平を生贄にすることに。


「へぇ……」


 翠の言葉に少しだけ鈴原さんの目が細められた。

 それを見た翠は言葉を続ける。


「だってそうだろ? 何で好き好んで恭平に迫られなくちゃいけな——」


「おい!? ちょっと——」


「うるさい! いつも俺をからかいやがって!」


 話を遮ろうとする恭平。

 その言葉を翠はさらに遮った。


 ……なんかムカついてきた。


 こうなったのも恭平のせいなのに、なんで助けを求めるような目をしているのか。

 翠の中に少しずつ怒りが湧いてきた。

 その怒りに身を任せ、翠はビシッと恭平を指さす。


「ほんとふざけんなよ! いつもいつもおちょくってきやがって! お前は少し反省しろっ!」


「おいおい!? それ今は不味いって!?」


「何が不味いんですか?」


 ピタリと。

 鈴原さんの声に恭平の動きが止まった。

 恭平は錆びついたように首を動かすと、取り繕うように笑う。


「い、いやぁ……別に……」


「…………」


 必死に言葉を取り繕うとしている恭平に対し、鈴原さんは終始無言を貫いている。

 やがて彼女はため息をつくと、その顔を翠の方へ。


「スイさん……このままだと恭ちゃんは何も話してくれないようなので、申し訳ありませんが、恭ちゃんを借りても良いですか?」


「あ、はい」


「ありがとうございます」


 翠が頷くと鈴原さんは少しだけ笑みを見せ、星野の方へ向く。


「では次にレンさん?」


「は、はい!」


 急に声をかけられて星野のビクリと肩を跳ねさせた。

 鈴原さんはそんな星野の仕草には触れず、申し訳なさげに目を伏せる。


「すいません……本当はちゃんと初めましてってあいさつしたかったのですが……」


 そう言って少しばかり頭を下げる鈴原さん。

 そんな彼女の様子に星野は目をパチクリとさせながらも、次第にその目尻を下げていく。


「大丈夫! 気にしないで!」


「ありがとうございます」


 星野の笑顔につられてか、鈴原さんも表情を和らげた。


「本当は色々と話したいこともあったのですが、それはまた後でゆっくりとしましょう」


「そうだね。今度二人で遊ぼうよ? 色々と聞いてみたいこともあるし!」


「本当ですか? 楽しみです」


 翠を置いてけぼりにして通じ合う二人。

 彼女たちはチラリと翠を見やると話を続けた。


「では、私たちはそろそろ」


「あ、うん、分かった。チケットの準備ありがとね!」


「いえ、気にしないでください……恭ちゃん、渡したチケットはどこですか? ……あっ、ここですね?」


 恭平にチケットの場所を聞いている鈴原さんは、彼が答えるよりも前にパーカーのポケットに手を突っ込んだ。

 そして、そこには本当にチケットが。


「では、これがチケットです」


「ありがとー!」


(なんで分かる……?)


 茫然とチケットを取り出されるのを見送る翠。

 そのチケットは星野に手渡された。


「じゃあ、私たちは行きますね。楽しんでいってください」


「うん、わかった。後で電話するね」


「ええ……では、頑張って」


「ちょっと!? マジで離れねぇんだけど!?」


 恭平の言葉を無視して鈴原さんは一礼。

 そして、彼女は恭平の手を掴んだまま学校内へ歩いていった。


「…………た、たすけてぇぇぇ!」


 途中、恭平の叫び声が聞こえた気がするけれど、気にしないことにして一息。


「怖かった……」


「はははっ! いつもあんな感じなの?」


 吹き出すように笑う星野。

 翠はその笑い声に肩の力を抜くと、首を横に振る。


「いや、初めてだよ。俺も直接会ったのは一、二回だし、その時はこんな格好してなかったしね」


「あー」


「まあ、恭平には良い薬になったと思うし、これでよかったんだと思うよ」


「ははは……佐藤君も大変だ……」

 

 星野は乾いた笑いの後、鈴原さんが歩いていった方向へ目を向けた。

 翠もつられるように同じ方へ。


 入り口で騒いで時間を取られてしまったせいか、先程よりも人の量が増えていた。

 校門から校舎までの道にあるいくつかの出店。

 それらの店からは客を呼び込むための声が上がり、その声につられた人たちが店の方へ集まっている。


「私たちもそろそろ行こっか」


 不意に声をかけられてそちらを見れば、星野がチケットをチラつかせて微笑。


「カメラも持ってきたから途中で撮影も挟んでいくからね? この前の結果を見せる時だよ」


 そう言うと、星野はカメラを取り出し始めた。


(ん? カメラ?)


 疑問に思った翠は彼女の手元を目で追う。

 すると、彼女のバックから学生では手が届かなそうなしっかりしたカメラが出てきて。


「すごい綺麗に撮れるから期待してて!」


 星野はカメラを首に掛けるとカメラを構えて微笑んだ。

 簡単に撮ると思っていたのに、出てきたのは本格的なカメラ。


「……お手柔らかにお願いします」


 翠は少し顔を引きつらせると、絞り出すようにお願いした。


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