第9話 約束の日




 時は少し流れて文化祭当日。

 校門前にはすでに多くの人がいた。


 受験生なのだろうか。手作り感のあるパンフレットを持った中学生。

 そして、おしゃれな服を着た大学生ぐらいに見える男女。

 様々な人が溢れかえっている校門前で彼、彼女らはある一点をチラチラと見たり、見なかったり。

 そんな彼、彼女らが何を見ているかというと——


「そうやってちゃんと着替えてきてくれるお前が大好きだぜぇ!」


「俺はお前が大嫌いだよ……」


 テンションに大きな差のある男女だった。

 一人は軽薄そうな笑顔を浮かべているパーカーを着た男。

 そしてもう一人は、黒のジャケットと対照的な白のインナーに花柄をアクセントにしたスカートを穿いた少女——翠だ。


「なんで来ちゃったんだろ……」


「お前は約束しちゃうと断れないからなぁ……」


 翠が茶色の前髪が目にかかるのも構わずに俯くのに対し、恭平はしみじみと腕組み。

 翠はそんな恭平を睨みつける。


「しょうがないだろ? さすがにあんなメールが来たら断れないって」


 翠自身ものすごく悩んだのだ。

 しかし、楽しみにしているという旨の星野のメールを見て、そのうえ翠が女装しても自然体でいられるためだと言われてしまったら断れないだろう。


 翠は俯いたせいで目にかかっていた前髪を払うと軽く息を吐き出した。


「まあ、来ちゃったからは頑張んないと……」


 ここまで来てしまった以上はもう引き返せないのだ。

 それに星野は撮影もすると言っていた。

 つまり、これからは仕事になる。


「まずは恭平! これからは俺をスイって呼ぶように! 間違っても翠って呼ぶなよ!」


「はいはい」


「ハイは一回」


「へーい」


「おい」


 気を引き締めた翠の言葉に恭平はどうにも覇気のない返事を返す。

 そんな彼を睨みつけるが、当の本人は気だるげに頭をかくと一欠伸。


「ってもなぁ……初めからそんな調子だと疲れちまうだろ? それに、俺も昨日遅くまで美穂を話してたから少し眠いんだよなぁ」


 ふぁ……と大きく口を開ける恭平。

 彼の気の抜けた態度に翠の目が半眼に変わる。


「お前絶対眠いだけだろ……」


「……バレちゃあしょうがねぇ」


 翠の視線を受けた恭平は途端にニヤリと表情を変えた。

 そして、くるりと翠に背を向ける。


「そういうわけだから俺はちょっと寝てくるからよ! お前は一人で星野を待っててくれ」


「えっ?」


 恭平はあろうことかそのまま歩き去ろうとしだす。

 突然のことに言葉を失う翠。


 何でいきなり去ろうとしているのか?


 茫然としている間にも恭平は一歩、また一歩と翠から離れていく。

 そして数秒。


「いや、ちょっと待てって!」


 我に返った翠は慌てて恭平を追いかけると手を伸ばした。

 その手は歩いていこうとする恭平の首筋へ伸びていき、彼の着ているパーカーのフードをしっかりと掴む。

 すると、どうなるか。

 離れていこうとする恭平。しかし、彼の首元は翠がフードを掴んだことで固定されている。

 つまり——


「ぐえっ!」


「あっ、ごめん」


 恭平は自身のパーカーで首が絞まり潰れたカエルのような声を出し。

 翠はその声にキョトンをした顔で謝罪を口にした。


「おいおい、首は酷いんじゃないか?」


 恭平が振り向く。

 その目は少しばかり恨めし気だ。


 そんな彼の視線に翠は気まずそうに目を逸らす。


「ご、ごめん、つい……」


「これが幼馴染への態度かよ。さすがに傷ついたなー」


「う……」


 手で顔を覆って傷ついた素振りを見せる恭平。

 そんな彼に翠は言葉を詰ませると。


「お待たせー!」


 突然、背後から明るい声が。

 顔を上げた翠は声の聞こえた方へ顔を向ける。


「いやぁ、ごめんね……けっこうギリギリになっちゃった」


 声の主は星野だった。

 暗めなグレーのパーカーに落ち着いた色合いのスカートを合わせている彼女は、翠の視線に気づくとニコッと笑みで返す。

 そして、彼女は翠の目の前で立ち止まると、翠と恭平とで視線を往復させて。


「どうしたの?」


 いったい何があったのと言わんばかりに首をかしげる。


「えっと……」


 なんて答えればいいのだろうか?


 喧嘩をしていたわけでは無いし、恭平がどこかへ行こうとしていたとも言いづらい。

 どう答えれば良いか少しばかり悩む。

 すると、悩んでいる翠の背後から手が伸び、翠の肩に重みが加わった。

 次の瞬間。


「スイで遊んでた」


 恭平がとんでもないことを言い出した。


「は?」


 翠の表情が抜け落ちる。

 そのまま恭平を見れば、後ろから翠の肩に手を置いている彼はニヤニヤとした笑み浮かべていた


 ようやくここで気付く。

 どうやら恭平に遊ばれていただけらしい。


「……おい」


「いやぁ、緊張を解そうとしただけだって」


 翠の表情が不機嫌なものに変わった瞬間、恭平は瞬時に翠から離れていた。


「だってお前気を張ってるんだもんよ。それだとすぐに疲れちまうだろ?」


「その前に疲れたよ……」


 恭平の言い分にため息。

 緊張を解すためとはいえ、ここまでやってしまったら逆に疲れてしまうのではないか。

 現に翠は精神的に疲れている。


 肩を落とす翠。

 そんな翠の隣で。


「ああ、なるほど……だから」


 星野が一人で納得いったように頷いた。

 翠と恭平の視線が突然頷いた彼女へ。


「「なるほどって?」」


「えっ? ええと……」

 

 二人の視線を受けた星野は言葉を選ぶように考える素振り。

 そして数秒。

 翠を恭平の視線が集まる中、彼女は少しばかり顔を気まずそうに変えながら。


「えっとね……二人を見つけた時、なんか痴話喧嘩してるみたいだったから……」


「はぁ!?」


「なんかね……喧嘩をして帰ろうとしてる彼氏を必死に止めてる彼女の図というか……」


「っ!?」


 言い争いを外から見た感想を言われて翠の顔が赤く染まる。


 まさか、痴話喧嘩に見られていたとは……


 気まずくなった翠は少しばかり恭平から距離を取ることに。

 しかし、すぐに恭平が反応。


「おい、なんで距離を取るんだよ?」


「いや、だって……」


 翠を追うようにじりじりと距離を詰める恭平。

 そんな彼に翠は目を合わさないまま後退あとずさり。


「だって嫌じゃないか? 誤解されてんだぞ……」


「そうか?」


 離れようとする翠。


 何で近づいてくるのか?


 そんな疑問を浮かべながらも恭平から距離を取ろうとする。

 しかし、恭平はそれを上回る速度で距離を詰めて。


「……俺は誤解されてもいいけどな」


 よく分からない決め台詞を吐いた。


「おい……」


 翠と恭平の顔の距離は十センチほど。

 そこから見える恭平の顔は明らかに笑いをこらえていて、ふざけているのがバレバレだ。

 呆れ顔になる翠。


「何のつも——」


「へぇ……誤解されてもいいんですか……」


 何のつもりだ——そう翠が言おうとした途中、突然抑揚のない声音が割り込んできた。


「「……っ!?」」


 恭平の後ろから聞こえたその声に二人の肩が跳ねる。

 そして、恭平の両手が小刻みに震えだし、額からは大量の冷や汗が。


「おい、いったいどうした?」


 不思議に思った翠の視線が恭平の背後へ。

 そして、恭平の背後にいる人影を捉えると「ああ……」と納得した。


「ちゃんと説明して下さい……恭ちゃん……」


 恭平の背後。

 そこには、静かに怒りを燃やしている恭平の彼女が立っていた。

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