第8話 翠を誘う三枚の……




 目の前に現れた三枚の紙きれを翠はじっと見つめた。

 素材は画用紙だろうか。手作り感のある手のひらサイズ程の水色の紙に、様々な色を使ってカラフルにイラストが描かれている。

 そして、イラストに彩られた紙きれの真ん中には——


「文化祭?」


「おう!」


「どこの?」


「美穂の高校の」


 翠の問いに当たり前だろと言わんばかりの恭平。

 しかし、突然の事で翠には状況が呑み込めない。


 恭平の彼女が翠たちとは違う高校に通っていることは知っている。

 どうやって知り合ったのかは知らないけれど、付き合い始めたと散々自慢されたのだ。

 翠自身も会ったことはあるし、連絡を取り合ったこともある。


 おそらく恭平は彼女からチケットを貰ったのだろう。

 それは翠にもそれぐらいは分かる。

 でも——


「なんで三枚あるんだ?」


 二枚なら分かる。

 恭平と翠が仲良くしているのは彼女も知っていることだ。

 だから、恭平を誘うついでに翠を誘ってくれるということは考えられるのだが。


「鈴原さんは星野のこと知らないはずだろ?」


「えっ?」


 翠の問いかけに恭平の動きが一瞬止まった。

 そんな彼の様子に翠の警戒心が少し強まる。


「えっ? ってなんだよ……?」


「え、ああ……そういや言ってなかったっけって思ってさ……美穂には星野の事話してたんだよ。お前が最近仲良くしてるってさ」


「本当に……?」


「お、おう……」


 ぎこちなく笑う恭平。

 その様子に翠の中の警戒心がさらに強まっていく。


「まさかとは思うけど……俺の出てる動画について話してないよな?」


 恭平が星野の事を紹介したということは、翠の女装についても漏れている可能性があるということだ。

 翠はじとっとした目を恭平へ向けた。


 ……もちろん話してないよな?


 そんな意味を持たせた視線が恭平に突き刺さる。

 しかし、視線を向けられた恭平はというと。


「…………」


「話したのかよ!?」


 まったく目を合わせようとしなかった。


 翠は内心頭を抱える。

 予想していないところで翠の秘密が漏れていたのだ。

 しかも、会ったこともある人に。


(嘘だろ……次会った時に何話せばいいんだ?)


 知り合いにバレたという羞恥心に翠の顔が自然と赤く染まる。


「なんで話してんだよ……」


「わ、わりぃ、つい口を滑らしちゃってよ……でも、他の人には話さないでくれって頼んだから大丈夫だと思うぞ?」


「そういう話じゃないんだよ……」


 ガックシとうなだれる翠。

 そんな翠の様子を見てか、ずっと話を聞いていた星野が間に入った。


「ま、まあまあ……佐藤君が話したから私にもチケット来たんだし」


 星野は微妙に苦笑いをしながら翠を元気づけるように。


「それに、私も佐藤君の彼女に会ってみたいし……ここは運が良かったって思うことにしようよ」


「そうだぞ翠。美穂の高校は外部の人間は完全招待制だから、かなりラッキーなんだぞ?」


「お前は少し反省しろ……」


 人の秘密をバラしておいて開き直っている恭平を翠は横目で睨みつけた。

 すると、恭平は気まずそうに頭をかいて椅子に寄りかかる。


「いやぁ、それは悪かったけどよ……でも星野のこと話すとなると避けられないだろ?」


「それはそうかもしれないけど」


「それに俺だって自分の彼女に隠し事はしたくないしな。お前には悪いけどよ……美穂は口が堅いからそこは安心してくれよ」


「……まあ、それはたしかに安心できるかも」


「ひどくね!?」


 大げさに傷ついた仕草をする恭平。

 翠はそんな彼を睨みつける。


「当たり前だろ? どうして鈴原さんがお前と付き合ったのか不思議なくらいなんだから」


「そうなの?」


 翠に言葉に星野が不思議そうに首をかしげた。

 翠は星野の問いに肯定するように一度頷く。


「鈴原さんって生徒会の役員なんだよ。たしか書記だったかな? 凄いしっかりしててさ……恭平とは正反対って感じなんだよね」


「へぇ」


「おい、その目は何だ?」


 含みのある星野の視線に不満顔の恭平。

 星野はそんな恭平から目を逸らしてコーヒーを一口。


「別になんでもないよ……でも、それなら余計に会ってみたいなぁ」


 星野は話しながら目線を上へ。

 

「色々聞いてみたいか……も……」


「どうしたの?」


「どうした?」


 話している途中、突然動きを止めた星野に翠と恭平の視線が集中する。

 しかし、彼女は二人の問いには何も答えず徐々に顔を青ざめさせていき——


「打ち合わせの時間過ぎてる……」


「「えっ?」」


 呆気に取られる翠と恭平。

 星野は隣の席に置いていたバックを手に取ると、勢いよく席を立つ。


「ごめん! いきなりだけど私行くね!」


「「あっ、はい……」」


「ほんとごめんね!」


 脱兎の勢いで喫茶店を飛び出していく星野。


「…………」


 翠は飛び出していった星野を茫然と見送った。

 彼女の飛び出していった扉はゆっくりと閉まっていき、完全に閉まり切るとカランと音を立てる。


「凄い勢いだったな……」


「ああ……」


 少しして我に返った翠は恭平と顔を見合わせた。

 呆気に取られている悪友の顔。

 たぶん翠自身も同じ顔をしてるのだろう。そう思うと少し笑えてくる。

 それは、恭平も同じのようで


「「ぷっ……あははははっ!」」


 翠と恭平は吹き出すように笑い出した。

 しばらくの間「クックッ」と笑いをこらえるのに苦労する二人。


 少し経ち、二人とも落ち着いてくると、恭平が腹を抱えながらだらしなく椅子に寄りかかる。


「いやー笑った! いきなり顔を青ざめさせるんだもんなぁ」


「たしかに、星野のあんな焦った顔初めて見たよ」


 笑いをこらえながら翠は再び星野が飛び出していった扉に目を向ける。

 すると、恭平は意外そうな目で翠を見た。


「へぇ、お前ら最近結構一緒にいるじゃん。それでも珍しいのか?」


「まあな」


「……それはいいもの見たなぁ」


 翠の肯定に恭平がニヤリといやらしい笑みを見せる。

 そんな彼に翠はため息。


「おい……何考えてんだ?」


「別にー? 俺は面白いものが見れたぐらいにしか思ってないぞ」


「嘘を言うな」


 ……あんな笑顔を見たら信じられない。


 翠は頬杖をつきながら呆れ顔で恭平を見た。

 すると、彼はしごく真面目な顔でまっすぐに翠を見つめ返す。


「嘘じゃねぇよ! 見ろ俺のこの目を」


「……欲に塗れてるな」


「おう! ……って、そうじゃねぇよ!?」


「はぁ……」


 大げさに肩を落とす恭平に疲れてきた翠はため息をつくと、彼から視線を逸らした。

 すると、目の前に置かれていたチケットが目に入る。


「そういえばチケットの事話してたんだっけ?」


 ……思いっきり忘れてた。


 翠はチケットを手に取ると恭平へ視線を戻す。


「結局これでどうするんだ? もっと人のいるところで試してみないなんて——」


 ピロン!


 話を遮るように突然鳴り響いた着信音。

 この少し古い着信音は翠のスマホのものだ。

 翠はポケットからスマホを取り出すと、画面を起動させて通知を確認していく。

 すると、通知には一件のメールがきていることが表示されていた。


「星野からだ」


「何だって?」


「ちょっと待って」


 恭平に急かされながら翠はメールの内容を確認する。

 その内容は——


『いきなり出てっちゃってごめんね! 文化祭楽しみにしてるから! 服は最初のやつでいいと思うよ! せっかくだから撮影しようね!』


「…………」


 楽しみにしているという旨のメッセージ。

 そして「撮影」をいう言葉。


 翠の中で先程の恭平の言葉と今のメッセージが繋がった。


(つまり、俺は女装して鈴原さんの学校の文化祭に行くってこと……?)


 スマホに視線を釘付けにさせたまま固まる翠。

 そんな翠の肩に唐突に手が置かれる。


「あらー、これは断れる雰囲気じゃねぇな」


「やっぱりキツイかな……?」


 翠はスマホから恭平へ視線を移す。

 すると、恭平は少し憐れむような目で翠を見ていた。


「そりゃあそんだけ楽しみにされちゃあな……逆にこれ見てお前は断れるか?」


「だよなぁ……」


「まあ、髪を変えてるからバレはしないと思うぞ?」


「はぁ…………」


 安心していいのか悪いのか分からない恭平の慰めに翠は深くため息。

 ただ、撮影する以上それは仕事なわけで翠には断わりづらい。

 そして、楽しみにしている星野に対して無理だと断るのも翠には難しい。


「さすがに断れないよなぁ……」


 八方塞がりな状況に、翠は考えることを止めてテーブルに突っ伏した。

 

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