第6話 二度目の変身
「本当にこれを着るのか?」
「もちろん!」
「もちろんって……」
カーテンの向こうから聞こえる星野の明るい声。
その声に翠は頬を引きつらせた。
何で頷いちゃったんだろう……
思い出すのは頷いてしまった少し前の自分。
翠はそんな少し前の自分を呪いながら天を仰ぐ。
いや、原因は分かっているのだ。
『もう少し女の子っぽい格好してみない?』
そう言われた翠はもちろんすぐに断った。
でも考えてもみてほしい。
断られた瞬間、悲しそうに歪んだ星野の顔を見て。
そんな星野を見た恭平に責めるような視線を向けられて。
どうして断ることが出来るだろうか?
(まあ、出来なかったからここにいるんだけど……)
翠は自虐的な笑みを浮かべると今度は視線を下に落としていく。
視線の先、その両手には星野が選んだ服が握られていた。
そして、翠が今いるのは試着室。
つまり、翠にはこの服を着るしか選択肢が残されていないわけで。
「すぅ……はぁ……」
目を閉じて深呼吸。
一回、二回と繰り返し、ようやく覚悟を決めて「よしっ!」と翠は目を見開いた。
だが、ここであることに気付く。
「まず脱がないと着れないじゃん……」
両手に服を持った状態の自身をまじまじと見下ろして数秒。
翠は両手に握った服をハンガーに掛けると、恥ずかしそうに顔を赤らめながら今着ている服を脱ぎ始めた。
* * *
翠が試着室に入ってしばらく——
「お待たせ……」
「あっ! やっと終わった!」
試着室の前で静かに待っていた蓮華は、カーテンの向こうから聞こえてきた声に目を輝かせた。
翠が試着室に入ってからそれなりに時間が経っている。
おそらく覚悟を決めるのに時間がかかったのだとは思うけど、こんなに待たせてくれるとは。
蓮華はうずうずと落ち着きなく試着室を見つめる。
すると、カーテンが揺れて——
「…………」
頬を少し赤らめた翠が顔だけを覗かせた。
彼は周囲を確認するように視線をあちこちに移動させている。
そして、その口元を何か決心したように引き締めるられると再びカーテンが揺れた。
シャーと音を立てて開かれるカーテン。
その奥から翠が姿を現す。
「「おお……」」
蓮華と恭平の口から感嘆の声が漏れた。
黒いジャケットに黒と対照的な白のインナー。
そして、黒い花模様がポイントの白いロングスカート。
全体的な色合いは白と黒のシンプルなものだが、クールな印象のメイクをしている翠には似合っている。
さすがに最初から明るい色のものは嫌だろうと思って選んだけれど、その選択は間違っていなかったようだ。
当の本人はスカートが落ち着かないみたいで足をもじもじとさせているけど……
落ち着かない様子で視線を彷徨わせている翠。
そんな彼へ恭平が近づいていく。
「へぇ、髪を変えると結構印象が変わるもんだなぁ」
「やめろよ、結構恥ずかしいんだから」
まじまじと翠を見つめて感心したように言葉をこぼす恭平に、翠は恥ずかしそうに目を伏せた。
その際に翠の肩から茶色の髪がはらりと落ちる。
彼はすぐにその髪を押させると。
「というか、なんでカツラまで……」
赤らめた頬はそのままに周囲を見回した
落ち着かないし、恥ずかしい。
何ともわかりやすい仕草だろうか。
他の人の視線を気にしてキョロキョロとしている翠の元へ、蓮華は悶えそうになる自分を押し殺して歩いていく。
「こうすれば高宮君だってわかりにくくなるでしょ? それに白黒だけだと味気ないって思ったから髪色だけでも変えようと思ってね」
「いや、別に味気なくていいよ……」
「そんなこと言わないでさ、似合ってるよ。ね? 佐藤君?」
「おう! お前だって知らなかったら口説いてたぞ?」
「う、嬉しくない……」
翠が悲し気にうなだれる。
とはいえ、女装に慣れるためにやっている事なのだ。
(高宮君には悪いけど、ここは心を鬼にして)
蓮華はにやけてしまいそうになる頬を頑張って押しとどめる。
そして、一言。
「そうしたら別のを選んでくるよ」
「えっ?」
「だって嫌なんでしょ? だったらもうちょっと探してみるよ」
「い、いや、い、いいよこれで」
何かを感じ取ったのか、少し慌てた様子の翠。
しかし、ここで止まる蓮華ではない。
蓮華は翠の視線が逸れた隙を見計らい恭平に目配せ。
すると、ちゃんと意図を感じ取ってくれたのか、彼は小さく頷くと蓮華と翠の間に入った。
「そんなこと言わないでよ、ちょっとくらい着てみてもいいじゃねぇか? お前のために考えてくれてるんだぜ」
「う……」
「それとも何か? お前はわざわざお前の悩みの為にわざわざ来てくれた星野の善意を、自分が嫌だからって理由だけで無下にするのかよ?」
「そ、それは……」
翠は気まずそうに目を逸らす。
……あと一押し!
申し訳なさそうに目を伏せている翠。
その様子に勝機を見た蓮華はすぐさま悲しそうな表情をする。
「佐藤君大丈夫だよ……無理を言ったのは私だから。高宮君ごめんね」
「えっ……?」
「今日はこれくらいにしとこうか……」
とどめの微笑。
その表情に翠の瞳が揺らぐ。
「無理してもしょうがないもんね……ただ、今着ている服は貰ってくれると嬉しいな。お金は大丈夫だから」
「————っ!」
「ほんとごめ——」
「分かったよ……」
蓮華が告げる途中、翠は観念したように息を吐き出した。
そして、近くにあった椅子に座ると。
「ここで待ってるから持ってきて……」
全てを諦めたような目で遠くを見つめだす。
彼の姿から漂ってくる哀愁。
少し申し訳なくもあるけれど、目標は達成できたわけで。
「わかった! ちょっと待っててね!」
蓮華は翠の見えないところでガッツポーズをすると、様々な服の並ぶ店の奥へ歩いていった。
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