第4話 「もう……やだ……」



「で? これからどこ行くんだよ?」


 歩き出してしばらく経ったところで翠は恭平に問いかけた。


 たしかにこうやって喋りながら二人で歩くのも別に悪くないとは思う。

 女装に慣れるという目的はこれでも達成はできるし、これはこれで楽しいので翠としても問題はない。

 だけど遊ぼうと誘ったのは恭平の方だ。なら何か目的があるはずで。


「このまま歩き続けるわけじゃないだろ? どこに行くつもりなんだよ?」


「ちょっと待ってろよ、もうすぐ分かるから」


 翠は少しだけ眉をひそめて恭平を見るけれど、恭平は一度だけ翠に目を向けるだけですぐに前を向いてしまう。

 そのまま無言で歩き続ける恭平。

 その様子に翠はムッと頬を膨れさせた。


「なんだよ……別に教えてくれたっていいだろ?」


 頬をむくれさせながらそっぽを向く翠。

 しかし、恭平からは何の反応もない。


 ここまでくると翠も不安になってくるわけで。


「実はなんも考えてないとかないだろうな……?」


 翠は恐る恐る恭平を見る。

 そのまま見つめること数秒。恭平が翠の方を向いた。


 やっと答えてくれるか?


 そんな恭平に翠は表情を明るくするが。


「だからもう少しで着くって言ってんだろ……いいとこだよ! いいとこ!」


「いや、いいとこってどこだよ……?」


 かまうなと言わんばかりの恭平。

 さすがの翠もそんな態度を取られれば不機嫌になる。


「なんか言えないようなとこなのかよ……」


 翠は不貞腐れたように地面を見ると、誘ってきておいて目的地も言わない恭平への嫌がらせを考え始め——


「あっ!」


 閃いた。

 その内容に翠はニヤリと口角を上げる。

 そして、恭平を半眼で見つめると気味悪そうに両腕をさすりながら。


「いいとこって……まさか、さっきの男たちが言って——」


「んなわけねぇだろっ!?」


 翠が言い終える前に恭平が一喝。


「止めてくれよ気持ちわりぃ……」


「じゃあ教えてくれよ……まさか!? 本当に!?」


「そんなわけあるかっ!」


「はははっ!」


 仕返しが成功して焦る恭平を見て翠は楽しそうに笑う。


 いつも弄られてばかりなのだ。

 今日ぐらい揶揄からかったっていいだろう。


 なかなかできない普段の仕返しが出来て嬉しそうな翠。

 しかし、恭平はそんな翠とは対照的に疲れたように息を吐き出した。


「勘弁してくれ……今のお前に言われると洒落にならないから……」


 ガックシと肩を落とす恭平。

 そんな普段見ることが出来ない親友の姿を翠が見逃すはずもなく、翠はスゥと恭平から目を逸らす。


「こんなとこお前の彼女に見られたらどうなるかな……?」


「ちょ!? お、お前マジでやめろよ!? 美穂に見られたら洒落になんねえんだからなっ!」


「そう言いつつも、すでにもう見られてたり……」


 バッ!


 直後、信じられない速さで恭平が周囲を確認。

 そして、それらしい姿が確認できないとため息と共に胸を撫で下ろした。


「本気で止めてくれ……」


「なら教えろよ? どこ連れてくつもりだ?」


「もう着いたよ……こんなことなら連れてくんじゃなかったぜ……」


 恭平は疲れたようにうなだれながら足を止めた。

 翠もそれ合わせるように足を止める。

 そして、恭平の視線の先を追うと。


「あっ……」


 翠の前に建っている建物。

 翠の視線はそれに釘付けになった。

 そんな翠に恭平はしたり顔で。


「この前美穂と歩いてた時に見つけたんだよな。お前好きだけど飼えないだろ?」


「…………」


「だから今日連れて行ってやろうって思ってな。って、おい!?」


 フラフラと翠は恭平の制止を聞かずに歩いていく。

 そして、カランという音を鳴らす扉を開いて中へ入っていてしまった。






 その後ろで。


「まったく……しょうがねぇなぁ……」


 恭平は人の言うことも聞かずに中に入ってしまった翠に苦笑していた。

 そして、先程までのやり取りと思い出す。


「これが動画で出来りゃあいいんだろうけどな……」


 女装していても自分と会話している姿は自然体だった。

 あとはそれをカメラの前で出来れば何も問題ない。


「まあ、あいつ意外とそういうとこ不器用だからなぁ」


 恭平はクスリと笑みをこぼすと、ポケットからスマホを取り出してどこかへ電話をかけだした。






 恭平の制止を無視して翠が建物に入っていて少しばかり時間が経った。

 そして今、翠の現状はというと——


(あー、幸せだぁ……)


 モフモフとした大群に埋もれていた。


 翠が今いるのはドックカフェだ。

 そして、今翠を囲っているのは様々な犬たち。


 全身に感じる毛の感触に、ハァハァとした息遣い。

 翠はそんな彼らに埋もれながら、人には見せられないような恍惚とした表情を浮かべ彼らを撫でまわしていく。


(ほんと幸せ……)


 太ももに感じる重みが愛おしく、右腕の暖かさも愛おしい。


「——い……」


 撫でまわすたびに反応を返してくれる彼ら。

 それが翠の庇護欲をさらに掻きたてる。


「——―い……」


 向けられるつぶらな瞳も可愛らしく、時折手を舐められながらも頭を撫で、体を撫で、全身を撫でまわす。


(はははっ! みんな元気だなぁ!)


 怒涛の勢いで入れ替わりながら動き回る彼らを、翠は普段からは信じられないほどの俊敏な動きで捕捉した。

 そして、ニッコリと笑みを深めるとその手をのばしていく。

 その途中で。


「おーい……」


 不意に聞こえた煩わしい声。

 その声に翠ののばしかけていた手が止まった。


「…………なんだようるさいなぁ」


 ギロリと。

 先程までとは違う不機嫌な目を声の主に向ける。


 いつの間に中に入ってきていたのだろうか?


 声の主である恭平は店内の端にあるテーブルに座っていた。


「俺は今忙しいんだよ……後にしてくれ」


 翠はすぐに彼らに視線を戻す。

 すると、彼らはお行儀よく翠を見上げていて。


「ごめんなー、待たせて」


 翠は再び見せられないような笑顔に戻り、彼らに手を伸ばそうとする。

 しかし、その手を止めさせたのは再び恭平の声だった。


「おーい、ドックカフェの店員さんが困ってるぞー」


「えっ!?」


 翠はビクリと反応して伸ばしていた手を止めて恭平を見た。


 体を翠に向けて座っている恭平。

 そのすぐ横には店員が立っており、気まずそうに頬をかいている。

 店員は翠と目を合わせない様に視線だけは逸らしていて、それが気まずさに拍車をかけていた。


「……っ!?」


 犬たちの可愛さで蓋をされていた羞恥心が溢れ出し、カァッと頬に熱を帯びる。 

 そんな赤面した翠を追撃するように恭平は翠を見ながら。


「大変だったんだぞー? お前何言っても耳入んねぇし……それにお前なんも注文もしねぇで犬にまっしぐらだったんだって? 店員さん困ってたぞー?」


「…………」


 無言で立ち上がる翠。

 

 犬たちは翠の動きに合わせて顔を上げるが、翠はそれを無視してスタスタと恭平の座るテーブルに歩いていく。

 そして恭平の向かい側に腰を下ろしてテーブルに突っ伏すと。


「…………もう……ころして……」


 か細い声を漏らした。

 そんな翠に恭平は笑みをこぼす。


「そう落ち込むなって! 犬たちが可愛かったんだよな? いいじゃねぇか顔が緩むくらい……な? 店員さん?」


 ニヤニヤしながら店員に同意を求める恭平。

 店員も気まずそうにしながらもそれに同意。

 しかし、翠にとっては嬉しいことでもなんでもなく……


 翠は真っ赤になった顔を上げられずに震える声で。


「もう……やだ……」


 翠が持ち直すには結構な時間がかかった。



 


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