第3話 変身




 いつの間にか衣裳部屋の一角に集められていたあまり派手すぎない衣服。

 それらの中から出来るだけ目立たず、できるだけ男物に見えるものを選んで袖を通す。


 そして着替えが終われば衣裳部屋を出て、トラウマの残るあの部屋へ。

 鏡の前に腰を下ろして引き出しを開ければ、そこにはこれもいつの間にか用意されていた自分用の化粧道具。

 息を吸って、吐いて。

 覚悟を決めたら、自身の顔を変化させていく。


 男から女へ。


 自分の手が起こす小さな変化が、周囲にとっては大きな変化になって。

 その変化に思うところがない訳じゃないけれど。


 それでも、自分がやると決めたことだから——


 少し明るくなった肌に、ほんの少しだけ赤みを帯びた頬。

 目元に引いたラインがキレイという印象からクールな印象へ変えさせる。


 そうやって自身の印象を操作していって。


 コトリ……


 変身の終了と共に化粧道具を置くと、目の前の鏡に映る自分の姿に変なところがないか確認。


 艶のある黒髪に、すらりと細くのびている指先。そして完全に女子にしか見えない顔つき。

 その出来栄えに一度頷いて。


 完ぺ——






「——って、何やってんだ俺……」


 何があぶないのかは分からないけれど、あぶないところだった……


 翠は我に返ると同時に自身が落ちりそうになっていた考えに肩を落とした。


 いったい自分は今何を考えていた?


 ブルリと肩を震わせる。

 続いて翠はその考えを振り払うように頭を振ると、投げやりに椅子に寄りかかって。


「まったく、なんで俺が恭平と遊ぶのに女装しないといけないんだよ……いや、恭平の言ってることも分かるんだけどさぁ……」


 上を向いてため息。

 そんなことしていても意味がないのは分かっているけれど。


「なんかやる気でないなぁ……」


 恭平は翠の女装姿を動画で見ている。

 しかし、直接会うなら話は別だ。


 なんとなく恥ずかしいのだ。

 こういった感情に慣れるためなのは分かっている。それでも、気が進まないのはしょうがないわけで。


「行きたくない……」


 そう翠が言った瞬間だった。


 プルルルルル……


 昔の電話かと言いたくなるような着信音。

 翠がスマホを取り出して確認すると。


「う……」


 画面には『恭介』という文字が。

 翠の指が画面の直前で止まる。


 再び深呼吸。

 そして、通話をタッチしておそるおそる耳元へ持ってくると。


『おせぇじゃねぇか! まだかかりそうか? 俺トイレ行きたいんだけど』


 耳元で響く軽い声。

 翠は途端に肩の力が抜けて。


「はぁ……」


『あ? 何だよそのため息は! 俺だってもう限界なんだって! 早くして!? 俺ここで漏らしちゃうよ?』


「いや、聞かないで行ってこいよ」


『そんな言い方しなくたっていいだろぉ、お前が出てきたとき俺がいないとやばいと思ったから待ってるんだぜ? そんな——』


「それよりお前……」


『あ? なんだよ?』


「トイレ大丈夫なのか?」


『ちょっ!? おまっ!? 思い出させんなよ! ヤバい尿意が! ちょっと待ってろよ! すぐ帰ってくるから、じゃ切るぞ!』


 ツー、ツー……


 焦った恭平の声を最後に通話が切れて。


「ぷっ……はははっ! 俺は何を緊張してんだか」


 翠は吹き出すように笑った。


 なんで小さいころから一緒にいる幼馴染に緊張する必要があったのか。

 声を出して笑えば、いつの間にか胸を重くしていた何かは消えていて。


「よし! 行くか!」


 翠は立ち上がると、足軽に部屋を出た。


 今日は楽しくなりそうだ!






 と、思っていた時もありました……


「お姉さんはどこ行きたい? お金は気にしなくていいよ、俺らが持つから」


 ビルを出て数秒。

 翠は軽薄そうな男たちに絡まれていた。


「うう……お、俺は……」


 こんなことになるとは思っていなかった……


 おそらく先程の恭平の言葉はこのことを言っていたのだろう。

 翠の着替えていた『Suiren』のビルは駅前に建っている。

 つまり、結構人が多いわけで。


「お姉さん自分のこと俺って言ってんの? 何? ギャップ萌えってやつ?」


「はははっ! でも俺っていうのもいいなぁ! 見た目的に意外と似合ってるよwww」


 そんなところに翠のような男の娘が放たれたらどうなるか?


 子羊が狼の前に放り出されたと同じように。

 アマゾンの肉食獣の前で傷を負った時と同じように。


 弱さを、弱みを見せてしまったら食べられてしまうのである。


「うう……」


 そんなことは露知らず、翠は瞳に涙を貯め始めてしまい。


「そんな泣かないでよー、なんか俺らが悪いことしてるみたいじゃんwww」


「そうそう、俺らはお姉さんが暇そうにしてたから声かけただけだって」


「ちょっとそこまで行って休む? あ? あっちにあるのはホテルだっけ?」


「「ぎゃははは!」」


 出なきゃよかった……


 翠は内心後悔するけれど、既に絡まれてしまった以上もう遅い。

 それでも翠は覚悟を決めて男たちを見据えて。


「……い、言っとくけど……お、俺は男だぞ!」


 言い放つ。


 瞳に涙を貯めて少し上目遣いに告げる翠。

 その様子に男たちが呆けたように目を瞬かせる。

 そしてお互いに顔を見合って。


「「ぎゃはははは!」」


「こんなにカワイイお姉さんが男のわけないじゃん?」


「いや、お姉さんはキレイの方だろ? どっちでもいいけどwww」


 全く信じようとしない男たち。


「まあまあ、ここで騒いでてもしょうがないからさ。喫茶店でも入ろうよ? 俺らが奢るから」


「やめっ!?」


 男の一人が一歩翠に詰め寄り、翠の肩へ手を伸ばす。

 翠も抵抗しようと一歩下がるが、男の方が翠より大きくそこまで距離を離せない。


 そして、男の手が翠の肩に触れようとした次の瞬間。


「俺の連れに何しようとしてんだ……?」


 背後から聞こえたいつもより低い声。

 その声に翠は目を見開いて。


「恭平っ!」


「おう……悪かったな。近くのコンビニのトイレ入っててよ」


 パァと明るくなった翠の声に恭平は申し訳なさそうに頭をかく。

 そして、翠の向こうにいる男たちを睨みつけると。


「で? 俺の連れに何しようとしてんだって聞いてるんだけど……?」


「「…………」」


 お互いににらみ合う恭平と男たち。

 互いに一歩も譲らないと思いきや、先に折れたのは男たちの方だった。


「いや、お姉さんが一人だったから声かけただけですよ? すいませんね、連れがいるなんて知らなかったもんで」


 そう言い残して男たちが離れていく。


「…………」


 茫然と男たちを見送る翠。

 そして、完全に男たちの姿が見えなくなったところで。


「お姉さんだってよ……ぷっ、くくく……ぶはははははっ!」


 突然恭平が大爆笑。

 しかし、翠にはそれに反応する余裕はない。


 時間にして数秒、恭平は笑い続けるとようやく落ち着いてきて。


「いやー笑った! あいつ等がやばい奴らじゃなくてよかったな……で? 大丈夫か?」


 翠を見て笑みを浮かべた。

 そんな彼の笑みを見た翠は急に力が抜けて座り込むと。


「…………だいじょばない……」


「何だよそれ? そこは大丈夫って言うところだろ」


 そう言って笑いながら恭平は翠に手を差し出す。

 翠はしばらくの間その手を睨みつけるが、ようやく手を取ると恭平が引っ張り上げて。


「少し時間食われちまったからさっさと行こうぜ?」


「……とりあえずお前はなんか奢れよ」


「えー、なんでだよ……助けてやったろ?」


 他愛のない話をしながら二人は並んで歩きだした。

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