第5話 父娘の話




 パタン——


 音を立てて扉が閉まるのと同時に。


「ハァ……」


 蓮華は顔を少しだけ俯かせて深く息を吐きだした。


 半分は緊張からで、もう半分は安堵から。


 自分から頼んだことではあったけれど、本当にやってくれるとは思っていなかったし、弱みに付け込んだ形になってしまったのも心苦しい。


(まあ、ここで諦めるつもりもないけど……)


 それでも自分が望んだことだ。

 それにこんなところで諦めてしまったら絶対後で後悔するから。


 蓮華はすでに閉じた扉を見続けながら気持ちを新たにする。

 

「これでよかったかい?」


 不意に背後から父の声。

 その声に蓮華が視線を正面に戻せば、そこには少し困った顔をした父がいて。


「うん、ありがとう」


「まったく」


 ニコリと蓮華が笑みを向ければ、父は困ったように息を吐き出した。

 そして彼はソファに寄りかかると、腕を組んで。


「お前が珍しく無理言ってきたから聞いたけど……これでも結構無理があるんだよ?」


「うん、分かってる」


「ましてや実績も経験もない人間にお金を出すなんて、努力してうちに入った人間からしたら面白くないことだろうからね」


「それも分かってる」


(私自身初めから『Suiren』にいきなり入れたわけじゃないしね)


 蓮華自身が味わってきたことだ。


 初めは勉強から。

 その後は手探りで投稿や生配信などをして少しずつ登録者を増やしていったのだ。


 たしかに『Suiren』に入ってからは一気に登録者も増えたが、初心者がいきなりお金を稼ぐことが出来ないコンテンツであることは重々分かっている。


「まあ、確かに彼のルックスは武器にはなると思うけど……彼、あまり自分の顔にいい感情は持っていないだろう?」


「まあね……」


 普段から自身の髪をわざわざ乱れさせているのを見れば、彼が自分の顔にいい感情を持っていないことぐらい蓮華でも分かる。

 あの様子なら普段から自分の顔のケアなどしていないだろう。


(正直反則な気がするけどね……)


 彼の顔は蓮華自身嫉妬しているくらいだけど、それはさておき。


「でもよくわかったね」


「そりゃあね、これでもいろんな人を見てきているんだ……それくらいわかるさ」


 蓮華の言葉に父は肩をすくめて。


「お前が巻き込んだんだ。できる限りの手助けはするつもりだけど……きちんと彼をフォローしてあげるんだよ?」


 心配そうに蓮華を見つめる父。

 蓮華はそんな彼の優しさにクスリと微苦笑。


 社長としての目を持ちながらも優しさもある。

 特に今回の事は完全に自分の我が儘だ。

 そんな自分の我が儘に付き合ってくれている父に蓮華は心の中で感謝して。


「分かってるって!」


「……だから心配になるんだ」


「えー、なんでよー?」


「それが分かっていないから心配になるんだよ……」


 蓮華が頬を膨らませれば、父の顔は心配から呆れ顔に変わって。


「さっきは彼に今日撮ってみて合わなそうなら断っていいと言ったけど、実際に撮るだけだと実感が湧かないだろう? 実感を得るには視聴者の反応を見るしかない。でも、投稿したらもう引き返せないよ。それは分かってるかい?」


「どういうこと?」


 蓮華は首をかしげる。


 何か問題はあるのだろうか?


 全く分かっていない蓮華の様子に父はため息をついて。


「紹介してしまったらもう後には引けないということだよ。蓮華の動画に彼と出るって紹介してしまった後に彼が辞退してしまったらどうなる?」


「えっと……」


「結果的には視聴者を騙したことになってしまうだろう? その結果は最終的に蓮華に返ってくることになるよ」


「ああ、そういうこと」


 ようやく理解する。

 たしかに視聴者が減るのは痛い。視聴者の数がモチベーションに直結するのは蓮華も経験があることだし、会社としても歓迎できることではないだろう。


 それでも——


「大丈夫だよ。成功すると思うから……勘だけど」


 なんとなくではあるけれど成功するという確信がある。

 これでも動画投稿を続けているのだ。人生のことはまだ分からないが、動画投稿についてなら分かることがある。


「問題は高宮君をその気にさせることだけ。最初は怒るかもしれないけど、みんなのコメントを見れば気が変わってやる気になってくれると思う」


「……怒るって……蓮華は彼に何をさせるつもりだい?」


 戦々恐々と訪ねる父に、蓮華は満面の笑みを浮かべて。


「ふふーん、秘密!」


「……っ!?」


「ん? どしたの?」


 突然挙動不審になった父。

 そんな彼を不思議に思った蓮華が問いかけるが、全く耳に入っていないようで。


「ま、まさか……」


 肩を震わせながら。


「蓮華……もしかして彼の事……」


 信じたくないと言った表情で蓮華を見つめる。

 蓮華は父の表情に呆気に取られて目を瞬かせるが、その表情が次第に満面の笑みに変わって。


「それも秘密!」


 その時の父の顔は忘れられないものになった。

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