第10話 頑張ってみたけど……




「そんな張り詰めた顔しなくても大丈夫だよ?」


「いや、でも……」


 目の前で星野が苦笑する中、翠は扉のノブを掴んだまま固まっていた。


 ここまでは順調だったのだ。

 星野に頼んで付いて来てもらい、電車に乗ってビルに入る。そこまでは翠も堂々としてられた。

 でもそこまでだった。


「だって相手は社長だよ? 失礼だと思われたら……」


 苦笑いをしている星野へ顔を向ければ、翠の眉はハの字に歪められていて。


「それに動画の内容は確認したんでしょ?……何を言われるか……」


 今思えば……


 翠のあの痴態を見られたのだ。正直いきなり怒鳴りつけられても不思議ではない。

 目の前の少女の評判を落とした。

 その結果がこの後に待っていると想像すると恐怖で震えてくる。


「やっぱ帰ろうかな……」


 そんな扉の前で震えている翠に星野はため息をついて。


「もう! 早く入るよ!」


「あっ!?」


 ノブを握ったままの翠の手に自身の手を重ねて扉を開いた。


「ほら入る!」


「お、おい!?」


 ガチャリと音を立てて扉が開くと間髪入れずに星野は翠の背中を押して。


「失礼しまーす!」


 ズカズカを社長室に乗り込んでいく。

 背を押されるまま翠が社長室に入ると、目的の人物はソファに腰掛けて優雅にコーヒーを飲んでいて。


「やあ、早かったね」


「えっ?」


 にこやかな笑みで出迎える社長の表情に翠の頭に疑問符が浮かぶ。


「ん、どうしたんだい? 話があるんだろう? 仕事はキリが良いところまで終わらせておいたから大丈夫だよ」


 ニコニコを後ろの少女の笑顔とそっくりな笑みを浮かべる男性。

 翠はギリギリと音が鳴るようなぎこちない動きで後ろを見る。


「どういうこと?」


「いや、連絡してあるに決まってるじゃん」


 そこには、何言ってるの? と言わんばかりの星野の顔が待ち構えていて。


「高宮君に言われてからすぐに連絡しといたよ」


「初めに言ってよ……」


 翠は膝から崩れ落ちた。






 数分経って翠が復活すると、社長はカップを持って。


「さて、話があるんだよね?」


「…………」


「別に怒ったりはしないから、そう肩肘張らなくていいよ」


 苦笑いでカップに口をつける社長。

 しかし、そんなこと言われても緊張するわけで……


「あっ、はの——」


「ぷっ……」


 赤面。


 一気に顔を赤くする翠の隣で星野が笑いをこらえて震える。

 それを見た社長は。


「蓮華……」


 少し目を細くして叱責。


「ごめんね娘が。落ち着くまで待つからゆっくりと話すといい」


「い、いえ」


 娘の時とは違って優しい笑みを向けられ、少し落ち着いた翠はお決まりの深呼吸で気持ちを切り替える。

 そして姿勢を正して。


「あの……昨日の動画なんですが……」


 おずおずと話を切り出す翠に目の前の男性は何ともない顔で。


「えっ? 昨日の動画がどうしたんだい?」


「えっ?」


「ん?」


「「…………」」


 お互い呆けた顔をする男二人。

 そんな中、このままでは埒が明かないと覚悟した翠が先に口を開いた。


「い、いや……昨日の動画がやばかったんじゃないかと……」


「ん? 昨日の動画のどこがまずいんだい?」


「えっ? だって俺失敗ばっかだったし……」


 翠はいつの間にか俯いていた姿勢から目の前の男性を見上げる。

 しかし、当の責任者は何のことか分からないといった顔で。


「昨日の動画にまずいところなんてなかったよ。いや、たしかに一歩間違えれば危うかったけれど、コメントを見た感じでは好評だったし——」


「は?」


 コメント?


(そんなの全然頭になかった)


 呆気に取られていた翠は顎に手を当てて。


(たしか俺があいさつした時は……)


 動画を見た時の事を思い出す。

 下手な笑顔と女装に気を取られていたけれど……


(そういえば否定的な言葉は無かったような)


「まあ、君にそういう趣味があったのは予想外だったけど、それは個人の自由だからね。否定はしないよ」


「はあっ!?」


 思い出している途中で聞こえた、聞き入れられない言葉に翠は目を向いた。

 しかし、社長は首をかしげて。


「えっ? 違うのかい?」


「違います!」


 翠が大声で否定すると、再び社長の目が鋭くなって隣にスライドする。


「蓮華……どういうことだい?」


「くふふふ……」


「蓮華……笑ってないで説明しなさい」


「ふふふ……は、はい……ふぅ……ま、まあ、説明と言っても、ふふ、身バレの為にはしょうがなかったというか……そっちの方が似合っていたというか、人気出ると思ったし……」


 どうにか言い終える星野。

 その言葉に、社長は困ったように息を吐き出した。


「……困ったな」


「えっ?」


 なぜだろうか?

 今回はたまたま女装していただけで、それが星野の悪ふざけで次から普通に出ると言えばいいのではないか。


 そんな風に翠が考えていたところで。


「すまない高宮君……」


「……!?」


 突然頭を下げだした社長。


(えっ? なんで社長が頭を下げてるの?)


 目を瞬かせる翠。

 しかし、何の事なのかは分からないが社長に頭を下げさせているのは確かで


「あ、頭を上げてください! 女装のことについてなら少ししか怒ってないですからっ」


 女装については言及しつつも慌てて頭を上げるようにお願いする。

 すると社長はゆっくりと頭を上げるが、その顔は少しばかり険しいまま。


「本当にすまない……これについては完全にこちらの不手際だ。蓮華……後で説教だ」


「ええー!?」


「……?」


 嫌そうな声を上げる星野と首をかしげる翠。


「…………」


 遂に疲れた顔を浮かべ始めた社長は、腕を組んでから二人に言い聞かせるように説明を始める。


「まずは高宮君……君には申し訳ないが、これからも女装をして動画撮影をしてほしい」


「んえ?」


「理由だけど……」


 変な声が出た翠が何かを言う前に社長は人差し指を立てて。


「一つは昨日の動画が好評だったこと。これはコメントからも明らかで、視聴者は君を女性だと思っている。これを裏切るのはまずい」


 続いて二本目を立てる。


「二つ目は、蓮華が女性だということ。いきなり男を相方にするのは、そもそも良いものじゃない。初めから説明してれば視聴者が離れるのは最小限だったかもしれないけど——」


「う……」


 社長は翠の隣を睨みつけて。


「蓮華があんなことをしてしまったからね。一つ目の理由にも関わって来るけど、視聴者を裏切った上に男女で撮るというのは、社長として看過できない。利益を下げるということは出来ないんだ」


 今までにない雰囲気で話す社長。


 たしかに理由は分かった。

 しかしそれは、翠には納得のいかないもので。


「そんなこと言われても……俺、嫌ですよ……動画には出てもいいと思っています。コメントもいい感じでしたし、星野を手伝うって言いましたし……でも女装だけは……」


「言いたいことは分かってるよ。それでもお願いだ。どうか女性として動画に出てほしい!」


「…………」


 翠の目の前で社長が深々と頭を下げる。

 しかし、どうしても嫌な翠は何も言えない。


 そんな時に——


「んー、これは出来れば言いたくなかったんだけど……」


 不意にガサゴソという音と共に隣から声が。

 翠が横を見ると。


「これ見てくれる?」


 一枚の紙を翠の前に置く星野。

 それは動画を撮る前に書くことになった契約書で。


「ここ」


 星野が指し示す場所に視線を移す。

 そこには——


「動画を撮るときには責任者の指示に従うって書いてあるでしょ」


 ニッコリといつもの笑みを向ける星野。

 しかし、翠にはその笑顔が初めて悪魔のように見えた。


「そ、それでも……」


 しかし諦めるわけにはいかない。

 翠にはこれからの人生がかかっているのだから。


「女装しろなんてい、言われてない……」


「う……」


 星野が困ったように言葉を詰まらす。


(良し!)


 翠が勝利を確信したその時——


「ハァ……蓮華、そう無理を言うもんじゃない」


 ようやく社長が口を開いた。

 予想外な援護に翠の顔に笑みが宿る。


「でもそうだな……高宮君、君が断るのは自由だ。蓮華の言葉は聞かなくていい。だから仕事として話をしよう。それなら受けられないかな?」


「えっ?」


 援護してくれるのでは?

 そう思っていた翠が固まっている間にサラサラと社長は何かを紙に書いて。


「君に払う額を上げるというのは?」


 翠の瞳に映るのは払うと言われていた額を一回り上回る数字。


「くっ……」


 社長という身分を大きく出してきた交渉に翠の心が揺れる。


(たしかにその額をもらえるならかなり助かる……助かるけど……!)


 それだけあれば弟の進学に間に合うかもしれない。そう思うと断るのはもったいない気がしてきて。


(あれ?)


 何かに気付く。


(なんで紙が二枚?)


 いつの間にか先程の紙の上に新たな紙が置かれていて、そこには一枚目を超える額が。

 翠は紙と社長とで視線を往復させる。


 すると、会社の主はニッコリとした笑みを浮かべて。


「それならこれならどうだい?」


「………………はい……」


 翠が陥落した瞬間だった。





作者の挨拶——


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