第8話 初めての動画撮影




 ニコニコとカメラに向かって始めの挨拶を告げる星野。


 そのおかげで今の翠の顔を見られずに済んだ。

 そのことに安堵しながら、彼女の挨拶に合わせて小さく会釈する。


「今日はもう皆見えていると思うけど、私の隣にいる子の紹介をする動画だよっ! ……まあ、本格的に投稿を始めるのはまだ先なんだけど」


 翠が頭を上げたのに合わせて話し始めた星野は少し困ったように頬をかくと。


「とりあえず今回は顔見せ! 先に紹介しとこうと思ってね」


 今回の動画の趣旨を説明していく。


 そんな笑みを絶やさないまま話し続ける星野に対して翠はというと——


(やばい! ここからどうなるんだっけ!?)


 緊張から星野から聞かされていた流れを忘れてしまっていた。

 動画の撮影が始まってしまった以上改めて聞くことも出来ない。その上、変な素振りをしてしまっては星野に迷惑をかけてしまうかもしれない。


 どうにもできない状況に翠は引きつった笑みを浮かべながら必死に考えを巡らせていく。


 しかし、星野にそんなこと伝わることなく……


「じゃあさっそく紹介するね! 私と一緒に動画に出ることになったスイだよ!」


「……っ!」


 焦りが募る中、翠は崩れそうになる笑みを必死に持ち堪えようとして。


「よ、よろしく……」


 もう笑顔なのか分からない引きつった顔をカメラに向けた。


(ああ……終わった……)


 自分でも分かる。これは笑顔ではない……

 思わず翠が顔を俯かせようとするが。


「そんな緊張しないで!」


 星野はそんな翠の緊張を解すように背中を叩く。


「初めてなんだから失敗してもいいんだって! 今回は顔見せなんだし、もっと笑顔を見せて! ね?」


「は、はい……頑張ります……」


 それでも翠の緊張がほぐれることは無く、尻すぼみに声が小さくなっていく。


(やばい……顔が引きつってる。どうにかしないと)


 この気まずい状況を打破しようと翠は必死に口角を上げて。


 ニゴッ……


「……スイ?」


「い、いや、ちょっと待ってください……」


 一度顔を下げると気を取り直して。


 ニゴッ♪……


「ひえっ……」


 必死に作った満面の笑みに、隣の少女から悲鳴が上がる。

 予想していなかった反応に翠の頭の中は真っ白になって。


「…………」


 完全に沈黙。


 そのまま数秒間、静かな時間が続くが……


「はっ!?」


 その数秒で正気に戻った星野がカメラに向かって笑みを向ける。

 しかし、その笑みも少し引きつっていた。


「ス、スイ?」


 翠は何の反応も返さない。

 そんな固まったままの翠を見た星野の笑みは苦笑に変わって。


「ちょっと待ってね」


 そう短く告げると星野は立ち上がってカメラに近づいていく。

 彼女は自身の顔をカメラのレンズに近づけると。


「ごめんね……少し落ち着かせるから」


 少し申し訳なさそうにカメラに触れて、翠の元へ戻っていった。

 そして、星野は再び翠の隣に座って。


「カメラは止めたから落ち着いて……ね?」


 固まっている翠に向かって優しい声音で呼びかける。


 そのまま翠の頭を撫でる星野。

 すると、ようやく——


「いや、俺もう無理だよぉ……」


 完全な涙声

 翠の心は完全に折れていた。


 この動画が公開されれば今の失敗が世界中に発信されるのだ。

 そう思うともう動画に出れる気がしない。


「やっぱり俺には無理だったんだよ……せっかく誘ってくれたのにごめん……」


「…………」


 瞳に涙をためて告げられた翠の言葉を、星野は静かに聞いている。


(やっぱり怒られるかな……?)


 約束を破ってしまったのだ。怒られるのはしょうがないと覚悟してうなだれていた顔を上げる。

 しかし、翠の予想とは違って星野が浮かべていたのは優しい笑みだった。


「誰だって失敗はあるよ。後は失敗からどう立ち上がるかだけ」


 翠を見つめながら星野は続ける。


「私だって初めは失敗ばっかだったし、すぐに登録者が増えたわけでもなかった……初めの一年は一桁だったしね。それでもやりたいことをやってきたの。そうしたら少しづつ私の事を気に入ってくれた人が増えてきた」


 そう言い終えると、彼女はその視線をカメラに向ける。


「失敗を許さないほど視聴者さんの心は狭くないよ……まあ、限度はあるけどね。逆に完璧な人なんてつまらないでしょ? そんな機械みたいな人よりも『スイ』みたいに弱いところがある人の方が見てて楽しいよ」


 カメラに向けた色々な想いの詰まった笑み。

 それを今度は翠へ向けて。


「だからもう一度挑戦してみない? 今は撮ってないからこのままでまず練習。あっ、本名は出しちゃだめだよ?」


 最後にはおどけて見せた。

 しかし、翠からは浮かない顔が抜けない。

 この程度で元気になるなら始めからこんなことになってはいないのだ。

 本音を言えばすぐにここから逃げ出したい。


 それでもここにいる理由は星野と約束したから。それなら——


(ここで浮かない顔をしてたら星野に迷惑かけちまうな……)


 気持ちを切り替えるために息を吐き出して。


「分かった、やるよ」


「大丈夫? もう少し待つよ?」


 星野が心配そうに顔を覗き見る。

 しかし、翠は首を横に振って。


「大丈夫、これ以上『レン』に迷惑はかけられないから」


 翠は姿勢を正してカメラに向き直ると。


「気持ちが揺らいじゃう前に始めてぇ……」


 震える声を出しながらも撮影をする意欲を示す。


 そんな翠に星野は目を瞬かせるが、次第にその表情が嬉しそうに歪んだ。


「あはははっ! 分かった! じゃあ始めるね!」


 嬉しそうに笑い終えれば、星野も姿勢を正して。


「結構時間使っちゃったから簡単にいくね! まあ、これは何回か言っちゃってるからみんな分かってるかもしれないけど……まずは名前を教えて?」


「えっと、『スイ』です」


「ありがとう。『スイ』は私から頼んで今回の動画に出てもらうことになりました。人前に出ることに慣れていないのでみんなは優しくしてあげてね!」


「よろしくお願いします」


 翠はペコリと一礼する。

 その様子に星野はクスリと笑うと。


「続いては特技を教えてください」


「えっと、特技かぁ……」


 少し緊張がほぐれてきた翠は腕を組んで少し考える。


「特技と言っていいのか分からないけど……家事全般は得意かな? 基本的に家事は俺がやってるから」


「ほうほう、じゃあ得意料理は?」


「んー、和食なら大体いけるかな? 肉じゃがとか煮物とか——」


「えっ、本当!? 私肉じゃが好きなんだぁ! 今度食べさせて!」


「ん? まあいいけど……」


「よしっ!」


 食いついてきた星野に少し疑問に思いながらも翠が承諾すると、星野がガッツポーズ。

 そんな彼女に翠は苦笑いを浮かべて。


「えーと、質問は……?」


「あっ、ごめん。食べさせてくれるのがうれしくて忘れてた」


「ははは……」


「あはは、ごめんねー……」


 星野は少し恥ずかしそうに頭をかく。


「さて! 気を取り直して、これが最後の質問になるかな? 『スイ』はどんな動画が撮りたい? どんなのでもいいよ。私とのお話でも、どこかに行って遊ぶでも、一緒にゲームするでも。『スイ』の希望が聞きたい」


「…………」


 笑みを浮かべながらも真剣な眼差し。

 そんな彼女の視線に翠の言葉が詰まる。


「えっと……」


 考えたことも無かった。

 そもそも自分が動画を撮るなんて思っていなかったのだ。それを今聞かれたところで答えるのは難しい。


 それでも何か答えるとするならば——


「そうだな……」


 思い出すのは撮影を始める時にカメラに映ったあの表情。


 何かを真剣に打ち込んだ人はあんな顔をするのだろうか?


 翠にはあそこまで何かに打ち込んだこと経験はない。

 しかし、それを経験してみたいと思っている自分がいる。


(それなら……)


「『レン』がやりたいことかな」


「へっ?」


 きょとんとする星野。

 そんな星野に翠は今度こそ笑顔を向けて。


「『レン』が真剣に動画投稿に打ち込んでるのは分かったから。それなら俺はその手助けがしたい」


「…………」


「ん? どうしたの? 顔が赤いけど?」


「い、いや、何でもないよ! じゃ、じゃあこれで終わりだね」


「……?」


 翠は首をかしげる。

 しかし、星野はそんなことにはお構いなしにカメラに近づくと。


「これで今回の動画は終わりになります!」


「えっ?」


「みんなお疲れ様―!」


 手を振りながら彼女はカメラのスイッチを押した。


「も、もしかして……」


 その様子に唖然とする翠。


 フゥと息を吐き出した星野は振り向くと。


「あ、うん。今までのは全部撮影してたよ。良かったよ……自然体の高宮君が取れて♪」


 ニッコリを笑いかける。

 しかし、翠にそんな余裕はなく。


「つ、つまり……俺の失敗とかまで動画に?」


「まあ、その辺は編集で調整かな」


「勘弁してください……」


 絶望した顔でその場に崩れ落ちた。






 こうして初めての動画撮影は幕を閉じた。


 しかし、翠は気付いていない。


 星野が「お待たせ!」と言った時から撮り始めるまで、その間に彼女は一度もカメラに触れていなかったということに——






 作者の挨拶——


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