第7話 撮影前に




 ああ、どうしてこうなってしまったんだろう——


 翠はもう何度もしたその考えを再び頭に浮かべて天を仰ぐ。


 現在、翠は数ある撮影部屋の一つに移動していた。


 そこで撮影準備をしている星野を横目に、翠は自身の頭に手をやると手に触れたのはサラサラとした手触り。

 鏡を見ることは叶わなかったが、こうやって自分の髪を触れることは出来るのだ。


 そして思う。


 ——どうして自分の髪は綺麗に梳かれているのか?


 その答えは簡単だ。


「まあ、星野に身バレ防止って言われたからだけど……ハァ……」


 確かに言っていることは分かる。

 いくら着替えたといっても顔が変わるわけではないし、そのうえ髪型まで変わっていなければ知り合いにはすぐに翠だとバレてしまう。


 目の前で撮影準備をしている星野も撮影部屋に着くや否や、そのきれいな金髪を後ろで束ねて化粧も変えていた。

 やはり大勢にみられるという行為にはそういったものは必須らしい。


 そのため翠にも化粧が施されることになったのだが……


「俺が化粧かぁ……でも俺どんな化粧されたんだ?」


 顔の印象を変えれば簡単にはバレない——そう豪語した星野に施された化粧。


 わずか数分だったからそこまで変わっていないのではないか?


 そういった不安もよぎるが。


「まあ、星野があれだけ変わっていれば大丈夫だと思うけど」


 星野の顔の印象は先程とはまるっきり変わっている。

 化粧などしたことなどない翠からしてみれば「こんなに変わるんだなぁ」と感嘆したほどだ。

 それを見れば自分の印象もかなり変わっていると見て大丈夫だろう。


 そう思わないとやっていられないという考えからは目をそらしつつ、撮影準備をしている星野を眺める。


 翠には全く分からないが、照明やカメラの角度を何度も確認し、そのたびに調整を繰り返している彼女の表情は真剣そのものだ。

 その表情を見れば星野がどれだけ真剣に動画撮影に打ち込んでいるのかがわかる。


(そんな星野の動画に俺が出ていいのかなぁ……でももう引き下がれないし……)


 いくら頼まれたとは言っても翠は初心者だ。そんな初心者が動画に出て台無しにしてしまっては星野に合わせる顔がない。

 グルグルと同じ考えが頭に浮かんでは翠の気持ちを重くしていく。


 それでも、もう後には引けないともう一度星野へ目を向けると。


「あれ? どこ行った?」


「『スイ』お待たせ!」


「ひゃい!」


 いつの間にか隣に座っていた星野から声をかけられて心臓が跳ね上がる。


「あはははっ! どうしたのその返事!」


 笑われた翠は顔を赤くして。


「な、何でもない!」


「ごめんごめん、そんな怒らないで」


「いや、怒ってないし」


「そう? なら——」


 そっぽを向いた翠に、星野は悪いことを思いついたような笑みを浮かべて。


「もう撮り始めても大丈夫?」


「えっ?」


「いやだって怒ってないんでしょ? 撮影準備は終わったし後は『スイ』の気持ち次第だよ?」


「いや、まだ少し待ってほしいというか……」


 翠は視線を彷徨わせながら前髪をいじり。


「そ、それよりも、もうその名前で呼ぶのか?」


 たしかに動画では『スイ』という名前でいくという話にはなったが、早くもその名前で呼ばれるとは思っていなかった。


 実はもう撮っているのではないか?


 時間稼ぎから疑いに変わる。

 しかし、星野の表情は変わらないまま。


「いや、だって撮影中に間違えて本名言ったらやばいでしょ? これから撮り始めるんだから呼び方くらい変えとかないと」


「そういうものかぁ……」


「そそ、そういうことだから私のことも『レン』って呼んでね」


「……分かった」


 動画撮影のことについては翠にはまったく分からない。

 素直に頷くと、星野はニッコリと口角を上げて。


「それで? もう撮り始めて大丈夫?」


「えっと……いや、もう少し……」


「でも撮らないと終わらないよ?」


 なぜだか笑顔のままの星野から圧が。


「いや……えっと、その……」


 座ったまま後退った翠に、星野は困ったように息を吐きだす。


「まったく、初めてなんだから緊張するのは当たり前! だからね——」


 彼女はまっすぐに翠の目を見つめて。


「失敗しても大丈夫だからやってみようよ!」


 ニコリと再び笑顔を見せた。


「…………」


 翠は少し赤くなった顔を悟らせない様に顔をそらすと、胸に手を当てて深呼吸をする。

 息と共に緊張を吐き出そうと深く息を吐き出せば、少しずつではあるが気持ちが落ち着いていく。

 それを何度か繰り返すと、ようやく覚悟が決まってきて。


「よし、もう大丈夫! 気持ちが変わる前に始めて!」


「ふふっ、分かった。じゃあ始めるね」


 星野は視線を翠からカメラに移す。


「流れはさっき言った通り。私が進行するから『スイ』はそれに合わせて答えてもらうって感じだね」


「わ、分かった」


「それじゃあ三、二、一で始めるよ」


 星野の言葉に返事をしながら翠もカメラに目を向ける。


 そして気付く。


(あっ……)


 眼前に設けられたカメラには、先程翠と話していた時とはまったく違う顔の星野が。

 そこからは、変わらない笑顔の中に真剣な想いが伝わってきて——


「三、二、一——」


 思わずカメラに映る星野の姿に見惚れてしまった。


 そんな翠に気付くことなく星野はカメラを見据えたまま——


「皆さん、こんにちは! レンだよー!」


 動画の始まりとなる言葉を紡いだ。






 作者の挨拶——


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