序12 気づいたら


「……」

 私が黙っていると、雪平ゆきひら先生はメスを突き付けたまま話し出す。

「あなたは魔力に目覚めかけてる。気づいてはいないでしょうけどね。それだけ高い素質を持っている子が不安定な魔力で何をしでかすかわかったものじゃないわ。後々の禍根を絶とうと思うのはおかしいかしら?」


 いや、おかしいでしょ。

 未来のことなんか誰にもわからないのに、どうして……。

 ここで死んでしまうのか。

 その事に私は少しだけ、ほっとしてしまった。

 思えば別に未練なんかない。家族も友人もいなければ、夢なんてものもない。

 むしろ、家族の所へ行けるならそれでもいいかもしれない。

「何をしてるんですか雪平先生!彼女はまだ子供だ!」

 立ち上がって声を張り上げたのは隣にいた東雲しののめ先生だった。


 優しい人だ。思えば朝に山で出会った時、私を置いて逃げれば良かったのに、そうしないで守ってくれたっけ。

 でもそれだけだ。確かに命の恩人だが、死ぬのがおしいと思うほどの思い入れはない。


 何も答えない事に焦れたのか、雪平先生が腕に力を込めたのがわかった。

 ……あぁ、これで家族の下へ行ける。お母様、お父様、春奈……。


 しかし、刃先が喉に触れる直前、東雲先生が雪平先生の、腕を掴んでその動きを止めていた。


「なんのつもりですか」

「雪平先生こそどういうつもりですか。彼女だって巻き込まれた側だ。考える時間くらい上げて欲しい」

「その結果、魔力を暴走させてトラブルが起きたとしてもですか?」

「そうはさせません。私が説得します」


 東雲先生がそう言うと雪平先生は腕から力を抜き、メスを下げ、立ち上がった。

 あぁ、死が遠ざかってしまった。

「一時間後にまた来ます。その時までに決めておきなさい」

 そのまま雪平先生は早歩きで保健室から出ていった。


 いつの間にか太陽は隠れており、空は薄暗くなり始めていた。

 東雲先生が再び椅子に座りこちらを見つめてくる。

 しかし、沈黙はそれほど長くはなかった。

「天宮は……死にたいのか?」

「そうですよ。死にたいです」


 そうだ。私は死ねるなら死にたい。だが、自殺する勇気なんてない。

 むしろ、自殺できる人を私は尊敬すらする。本能に抗って、周囲の人々に抗って、自分のあり方を決めれるのだから。


「……怖くはないのか?」

「怖いですよ。だから自殺する事はできない。しようとしても手が、足が動かなくなってしまいます。それなら、誰かに殺して貰うしかないじゃないですか」


 そこまで聞くと東雲先生は両手で顔を洗う時のように手で包みしばらく考えていた。


 顔を上げ

「どうすれば、君は生きてくれる?」

 と訪ねて来た。

 私は即座に答える。

「ないですよ。死ぬときに死ねず、ただただ惰性で生きてるだけなんですから」

 そう。死ぬなら家族と死ねば良かった。そしたらこんなに悲しい思いもしなかったのに。

 突如、東雲先生に手を握られた。手が痛くなるほど強く両手で握ってくる。

 顔は俯いたままで表情はわからない。


「だったら僕のために生きてくれ。僕は子供に目の前で死なれるのは嫌だし、死ぬとわかってて見過ごす事はもっといやなんだ」


 頼む。そう言うと彼はそのまま黙りこんでしまった。

 なに言ってるんだこの人。家族でもない、初めて出合った、名前しか知らないような間柄の人に自分のために死ぬなと、そう言うのか。

 わからない。けれど……けれどもなぜか心が少しだけ暖かいと思った。家族が死んでから、そんなことを言ってくれる人なんか……誰もいなかった。

「……困った先生ですね。そこまで頼まれたら断れないじゃないですか」

 気づいたら、そう口にしてしまった。

 ああ、もう戻れない。この魔術とかいう危険で、わからない世界の住人になるんだ。

「ありがとう……ありがとう」

 東雲先生は涙を流しながら、雪平先生が帰って来るまで、私に感謝を伝え続けた。

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