序9 トラウマ

 私はふと背中の温かさで目が覚める。誰だろうか。とても心地いい。

 どうやら自身よりも少し視線が高いところから誰かに抱かれてコスモスを眺めているようだ。

「よしよし、秋奈は偉いね」

 これはお母様の声だ。ということは、ここはお母様の手入れしていた庭か。

 コスモスに薔薇に菜の花が花壇事に整理され植えられている。色とりどりの花ははお母様がすべて自分の手で手入れをしていた。一つ一つ、それは丁寧にしていたらしい。

 そんな大事な花々が並ぶ庭でにだっこされながらて寝ていたのだろう。

 最後にこんな風にしてもらったのはいつだろうか。七歳くらい?それとももっと小さかっただろうか。

「秋奈はよく頑張ったよ。もう大丈夫だよ」

 その言葉を聞くと突然、ものすごい郷愁に襲われ涙があふれだす。お母様はここにいるのにまるでどこにもいないと。


 お母様、わたし、わたし……

「××××。××××」

 だめだよお母様。何を言っているかわからないわ。教えて、なんて言ったの?


 ゾクリ

 突如背筋に怖気がはしる。一瞬目を瞑ってしまうと、すでに花の庭はなく誰かの部屋に座っていたらしい。壁はボロボロで大きな机と教科書が入れられた本棚だけの簡素な部屋。立ち上がろうとすると金属がこすれ合う音が自分の足元からした。

 足首をみるとそこには鈍色の鎖がついた革のベルトが装着されている。

 その鎖は大きな机の脚に巻き付けられており、頑丈な金属の南京錠も付いていた。


 嫌だ。これ以上思い出したくない。


 この景色は嫌だ。

 再度力を入れて立ち上がり部屋の扉を開けようと前に歩く。何度かガチャガチャするが扉は開かない。


 「開いて!開いてよ!お願い!開けて!!」


 私は叫びながらドアノブを回し扉を殴りつける。

 しかし、そのうち喉と手が痛くなりその場で座りこんでしまう。

「お父様助けて!お母様あぁぁぁ!!」

 私は精一杯の力を込めて叫ぶ。しかし


「うるさいよ秋奈ちゃん」


 答えたのは二人ではない別の男の声だった。


「おとうさんもおかあさんも死んで僕という『おにいちゃん』と二人だけになったんだよ?」


 だれ!だれなのあなた!


「あきなちゃんが言っていいのはー、『おにいちゃん好き』と『気持ちいい。きもちいいよー』ていうそれしか喋らないんだ」


 ガチャリ。

 扉にかけられた鍵が開く音がした。


 嫌だ!こっち来ないで!

 声をだして拒否したいのに口からは「あ、あっ」という呻き声しかでない。体も一気に血の気が引き手足が震える


「ようやく見つけた。この記憶だね」


 すると頭の中から知らない女性の声が聞こえてくる。

 もういったいなんなの!?もうやめてよ!!

「くッ…!精神同調香の効きが悪い。この子本当に普通の子かい?抵抗力が異常に高い!こっちが壊されかねないね」

 もうやだ!もうやだ!!

 一秒でもここに居たくなく私は声をだそうと、再度お腹に力を込め叫ぶ。

「出ってて!あなたも扉の前にいる人も出てって!!私に近づかないでぇぇぇぇぇぇ!!!」


 景色が暗転した。

 目の前を暗闇が包み込む立っているのか、横になっているのか。真っ暗な世界は自分がどんな状態なのか完全に見失う。

 …………もう疲れた。

「君なのか?僕を呼んだのは?」知らない男の声が聞こえる。幻聴だろうか。ずいぶん暢気そうででも安心感を貰える不思議な声。ちょうどいい、会話でもしよう。そうすれば少しは今のこのどうしようもない嫌な気持ちが落ち着くかもしれない。

「呼んでない。けど、あなたは誰?」

「僕?僕は……そうだね灰色の魔法使いとでも名乗っておこう」

 魔法使い。魔術士とはなにが違うのだろうか。

「なに、特に違いはないよ。どちらも自分のために現実を捻じ曲げるという一点において同じ存在さ」

 そう。それなら私を殺してくれない?もういやなの。夜を震えて過ごすのも。あの鎖で繋がれた部屋に一人でいるのも。

 声は申し訳なさそうに「それはできない」と告げる。

「でもかわりに助言をしてあげる。ここでの事はちょっとしか覚えていられないと思う。なんせ夢だからね。だからこれだけ。覚えておいて。ロッカーから本を探すんだ」

 本?それがあれば死ねるの?

「それはわかんない。でもそこで君は大きな分かれ道に立つ」

「がんばって」と最後に言うのを聞いて私の意識はブツリと途切れた。

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