ボケるお隣さんと、ツッコむ父

 それからしばらくして。


「お騒がせして申し訳ありませんでした」


 ようやく落ち着きを取り戻した安住さんが、テーブルの上に額をつけて文字通り頭を低くした。


 俺とこよりは特に示し合わせたわけじゃないのに、まったく同じタイミングで互いに顔を見合わせ、まったく同じタイミングで情けない姿の安住さんに視線を戻した。


 というかこよりが俺の隣に座ってるってだいぶ珍しいな……よっぽどなんだろうな。


「あの、そんな深々と頭を下げなくても……」


「松田の言う通りだぞ~。安住が酒飲んでだらしなくなるのなんて、今に始まったことじゃないだろ~」


「え、こより知ってたの? 安住さんがこうなっちゃうって」


「無論、もう何度もみてるから慣れた」


 慣れたって……こよりと一緒にいる時も飲んでたのかこの人。


「うぅ、ほんとに自分が情けないですぅ……」


 ゆっくりと顔を上げた安住さん。頬が紅潮しているのは決してアルコールのせいじゃないだろう。


「ま、まぁ人間だれしも欠点はありますから……とりあえずお茶でも飲んで落ち着いて」


「……ありがとうございます」


 安住さんは目の前に置かれた湯吞みを両手で包み込むようにして持つ……が、口に運ぼうとはせず、うれいげな瞳で液面を見つめている。


「……私、お酒入っちゃうとダメなんです。気分良くなっちゃって楽しくなっちゃって……そして最後に迷惑かけちゃって……こう見えてかなりお酒で失敗してきてるんですよ、私」


 わざわざ口にしなくてもわかってますけど? なんでちょっと『意外でしょ?』みたいな感じで言えるの? 説得力しかないからね? あんな醜態しゅうたい見せられたら。


「ちなみにどんな失敗を?」


「え~っと……居酒屋のトイレで寝ちゃったりとかですかね。起きたのが翌朝で、従業員さん達がミーティングかなにかしてるところをぺこぺこ頭を下げて帰りました……あれは恥ずかしかったです」


 う、うわぁ…………。


「それから店員さんにいちゃもんつけてたオジサンの胸倉掴んで説教しちゃったりとか……あ、でもそれに関しては友達や周囲のお客さんに褒められたんですがね、えへへ」


 いや可愛いの笑顔だけッ! エピソードが全然可愛くないッ!


「あ~あ……ちょっぴり酒癖悪いの、どうにかして治したいなぁ」


 ちょっぴりじゃなくてどっぷり悪いよね? どうしてまだ救いようがあるみたいに言えちゃうの? 自分に甘すぎじゃない?


 ツッコミどころが満載まんさいすぎて逆にわざと言ってるんじゃないかと疑わしくなるが、当の本人は至って真剣な様子で「う~ん」と腕を組んで頭を悩ませている。


「……松田」


 するとこよりが俺の脇腹を肘で小突き、小声で呼びかけてきた。


「どした?」


「な、言ったろ? 嫌でもわかるってウチ言ったろ? 安住はポンコツだって」


 耳元でささやいてきたこよりの言葉を聞いて、俺は先週のことを思い出す。


『もちろん。俺から言わせれば安住さんは完璧の女性だぞ? 優しいし料理上手だし優しいし……あんなん絶対モテんだろってのが正直な感想だ』

『…………ま、そのうち嫌でもわかるか』

『ん? なにがわかるんだ?』

『別に。んじゃウチは友達待たせてるから』


 あれってそう言う意味だったんか。


 酔っ払った安住さんをこの目にした今なら納得せざるを得ない……なんて思っていると、


「――どうすればいいと思いますか? 松田さん」


 安住さんからのご指名が。


「え、俺ですか?」


「はい! 人生の先輩から貴重な意見をいただきたいです!」


「さすがに人生の先輩は大袈裟ですよ……えっと、そうだなぁ……」


 視線を上に向けて思案する振りをするが、俺の中でアドバイスはすでに決まっている。


 う~む、言っていいもんなのかどうなのか……知らなかったとはいえ今回は俺から誘ったしなぁ……う~む。


 問題は言うか言わないか。悩んだ末に俺は〝言う〟を選ぶ。


「酒を断てばいんじゃないですかね!」


「…………」


 僅かな間の後、安住さんはおもむろに口を開いた。


「……んですよ」


「はい?」


「――断ってたんですよ! 今日までお酒、断ってたんです!」


「は、はい」


「本来なら今日で禁酒生活6日目だったんです。なのに……なのに……松田さんは誘ってきた。私は拒否したのに、しつこく、誘ってきた……ひどいです」


 話を改ざんするのやめてもらっていいですかね?


 両手で顔を覆い、声を震わせて言った安住さんに、俺は心の中でツッコみを入れる。


 事情を知らないとはいえ、俺が安住さんにを誘ったのは事実。その事実を彼女が反論材料してくるのは容易に想像できた。だからこそ迷ったわけだが……言わない方が正解だったみたいだな。


 俺が直前の選択ミスに悔いていると、安住さんは顔を隠していた手をどけた。どうやら嘘泣きだったよう。


「と――い、う、わ、け、で……責任、取ってくださいね?」


「……いやなんの?」


 なにかよからぬことを企んでいるような声音。俺は安住さんに問いただすが、彼女は答えず、こよりに視線を移した。


「こよりちゃん、もう金曜ロードショー始まってるんじゃない?」


「あ! そだったそだった!」


 言われて思い出したか、こよりは席を立ってリビングへと走っていった。


 遠回しに席を外させた、とも取れるが……、


「これから先は大人の話なので」


 予想は当たっていたようで、安住さんは「ふふッ」と小悪魔めいた笑みを浮かべる。


 なんだ……次はなにをしてくるんだこの人はッ⁉

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