愚痴る後輩と褒める父と舞い上がる先輩

 安住さんが初めて夕飯を振る舞ってくれた日(安住記念日)から約一週間が経った。


「――お疲れさまでした」


 今日も今日とて定時退社。うちの職場の最大の利点が楽さだ。


 これに関しては仕事で求められる最優先が〝安定した供給〟だから。故に自然災害等アクシデントが発生したら睡眠時間はかなり削られるだろう。


 大袈裟に聞こえるかもしれないが、ライフライン業とはすなわち人々の生活の支え、よりわかりやすく言えば人々の当たり前を提供している。


 蛇口じゃぐちをひねれば水が、スイッチを入れれば電気が、そういった当たり前だ。


 つまり俺らが楽をしている=市民の生活に不可欠な存在を安定して供給できている、となるえわけだ。


 ま、あくまでうちの会社は、の話だが……恐らく同業他社にも通ずるはずだ。


 その分、給料面については他より見劣りする。〝なによりも優先すべきは金〟と考えてる人にはまず合っていない。逆に〝金よりも楽、心のゆとりが第一〟とする人にとっては適しているかも。


 ちなみに俺は後者だ。余裕はマジ大事。


「…………ふぅー」


 帰宅する前に俺は事業所の外に設置されてる喫煙所に寄った。4月のこの時間はまだまだ明るい。


「お疲れ、松田君」


「お疲れっすー……あー、タバコ、タバコはっと……」


 と、そこに二人の社員が現れた。仕事終わりによくここに集う先輩と後輩だ。


 一人は社歴も人生も先輩な柏木かしわぎさんだ。年齢は確か40代くらいだったような気がする。


 とても温厚で誰とでも分けへだてなく接している。例えるなら日曜日の午後、みたいな感じの人だ。


 余談だが柏木さんは非喫煙者だ。なのにここにいる理由、それは本人曰く家に帰る時間を少しでも遅らせるためだそうだ。話を聞く限り柏木さんは奥さんと娘さんから相当煙たがられているようで、度々『外の空気はおいしいね! 家の中より数十倍おいしいよ!』と泣きたくなるようなセリフを口にしている。あぁ……世のお父様方にさちあれ。


「どうしたの? 松田君……僕の頭になにかついてるのかな?」


「あ、いえいえ別に。お疲れ様です、柏木さん」


 俺は柏木さんにぺこりと頭を下げた。


「あ~すいません、松田さん……ちとタバコ切らしてたの忘れてて、そのぉ……一本恵んでもらえません?」


 頭の後ろに手をやり申し訳なさそうな顔してねだってきたのはもう一人の方、後輩の水野みずのだ。


「ほいよ」


「あざっす!」


 俺が箱とライターを渡すと、水田は二コパッと笑って受け取った。


 水野は4つ下の後輩。髪は茶色、眉毛は細め、ピアスの穴も結構ありますねと見た目はかなりチャラい。加えて言動も軽い。


 よく所長ら先輩方に『シャツをしまえ』だの『ひげを剃ってこい』だの『学生気分のままじゃだめだからな?』だの指摘されてるところを目にする。


 よく目にするということはつまりそういうこと。残念ながら所長らの言葉は水野の心に響いていない。


「ふうー……ま~た生方うぶかた所長に服装について注意されたんすけど。シャツだしっぱぐらいでガミガミガミガミ……ああも上からこられると逆に従う気なくすんすよねぇ」


「ははっ、水野君は天邪鬼あまのじゃくなんだね。でも注意されてるだけまだマシ、可愛がられてる証拠だよ。本当に見捨てられてる人はまずなにも言われないからね」


「つーっことはあれっすか? 柏木さんと松田さんは俺を見捨ててるってことすか?」


「いや違うよ。僕は単純にしかるのが苦手なだけ。性格上の問題だよ」


「そっすか。ま~でも言われてみれば納得かも。柏木さんがキレてる姿って想像つかないし」


 水野に同じく。柏木さんのような人ほど怒ると怖い、絶対怖い、間違いない。


「松田さんは?」


「俺か? 俺はぁ……まぁぶっちゃけいんじゃね? とは思ってるかな」


「え、それ俺のこと諦めっちゃってないすか?」


「違う違うそうじゃねえって。確かに目につく部分はあるっちゃあるが……けど普通に仕事こなしてるからな、水野は。だからまぁ、いんじゃね?」


「……普通に仕事こなすって、普通のことじゃないっすか?」


「普通のことだな。けどその普通ができない人間も世の中にはたくさんいる。そのくせ態度だけ一丁前のやつとかもな」


「あ~」


 思い当たる節があるのか、水野は上を向いて間延びした声を上げる。


「それらに比べたら水野は優秀な方だよ。だから多少のことは目をつむってもいいかな――ってのが俺の考え。決して見捨ててるとか諦めてるとかじゃないからな?」


「……あ、あざっす。なんつーかその、仕事面で褒められることがあんまなかったんで、嬉しいっす」


 照れくさそうに言った水野を見て、俺と柏木さんは笑みを浮かべた。


 こういう素直な一面があるから憎めないんだよなぁ。


 それから三人で少し雑談した後、腕時計に目をやった水野が「やべッ!」と声を上げた。


「どうしたの? 水野君」


「いやちょっと、電車の時間がヤバくて」


「……そういえば、今日は車じゃないんだね。これから用事?」


「そっす! 友達と飲みの予定があんすよ」


 灰皿にタバコを捨てた水野は俺と柏木さんに交互に頭を下げた。


「さーせん、俺はこれで」


「「お疲れ~」」


 水野が去っていった後すぐ、柏木さんはぐぅーっと伸びをした。


「――ふぅ。さて、僕も帰ろうかな」


「珍しいですね。いつもなら少しでも長くここに居ようとするのに」


「実は今日、家に誰もいないんだよね」


「あ、ついに逃げられたんですか」


「逃げられてないよッ! というかついにって酷くない⁉」


 必死の形相して詰め寄ってきた柏木さん。俺は「冗談です冗談です」と返して、ついでに両手を前にだして押し返した。


「まったく、松田君の冗談は切れ味鋭すぎて困るよ」


「すいません。それで奥さんと娘さんはどうしたんです?」


「二人は妻の実家にいるよ。帰ってくるのは明日、それまで僕は家に一人!」


「よかったじゃないですか。しかも今日は金曜だし」


「そうなんだよ! これからスーパーで酒とつまみを調達して、たまの一人を謳歌するんだ! ――てなわけで、お疲れ、松田君」


「お疲れ様です」


 駐車場に向かう柏木さんの足取りは羽が生えてるかのように軽かった。


 ……俺も久しぶりに晩酌ばんしゃくでもするかなぁ。


 俺は二本目のタバコに火を点け、空を見上げる。


 ……安住さんは酒、飲めるんかなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る