皿を洗う父と皿を拭くお隣さんとゲームする娘

「――ごちそうさまでした」


「お粗末様でした」


 俺が手を合わせ食後の挨拶すると、安住さんは優しく微笑んで謙遜けんそんを口にした。


 二人が作ってくれたご馳走はそれはもううまかった。箸が止まらなくなるくらいうまかった。


埼玉県民なら間違いなく『風が語りかけます』ってフレーズが連想されるくらいうまかった。


 ちなみに安住さんは今でこそニコニコしているが、ついさっきまで笑えないくらい怖かった。食事中、表情は穏やかなそのものだったのに額に青筋を浮かべていたのだ……なんと恐ろしい矛盾。


 安住さんの胸について触れるのはひかえよう……そう、俺は心の中で誓った。もちろん、物理的な意味じゃないからご安心を。


「んじゃ俺、皿洗っちゃいますんで」


「私も手伝います!」


 俺が食器を重ねてまとめていると、安住さんが手を貸してくれた。


「大丈夫ですよ。これぐらいは俺がやりますから、皿はそこに置いといてください」


「いいえ、手伝います! 知ってますか? 一人でやるより二人でやったほうが早く済ませられるんですよ?」


「いや、それはまぁ……そうですけども」


「ですよね? じゃあ決定で! 分担してちゃちゃっと終わらせちゃいましょう!」


「あ、あはは……それじゃぁ、お言葉に甘えて」


 テキパキ動く彼女の勢いに負け、俺はお願いした。


     ***


 台所にて、俺と安住さんは並んで立つ。


 皿洗いを俺が、拭く係を隣にいる安住さんが担当する。


 ちなみにこよりはリビングのソファーで寝そべってゲームをしている。時折こよりの声が聞こえてくるが、それはボイスチャットなる機能を使って友達と話しているからだそうだ。安住さんが教えてくれた。


「なんでも、最近話題のモンスターを狩猟しゅりょうするゲームにはまってるそうですよ?」


「モンスターを狩猟……あぁ、あれか」


 ついこないだ、こよりに何度もせがまれて買ってあげたソフトがある。恐らくそれのことだろう。


 ま、せがまれたと言っても口頭じゃなくて筆記でなんだんが。


 ある日の朝、俺の部屋の扉に一枚の紙が貼られていた。それはこよりからの書き置きで、ゲームを買って欲しいとつづられていた。


 しかもご丁寧なことに、赤ペンで〇がしてあるチラシ付き。


 ほんと徹底してるよなぁ……物ねだる時は。俺はそう思った。


 しかしここでホイホイ買い与えているようじゃダメ、行く末を案じているからこそ、時には厳しくしなければならないのだ。


 俺は心を鬼にしてこよりに伝えた。


『あっそ、じゃいいや』


 返事はひどく素っ気ないものだった。


 わがまま言ったりごねたりして抗戦してくるとばかり思ってたが……こよりも大人になったってことかな。


 俺は娘の成長をじかで感じて目頭を熱くしていたが、どうやら違ったようで。


〝買ってくださいお願いします〟


〝買ってください〟


〝カートに入れますか? イエス!〟


〝買って〟


〝買え〟


 以降も扉に催促状は貼られ続け、しかも日に日に言葉遣いが悪くなっていった。


 それでも俺は不動を貫いた……が、


〝お願いパパ。こより、どうしても欲しいの〟


 負けた。こよりとの戦いに俺は負けた。


 反則だろ……パパはさすがに……反則だろ。


 俺はこよりのお目当ての品が記されているチラシをポケットに突っ込み、車を走らせた…………そして今に至る。


「パパ……いい響きだなぁ……直接言われたわけじゃないけど」


「え?」


「あ、いえ! こっちの話です!」


 首を傾げ頭に疑問符を浮かべていた安住さんに、俺は首を横に振ってなんでもないことを伝えた。


「それより――今日はほんとにありがとうございました」


「いえいえそんな! お礼を言われるほどのことはなにも」


「謙遜しないでください。安住さんがいてくれたおかげでこよりのやつ、すごく楽しそうでしたから」


「そ、そうですか? ならその……よかったです」


 安住さんは受け取った皿で口元を隠し、ちょっと照れたように言った。


 え、ちょ、いきなりなにその反応ッ⁉ 可愛すぎなんですがッ!


 見てるこっちまで思わず照れてしまいそうになる彼女の仕草に、俺はつい視線を逸らしてしまう。


「あ、安住さんはほんとに子供が大好きなんですね!」


「……………………」


 動揺を隠すために俺は沈黙を避けることを選んだが、安住さんからの返事はない。


 しまった――気に障るようなこと言ってしまったか⁉ いやでも安住さんは保育士なんだし悪い気はしないんじゃ?


 俺は作業する手を止め、おもむろに顔を安住さんの方に向けた。


 すると、目をパチクリさせている安住さんと視線が交わった。


「えーっと、その――」


「――はいッ! 大好きですッ!」


 戸惑う俺を気遣ってか否か、彼女は破顔はがん一笑いっしょうして答えた。


 あぁ、安住さんは本当に優しくて綺麗な心の持ち主なんだなぁ……なんて感想が真っ先にでてくるくらい、彼女の笑顔が俺の警戒心を緩めてくれた。

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