第47話:攻略本

「ま、マイルス……?」


 最初に口を開いたのは上官のクリスだった。


 本を片手に悠然と瓦礫の山から立ち上がる姿は紛れもなく、彼女の部下の姿形をしている。


 しかし、その纏っている雰囲気が彼女の知るマイルス=ウェインとは全く異なっていた。


「もう少しで上手く行ってたってのに、勘のいい女だな……」


 そのくたびれた様相通りの気だるげな口調でマイルスが呟いた。


「それで、なんでお前はそいつらの味方をしてるんだ? 世界を滅ぼそうとしてるんじゃないのか?」


 引き続き語りかけてくるマイルスに対して、ネアンは沈黙を貫く。


 敵であるのが確定したのなら、情報を一欠片足りとも渡すわけにはいかないと。


 一方、相手が何も誤魔化そうとせずに自らの立ち位置を明らかにしたことに不気味さも抱いていた。


 ただ言い訳が出来ずに観念しただけなのか、あるいはそもそも誤魔化す必要はないという自信の表れなのか。


「動かないでください! 少しでも動けばもう一度攻撃します!」


 瓦礫の中から一歩踏み出そうとしたマイルスにネアンが警告する。


 対するマイルスは彼女の言葉に一切耳を傾けることなく、腰に携えた剣を引き抜く。


「それは……やっぱり貴方が!」


 彼が手にした禍々しい黒剣を見て、ネアンが慄く。


 呪われし王の狂剣――正史であればウィリアム=ストークスが手に入れるはずの剣が彼の手に握られている。


 剣の呪いで狂気に至ったのかと考えるよりも先に、ネアンは杖をマイルスへと向けた。


 周囲への影響を鑑みて、魔力をただ直線状に放出するだけの単純な魔法。


 しかし、絶大な魔力量を有する彼女が使えばそれだけで強力な一撃となる。


 再び魔力の奔流がマイルスを襲う。


「ふっ……ははっ! ははは!! すごい! すごいぞ!」


 先刻は吹き飛ばされたほどの凄まじい圧を受けながらも、マイルスは一歩ずつネアンの方へと向かっていく。


「なん、で……このっ!!」


 ネアンは更に力を込めて迎え撃つが、マイルスは動きを止めることはない。


 それどころかその足取りは着実に加速しつつある。


「これだけの魔力を受けながらも耐えている! すごい力だ! もう誰にも俺を馬鹿にさせないぞ!」


 歓喜に打ち震えながら前進し続けるマイルス。


 その刃が遂にネアンを射程圏内へと捉え、振り下ろされようとした瞬間――


「話には未だついていけぬが……貴様が敵だということは理解した! よくも母上を!」


 横から割って入ったクリスの騎士剣が凶刃を受け止めた。


「よくも? それはこっちの台詞だ。俺のことを母娘揃って散々虚仮にしてくれただろ? これはその報いだ! 母娘揃ってなぶり殺しにしてやる!」


 マイルスがその矛先をネアンからクリスへと変える。


 上官へと向かって躊躇なく剣を袈裟に振るうマイルスに対して、クリスも応じるように剣を振るった。


「くっ……!」


 宙空で二つの鋼が衝突し、火花を散らす。


 衝撃に大きく体勢を崩したのはマイルスの方だった。


「貴様に何があったのかは知らぬが、未熟な剣の腕に変わりはないようだな!」


 クリスが地面を蹴ってマイルスへと肉薄する。


 妙な雰囲気を醸しているが所詮は虚仮威し、このまま斬り伏せる。


 上段から両断する勢いで剣が振り下ろされるが――


「くっ……わっはっは! 無敵! 誰も俺には傷つけられない! 神の力だ!」


 マイルスの身体はその斬撃をいともたやすく受け止めた。


「なっ……がはっ!!」


 触れていながら表皮にすら傷つけていない刃を見てクリスが驚愕するのと同時に、マイルスの蹴りがその腹部を捉えた。


 後方の戸棚へと背中から強かに叩きつけられたクリスが苦悶の声を上げる。


「クリスさん!」

「おっと……動くな。一歩でも近づけばこいつを殺す」


 ネアンがクリスの下へと駆け寄ろうとするが、彼女の喉元に突きつけられた刃を見て足を止める。


「や、刃を納めよマイルス! 其方の目的は何だ!」


 フリーデンが声を荒らげて問いかける。


「目的……? 全てさ。野心がない小さい男などと俺を見くびった奴らを全員見返して、全てを手に入れる! それだけの力を俺は手に入れた!」


 高らかと宣言するマイルスを見て、ネアンの胸中に一つの違和感が浮かぶ。


 何かがおかしい。


 先刻、マイルスは自分に纏わる情報を口にした。


 それはこの世界に生きる人間であれば通常は知り得ないゲーム由来の情報。


 故にマイルスこそが三人目のプレイヤーなのだと考えていたが、それにしては言動が元の人格に寄りすぎているとも考えた。


 自分や彼のように前世の人格が混ざっている影響が見られないし、他にもそのような存在がいることを疑ってすらいない。


「さて……神の力を手にした俺に歯向かおうとした罰をどう与えてくれようか……」


 マイルスが値踏みするように室内の人間を見回していく。


 主導権を完全に握っているが故の余裕。


 ネアンはそこにつけ込む隙があると考える。


 自分の攻撃が全く通用しない理由は分からないが、その理由を解明するには身を挺するしかない。


「マイルス、馬鹿な真似はよせ。今ならまだ――」

「しょぼい予言しか取り柄のないガキは黙ってろ。お前は後だ。まずは……そうだな。そこの巫女様にストリップでもしてもらおうか。実を言うと……あんたのそのデカい胸がずーっと前から気になってたんだよ。それを好きに出来たらどんな気分なんだろうなってな」

「この……下衆がッ!!」


 下劣漢へと成り下がった部下にクリスが吐き捨てるが、喉元に突きつけられた切先にそれ以上の行動は取れなかった。


「なんとでも言えばいい。力ある者こそが正義だと俺に教えてくれたのはあんただ」

「貴様、どこまでも落ちるか……!」

「ほら、こいつを助けたいんだろ? 早く脱げよ」

「……分かりました」


 マイルスの催促に、ネアンが儀礼服へと手をかける。


「ネアン様! このような奴の要求を呑むことはありません!」

「大丈夫です。辱められる程度は大したことではありません」


 そう言いながらもネアンは震える手で衣服をはだけさせていく。


 上半身に纏っていた布が腰まで落ち、白い肌と黒い下着が露わになる。


 夢にまで見た極上の女体にマイルスは生唾を飲み込む。


「随分と素直だな。杖を置いてこっちに来い。残りは俺が脱がせてやる」


 下卑た顔で鼻を膨らませながらマイルスがネアンを手招きする。


 ネアンは左手で両胸を支えたまま、右手で杖を床に置く。


 そのまま要求通りに、欲望の丈を滾らせる男の下へと歩いて行く。


「私がこの身を捧げれば、他の方々は助けてもらえますか……?」

「そうだな……態度次第では考えてやらなくもない」


 マイルスの言葉にネアンが最後の一歩を踏み出す。


 目を閉じ、手が下ろされると、支えを失った胸が重力に引かれて揺れる。


 堪えきれなくなったマイルスは捧げ物へと貪りつくように手を伸ばす。


 しかし、指先が柔肌に触れようとした瞬間――


「ごめんなさい! やっぱり無理です!!」


 ネアンは再び魔法を発現させた。


 杖も詠唱もない小規模な魔法だが、狙いはマイルスではなかった。


 狙ったのは足元の地面。


 壁面と同じように破砕され、大穴が空く。


「なっ……!」


 マイルスが驚きの声を上げるも、二人の身体は既に宙へと投げ出された。


 一秒の間も無く、階下の大広間の床へと同時に叩きつけられる。


 先のクリスとの斬り結びで、どれだけ強力な防御力を有していても素の実力がマイルス=ウェインそのままなのは分かっていた。


 ネアンは不意を突かれて混乱している要領が悪い指示待ち男の胸ぐらへと手を入れて、それを抜き取った。


 大事そうにしまい込んでいた分厚い本を。


 他の全てを置いて、ネアンはすぐにその中身を確認する。


 そこには一章から終章までのメインストーリーに、カイルやレイアなどの主要人物の素性。


 更にはDLCをはじめとしたサブクエストの攻略方法や、有用な装備の取得方法までもが記されていた。


「これは……!」


 それは言うなれば、この世界の『攻略本』であった。


「この女ッ! 俺の予言書を!!」


 マイルスは内容に集中して隙だらけのネアンの首に剣を深々と突き立てた。


「がっ……ごぼっ……」

「痛いか? 苦しいか? でも、死ねないんだろう?」


 血を吐くネアンを嘲りながら、マイルスは奪われた本を取り返す。


「優しくしてやりゃつけあがりやがって!! もう許さん!! お前は凌辱の限りを尽くしてぐちゃぐちゃにぶっ壊してやる!!」


 より強い苦痛を与えるために、喉に突き刺された剣が何度も拗られる。


 声を出せないネアンは凄惨な苦痛を堪えながらマイルスを強く睨みつける。


「なんだその反抗的な目は! 出来るものならやって見ろとでも言いたげだな! 出来るんだよ、俺には! これを手にした時に俺は生まれ変わった! これには全てが記されている! 王族や巫女のしょぼい予言なんかとは比べ物にならない! この予言書さえあれば世界の支配だって出来る!」


 本を高々と掲げて歓喜に打ち震えるマイルス。


 俺は変わった。


 もう馬鹿にされ続けた昔の自分ではないと何度も叫ぶ。


 そんな彼の背後から不意に声が響いた。


「世界の支配とか……いい年してんだから、もう少し地に足付いた夢にしとけよ」


 それは彼にとっては聞き覚えのない声だが、ネアンにとっては福音の如き声だった。


 反応したマイルスが振り返るよりも早く、彼の身体を衝撃が貫いた。


 白銀色に輝く長身の槍が振り抜かれ、その身体が再び大広間の壁へと打ち付けられる。


「よく時間を稼いだな。お前にしちゃ百点満点だ」


 現れた銀髪の乱入者が上裸のネアンに上着をかけながら言う。


「じ、じる゛ばざぁ~ん゛……!」


 ネアンは涙を流しながら文字通り血を吐くような思いで彼の名前を呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る